江戸時代の宿場が残る関

関宿
日曜日、セミナー前に関宿を歩いてきました。
東海道53次の47番目の宿場町「関宿」は、まさに江戸時代のオープンセット。町屋が200棟以上も現存し、東海道で唯一、往時の町並みが残っています。中山道の奈良井宿も趣きありますが、関宿は規模が大きいですね。
東海道と大和道が分岐する西の追分から、東海道と伊勢別街道が分岐する東の追分までの約1.8kmに街並みが続きます。東の追分にある鳥居は20年に一度の式年遷宮の際に、内宮にある宇治橋の鳥居が新調されますが、それをリサイクルしたもの。もう一つの鳥居は桑名の七里の渡し跡にある鳥居にリサイクルされます。東の追分から伊勢別街道に入ると、そこから伊勢神宮の神域でした。
関宿を全部歩くと、けっこう時間がかかりそうだったので、関駅から西の追分まで歩きましたが、まあまあ距離がありました。
精一杯がんばることを「関の山」と言いますが、語源になっているのが関の山車。全盛期には16台ありましたが、現在は4台となっています。山車が壮麗で、これ以上は豪華にできなかったことと、山車をこれ以上、大きくすると道を巡行できなくなることから「関の山」という慣用句が生まれました。

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