船場勉強会20周年

法善寺
船場勉強会というのは中小企業診断士の勉強会。私も船場勉強会の出身です。
もともとはパソコン通信Nifty-Serveの中にあったFlic(資格)フォーラム。いつもはオンラインで勉強していますので、オフラインでも勉強会を作ろうと札幌、東京、名古屋などに作られました。大阪に作られたのが船場勉強会。受験生が交代で先生となり運営し、Give&Takeがモットーの勉強会です。
20周年を迎え、がんこ寿司法善寺店で宴会。昔、中小企業診断士試験は大阪商業大学で行われていたので、打ち上げといえば同じ近鉄沿線の「がんこ寿司法善寺店」でした。
包丁一本さらしに巻いて~の法善寺横丁にあるお店です。今日はOB3名も参加しての宴会でした。

マネージャー会議(名古屋市新事業支援センター)

名古屋駅
名古屋市新事業支援センターで毎月、開催されているのがマネージャー会議。
マネージャーはプロジェクトマネージャーもいれて全員で6名います。それぞれ出ている曜日もバラバラですので、月1回集職員の方とともに全体で会議をして、情報共有をはかっています。今年はじめてお会いするマネージャーもいるので遅ればせながら新年の挨拶。
各分野のマネージャーが集まりますので、午後はそれぞれの相談で相談室は一杯。来客順にうまっていきますので、私が担当した相談は応接室でした。
明日は神戸で窓口相談ですので、名古屋駅からアーバンライナーで大阪へ戻ります。ビールも買い込んだので万全です。(笑)

西宮砲台

西宮砲台
西宮の浜にあるのが西宮砲台。
作られたのは江戸時代末期です。大河ドラマ「花燃ゆ」をやっていますが、まさにあの時代。徳川家茂の時代に大坂湾の海防のために建造されました。高さが12mもある砲台です。
プチャーチンが率いたロシア艦隊が大坂湾に停泊し、艦隊は鳴尾沖にも姿を見せ大坂や京都が大騒ぎになりました。そこで和田岬砲台、舞子砲台などと共に西宮砲台が作られました。今は浜の向こう側に埋め立て地ができたので海ははるか先になっています。砲台は実戦には一度も使われませんでした。
工事中には勝海舟の案内により徳川家茂、一橋慶喜らが視察。また、神戸海軍塾頭だった坂本龍馬も訪れたといわれています。
幕末、全国的に砲台が作られ、有名なのが品川沖の台場。お台場の第三台場が台場公園となって当時の土塁跡などを見ることができます。津では岩田川の贄崎(にえざき)砲台と塔世川に塔世橋南詰台場が作られました。

額田戎 本えびす

額田戎
本日は本えびす。
毎年、家から歩いて5分ほどの所にある額田戎に行っております。小さな神社なんですが、この3日間だけは賑わいます。神社前にいつもベビーカステラの屋台が出ているんですが、今年は甘栗の屋台が出ていました。西宮のエビス神を勧請した神社で、枚岡神社へ合祀されていましたが、明治時代に後に復社しました。
額田は額田氏が住んでいた土地で、額田氏で有名な人と言えば額田王。神武天皇が東征で攻め入った日下がすぐ近くにあり、額田には行基が開いたお墓が今も残る古い土地ですので、霊験あらたかだろうと、毎年、額田戎に行っております。
縁起物の熊手も買いましたので、えべっさん、あんじょう、たのんまっせ!

西宮戎 宵えびす

西宮戎
午後から尼崎で仕事だったので、その前にちょっと足を伸ばして西宮へ。えべっさんの総本山である西宮戎へ行って商売繁盛をお願いしてきました。
今日は宵えびすの午前中でしたので、境内は身動きができないほどではなく本殿にもすんなり入れました。ただ招福大まぐろには既に行列ができていました。招福大まぐろというのは神前に奉納された、でかいマグロで、このマグロに硬貨をペタペタ貼ると「お金が身につく」といわれています。
西宮戎
明日が本戎で、西宮戎では午前6時に表大門が開かれ、230m離れた本殿へダッシュ。一番福を目指す「開門神事」が行われます。曲がり角でころげたりして、よくテレビで流れる映像です。
西宮戎からちょっと行ったところに辰馬本家酒造(白鹿)があるんですが、覗くと戎限定の「にごり酒」を売っていましたので新酒と共に買ってきました。試飲もあったんですが、さすがに、この後、仕事なので、断りましたが、飲みたかったなあ(笑)

新年会(三重県産業支援センター)

昨晩は津駅近くの「バンブー」という居酒屋さんで新年会。
参加者は三重県産業支援センター内の北端にいるメンバーです。経営支援課の 経営向上班(小規模事業者向け経営革新支援)と新事業支援班(ファンド、創業補助金、設備資金貸付)。
私の机は経営向上班の一角にあります。そうか経営支援課という名前だったんだあ(笑)三重県産業支援センターには週に1回も行っていない状態で、久しぶりに支援センター・メンバーとの飲み会。
飲み放題で、なかなか、おいしい料理でした!

今も残る御土居

ブラタモリ
「笑っていいとも」が終わって復活したのがブラタモリ。レギュラー放送は4月からですが、さっき京都編の特別番組をやっていました。
インクライン、新京極などがテーマでしたが、よかったのが秀吉が作った御土居。京都を外敵から守るのと洪水対策もあって土塁で囲んだのが御土居です。番組では特別に御土居の上をタモリが歩いていましたが、いいなあ(笑)。
洛中・洛外と呼ぶのは、この御土居の中か外かをあらわします。洛は平安京が作られた時に左京を洛陽城、右京を長安城と称していましたが右京は湿地帯で衰退し、左京が栄えたため京都のことを洛というようになります。御土居には出入口がいくつか設けられ、これが丹波口や荒神口などの地名で今も残っています。
都市化によって御土居は一部をのぞいて消えてしまいましたが、昔、勤めていた専門学校の本部が河原町通りの廬山寺近くにあり、裏の窓を開けるとだいぶ低くなっていましたが、この御土居が残っていました。見ても単なる土の山ですが、初めて見た時は「御土居が残っている!!」と興奮したものです。
→ 御土居マップ 今も京都の街に残っています

電子申告が今日からスタート

確定申告
いよいよ確定申告シーズン。確定申告の受付は2015年2月16日(月)~3月16日(月)となりますが、電子申告の場合は本日、1月5日(月)から送信可能となります。
確定申告とは個人が1月1日~12月31日までの収入から支出と控除(住宅ローンなど)を差引き、所得を計算、税務署へ申告書を提出することです。これで2014年度の所得税額が確定します。
■働いているすべての人が対象
働いているすべての人、株式投資で儲けた、年金をもらったなど所得がある人は確定申告しなければなりません。
働いているすべての人が対象ですが会社勤めの人は税務署へ行って申告する必要はありません。毎月、給与から自動的に所得税が天引きされる源泉徴収と年末調整によって経理部門が会社勤めの人のかわりに税務署へ確定申告してくれます。
■源泉徴収制度は戦費の調達のため
源泉徴収制度はもともと戦争遂行財源を調達するために太平洋戦争の直前に導入されました。戦後、GHQから「年末調整ではなく、納税者みずからが税務署に確定申告をすることこそ、民主主義の基礎である」と源泉徴収制度をやめるよう勧告がありました。
ところが税務署にとっては徴税コストがかからず、企業がかわって徴税してくれるため、勧告は受け入れられず現在も続いています。
結果、自分が払っている税金の額をよくわかっていないビジネスマンが多く、政治参加意識が希薄になる原因のひとつといわれています。

身代り申(奈良町)

身代り申
奈良町を歩くと家々の軒先に赤いぬいぐるみが列になってぶら下がっています。身代り申です。
奈良町はかつて元興寺の敷地内で、火災で焼けてしまった本堂跡に建っているのが庚申堂。庚申とは人のお腹のなかには「三尸の虫」という虫がいて、庚申の日の夜に人々が寝静まってから体からぬけだし、その人がしてきた悪事を天帝に告げにいくといわれています。
天帝が天の邪鬼に命じてその人に罰を与えるので、人々は三尸の虫がぬけださないように寝ずに過ごす習わしがありました。上方落語の「宿屋仇」などのテーマにもなっています。
さらに心配な人は天の邪鬼が嫌いな「身代り申」を吊るし、三尸の虫の嫌いなコンニャクを食べて悪魔を退散させます。庚申の日に徹夜する風習はなくなりましたが身代り申をつるし信仰は奈良町に残っています。
元興寺は蘇我入鹿が建立した日本最古の法興寺を平城京へ移転したものですが、不思議なことに元の法興寺はそのまま残っています。また元興寺は童子による鬼退治で有名ですが、この童子がやがて法師となり、故郷へ帰って建てたのが尾張元興寺。金山駅のすぐそばにあります。

奈良の正月

せんとくん
大晦日から正月にかけて津へ帰省していましたが、仕事でしょっちゅう津へ行っているので新鮮味はほとんどなし(笑)。
2日、3日は奥さんの実家の奈良へ。
最近は猿沢池近くの飛鳥苑に親類中が集まって一泊しています。飛鳥苑には露天風呂があり朝6時からやっていますので毎年、入っています。露天風呂の目の前に興福寺の五重塔があり、朝6時には興福寺の鐘がなり、なかなか風情があります。黎明の中で見る五重塔もオツですねえ。
朝から飛鳥苑のすぐ近くの奈良町を散策しましたが、観光客が多いですねえ。円安の影響か海外からの観光客も多かったです。