あとの祭り 関の山

綾傘鉾
京都では祇園祭がスタート。
今年の見どころは「あとの祭り」の復活。山鉾巡行が毎年17日(木)に行われますが、これは昭和41(1966)年から一本化されたもので、それ以前は前祭りと後祭りに分かれていたそうです。って50年も前の話なんで、後祭りは見たことはないんですが(笑)
後祭りの巡行は前祭りの1週間後24日(木)に行われます。前祭は23基が巡行、後祭は10基が巡行しますが、後祭りの一番最後に登場するのが大船鉾。幕末に長州と幕府・薩摩郡が激突した「禁門の変」の時に燃えてしまい休み鉾になっていたのを復活するそうです。蛤御門の変という言葉が出てくるのは、いかにも京都らしいですね。
「今さら悔やんでもあとの祭りだ」と言ったりしますが、この語源が祇園祭というのが有力だそうです。祭りにまつわる言葉としては「関の山」もあります。これは三重県関町の祭りに出る山が立派で、これ以上の山は作れないだろうということから、限度を「関の山」というようになりました。
祇園祭では綾傘鉾の棒振り囃子が好きなのですが、こちらも江戸時代の大火で鉾が燃えてしまいましたので、現在は棒振り囃子の形で祭りに参加しています。曳き鉾での復活が望まれますね。

ITC維新会361勉強会

ITC維新会
森ノ宮にあるアネックスパル法円坂という難波京の跡に建てられた会館でITC維新会361 第23回勉強会。
だいぶ前にインストラクターを担当したITコーディネータ研修生を中心に作られた勉強会です。幹事の尽力もあり23回も続いているのはすごいですね。時間がある時はなるべく参加するようにしています。
皆さん、ITベンダーでバリバリに活躍されている方ばかりなので現場のいろいろな情報が入るのがありがたいのです。発表が4本あったのですが興味深かったのが同志社女子大学の加藤先生のお話し。ICSBという中小企業を研究する国際組織があり、その日本委員会の副委員長を勤められています。大学の先生が中心になった組織で60ケ所以上にあるそうです。
日本全体の情報分野の開業率は4.7%で廃業率は6.7%あります。これを都道府県単位で分析されたデータを発表されていましたが、地域によっていろいろと特徴があるんですねえ。

信長が2度攻めて落とせなかった高岡城

高岡城
鈴鹿にある高岡城跡。鈴鹿川沿いの標高50メートルほどの高岡山に築かれた山城です。
ここは信長の伊勢侵攻を2度もくいとめた城です。城主は神戸友盛の家老である山路弾正。滝川一益を大将として信長が攻めてきましたが、城はなかなか落ちません。
美濃三人衆の謀反の動きが出てきたこともあり、信長は兵をひきます。翌年にも攻めましたが落ちません。仕方ないので信長は三男・信孝の養子を条件に和睦をすることとなりました。織田信孝は神戸家に入り神戸信孝と名乗りますが、北畠などと同様に結局は信長に乗っ取られます。
高岡城から川向こうを見ると楠城が見えます。直線距離は1.8kmほど。反対側の方にあるのが采女城で、こちらも3kmしか離れていません。楠城、采女城ともに滝川一益に攻め滅ぼされましたが、高岡城からよく見えたでしょう。
郭跡と堀跡が残っています。

徳川家康が攻め落とした丸根砦

丸根砦
大高城がのぞめる小高い丘の上にあるのが丸根砦。鷲津砦と共に織田信長が大高城を封鎖するために築いた付城です。
砦を守っていたのは佐久間盛重。松平元康(後の徳川家康)が率いる岡崎勢に攻め寄せられ、佐久間盛重は清州城の織田信長へ急使を送ります。
そして、「人間五十年、下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり」と敦盛の一節を舞い、茶漬けを食べながら、「螺(ほらがい)を吹け、具足をよこせ」と映画やドラマでよく描かれる信長が出陣していくシーンとなります。
清州城を飛び出した信長は熱田神社で兵がまとまるのを待ち、大高方面へ進軍。やがて信長の目には丸根砦と鷲津砦の陥落を告げる二筋の煙が上がるのが見え、善照寺砦に向かいます。
佐久間盛重らが玉砕した丸根砦ですが、今は住宅地の中に郭跡などが遺構として残っています。もっともマニア以外には単なる土の広場なんですが。

家康が捕虜生活を脱した大高城

大高城
日が長くなってきたので、名古屋市新事業支援センターでの窓口相談が終わってから東海道線に乗って大高城跡に行ってきました。
住宅街の中にあるこんもりとした小山が大高城跡。「大高城跡公園」という矢印のついた小さな看板の所を曲がり民家と民家の間を通る細い路地を登ったところにあります。看板がなければ、絶対に気づきません。
大高城は桶狭間の合戦の前哨戦が行われたところです。大高城は今川義元が奪った城で尾張の最前線。織田信長は周りに砦を築いて対抗します。戦国時代は城のすぐ近くが海岸線でしたが、この海からの補給を砦網で塞いでしまい大高城は孤立してしまいました。
そこで今川義元が大高城を救援するために起こしたのが桶狭間の合戦の発端と言われています。この時、徳川家康が大高城に兵糧を入れる役目を命じられ、丸根砦を落として、見事に兵糧入れに成功します。
やがて大高城へ届いたのが今川義元が織田信長に敗れたという知らせ。撤退して岡崎城へ向かうことになり、家康にとっては、長い捕虜生活から開放され新しい門出となった場所となりました。

日本一短い商店街にある福助

福助
日本一長い商店街は天神橋筋商店街、反対に日本一短い商店街も大阪にあって、それが肥後橋商店街。1分もアーケードを歩けば、商店街を抜けてしまいます。
この商店街にずっとあるのが福助。昼は定食や丼のお店で、夜は居酒屋になりますが、基本的に料理はおまかせになります。東京から知り合いが出てきたので、パソコン通信時代からの仲間が集まって久しぶりに福助で宴会。パソコン通信時代からよく福助を利用していました。
お店は普通の定食屋さんなんですが、宴会では希望にあわせて変わった鍋が出たりします。今回は本当のおまかせで、何が出てくるか分からず、いろいろな料理を楽しめました。
ここの名物がお店のおばちゃん。このおばちゃんに会うために通う常連も多いお店です。

2014年度版 中小企業白書

中小企業白書
官公庁が出す白書の中で一番よく売れている白書です。確かに中小企業の現状がどうなっているのかよく分かる白書でコラムも充実しており、読んで面白い内容になっています。
もっとも中小企業診断士試験の1次の科目に中小企業経営・施策があり、中小企業経営はこの中小企業白書からよく出ますので、受験生は必読です。受験者数が2万名ほどですので、これだけで2万冊ちかくは売れます。(笑)
中小企業白書ですが、今年は中小企業や小規模事業者の笑顔で表紙を埋め尽くそうというプロジェクトが行われました。もちろん水谷IT支援事務所も小規模事業者なので応募。そして6,666名の顔写真で作られた表紙ができあがりました。一覧に名前があることは確認しましたが、この表紙から顔写真を探すのは大変だなあ(笑)

建設業なんでも相談会 事例報告

三重県中小企業診断協会
三重県中小企業診断協会で2ケ月に1回行っている建設業経営研究会がアスト津であり、参加してきました。
三重県中小企業診断協会は会員数が100名ほどで、大阪のようにたくさんの研究会の立ち上げは人数的に難しいため、現在2つの研究会を2ケ月に1回開催しています。私は両方の研究会に出席していますので結局、毎月、研究会があります(笑。)時間は18:30-20:30で、今日は名古屋市新事業支援センターの窓口相談が終わってから津へ戻りましたので、遅刻して参加。
建設業経営研究会では昨年度、三重県各地で開催した建設業なんでも相談会の事例報告を持ち回りでやっています。今回は津と伊勢エリア。相談を担当した駒田さんが講師となり3企業の事例報告。もちろん企業名などは分からない形での報告です。
実は私も一緒に相談を担当したんですが、完璧に忘れています(笑)。ですので聞いていて、なかなか新鮮でした。
3つの支援機関で窓口相談していると相談件数も多いので、1ケ月前の相談はほぼ完璧に忘れています(笑)。2週間前の相談もあやしい状況で、1年前の相談なんて忘却の彼方ですねえ。