信長が2度攻めて落とせなかった高岡城

高岡城
鈴鹿にある高岡城跡。鈴鹿川沿いの標高50メートルほどの高岡山に築かれた山城です。
ここは信長の伊勢侵攻を2度もくいとめた城です。城主は神戸友盛の家老である山路弾正。滝川一益を大将として信長が攻めてきましたが、城はなかなか落ちません。
美濃三人衆の謀反の動きが出てきたこともあり、信長は兵をひきます。翌年にも攻めましたが落ちません。仕方ないので信長は三男・信孝の養子を条件に和睦をすることとなりました。織田信孝は神戸家に入り神戸信孝と名乗りますが、北畠などと同様に結局は信長に乗っ取られます。
高岡城から川向こうを見ると楠城が見えます。直線距離は1.8kmほど。反対側の方にあるのが采女城で、こちらも3kmしか離れていません。楠城、采女城ともに滝川一益に攻め滅ぼされましたが、高岡城からよく見えたでしょう。
郭跡と堀跡が残っています。

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