バビルの塔へ

バビルの塔
今日は大阪よろず支援拠点で窓口相談。ランチは「バビルの塔」へ行ってきました。「バビルの塔」といっても横山光輝のマンガではありません。
裏谷四(谷町四丁目の西側)と呼ばれているカレー激戦地にある有名なお店。マイドーム大阪のすぐ近くで、いつ行っても行列なんですが、さすがに台風の日はすいていて、ようやく店内に入れました。店主一人でやっているお店で、カウンター4席&2人×3席、1回転10人の小さなお店。カレーがなくなり次第、終了というお店で、いつもの行列をみていると3回転以上はしているはずです。
メニューは肉カレーと豆カレーで、今日の肉カレーはタコブツ・キーマカレー。タコがゴロゴロ入ったスパイシーカレーでした。店名の由来は店主が、子供の頃、地元で流行していたびっくりした時に使う「バビる」というスラングと「バビル2世」からつけたそうです。やっぱり横山光輝なんですね(笑)誰もがバビるような(びっくりするような)スパイシーカレーでバベルの塔のように頂点を目指すそうです。聖書に出てくるバベルの塔は神さんに壊されたので、バビルの塔と命名。
コンピューターに囲まれた~あ....ロデム変身、地を駆けろ!古いな~あ。
それにしても裏谷四は個性あふれたカレー屋が多いですね。全店制覇するのは、なかなか大変です。

ガチャコン電車

近江鉄道
近江を走るローカル線が近江鉄道。
近江鉄道は西武グループの系列会社で、黄色いライオンズカラーの電車が走っています。ほとんどが西武電車のお古。近江は西武を創業した堤康次郎の出身地でもあり、レオマークをつけた近江タクシーや近江バスがよく走っています。西武大津店や大津プリンスホテルもあります。そんな関係か関西では珍しく、滋賀県で一番人気のプロ野球チームは埼玉西武ライオンズになっています。レオマークの刷り込みのせいでしょう。
新幹線で大阪から東京へ向かう時、左側(西側)を近江鉄道が走るのが見えます。近江八幡を超えて観音寺城跡を過ぎたあたりから、彦根城が見えそうになる彦根の手前ぐらいまで新幹線と並走しています。1時間に1本から2本しか走っていませんので、近江鉄道の2両車輛の電車を見るのはかなりレアです。
近江鉄道の本線が東海道線・米原駅と草津線。貴生川を結ぶ線。日野商人の里でる八日市から近江八幡や多賀大社を結ぶ線もあります。近江人は近江鉄道を「ガチャコン」と呼ぶそうで、がちゃこーん、がちゃこーんと走るからというのが、その理由です。

ウクライナ最新事情

ウクライナ最新事情
昨夜は大阪産業創造館で知的生産の技術研究会・関西セミナー。
7月は日本ウクライナ文化交流協会会長で先日、キエフから戻られた小野さんに現地の写真もふまえて最新のウクライナ情勢について話をしてもらいました。またキエフ大学を卒業されたエフゲーニヤさんにウクライナ人の考え方などについてもうかがいました。
■印象的だった話
・ロシアがジョージア(グルジア)侵攻するSF映画を作っているが、馬鹿なジョージア人をきちんと統治してあげるんだという、ひどい内容。ロシアがジョージア(グルジア)へ進攻したのは、ウクライナ侵攻の予行演習だったとウクライナ人は考えている。
・ロシア人、ウクライナ人の夫婦も多く、問題は複雑(ウクライナ、ロシア、ベラルーシは東スラブで同根)
・ウクライナ人のユーモアセンスはすごくプーチンの顔を印刷したトイレットペーパー(プーチンの□□野郎と書かれている)やクレムリンの形のバーベキューセット(シャシリクという)が販売されています。バーベキューをするといかにもクレムリンが燃えているように見えるのがミソ。
・戦争中のキエフ周辺の不動産価格は下がっていますが東京の不動産会社が、そういった不動産を買っているそうで、戦争が落ち着いて値上がりしたところで売るつもりとか、もちろん中国人もたくさんキエフに来ているそうです。
・6月5日に安倍首相がキエフを訪れ、約2300億円の支援を表明日本の首相が初めて訪問したが現地の報道は少なかったそうです。同時期にウクライナからの移民が多いカナダ首相がウクライナを訪問しており、ロシアはけしからんと発言していたことから報道はこっちばかり。

ニューホライズンズ プレイステーションと同じCPUで冥王星へ

宇宙
冥王星は惑星じゃなかった
「すいきんちかもくどってんかいめい(水金地火木土天海冥)」と覚えた冥王星。太陽系第9惑星と学校で習いましたが、2006年8月に冥王星は惑星じゃなく準惑星に分類されてしまいました。「美少女戦士セーラームーン」ではセーラープルートが出ていましたが、まさか冥王星が準惑星になるとは原作者も思っていなかったでしょう。
まだ冥王星が惑星だと信じられていた2006年1月、冥王星を目指してNASAが打ち上げたのが探査機「ニュー・ホライズンズ」。人類初の太陽系外縁天体の探査を行う探査機です。発射後9時間で月軌道を通過し、13ヵ月後に木星をスイングバイ(木星の引力を利用して探査機を加速)しました。
ニュー・ホライズンズは太陽からどんどん離れていきますので、太陽電池は使えません。代わりに原子力電池を搭載しています。ミッション用機器の他には1930年に冥王星を発見したクライド・トンボーの遺灰が搭載されています。
冥王星に近づき探査を開始
打ち上げ以来、9年間をかけて冥王星に近づき、2015年に入り、いよいよ観測を開始しました。太陽から約56億kmも離れていますので冥王星軌道からの通信速度はたったの800bpsほど。パソコン通信時代によく使われていたモデムが2400bpsでしたので、それよりも遅い通信速度です。
ニュー・ホライズンズには8GBのフラッシュメモリが搭載されていますので、まずフラッシュメモリに探査データを蓄積して、数ヶ月かけて地球へ送り届けます。
2015年6月初旬から冥王星の本格的観測に入り、予定では7月14日に冥王星を最接近します。冥王星の衛星であるカロンの公転軌道内側を通りますので、冥王星とカロンの近接写真を撮影するのがミッションになっています。8月ぐらいに冥王星探査を終了し、データを地球へ送ります。
初代プレイステーションと同じCPUが搭載されている
ニュー・ホライズンズには「マングース-V」というマイクロプロセッサが搭載されていますが、これはMIPS社のR3000という32bitマイクロプロセッサの放射線対応版。R3000はいろいろなコンピュータで使われ、ソニーでは初代プレイステーションとプレイステーション2に採用されています。映画「ジュラッシクパーク」を作るのに使われたシリコングラフィックス社のIndigoにも採用されています。
過酷な宇宙空間を行く探査機に搭載するので要求されるのは信頼性。高性能なマイクロプロセッサもありますが、肝心な時にトラブルを起こしてもらったら困りますので、R3000が選ばれたのでしょう。例えば、アポロ11号の月着陸で使われたコンピュータは高機能電卓やファミコンよりも処理能力が劣りました。
冥王星探査を終えた後、ニュー・ホライズンズは2020年頃、彗星の故郷といわれるエッジワース・カイパーベルトを観測し、その後は太陽系を脱出していきます。

一度しか使われなかった水口城・御殿

水口城
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は長束正家が城主だった水口岡山城を破壊。
水口は徳川家の直轄地となりました。やがて東海道の宿場町として整備され、3代将軍・徳川家光が、京都への上洛用宿として水口城を築かせました。今度は山城ではなく平城です。作事奉行は茶道や庭造りで有名な小堀遠州で、本丸には豪華な御殿が作られましたが、御殿が将軍の宿舎として使われたのは、結局、家光の上洛1回限りだったようです。何とももったいない話。
賤ヶ岳・七本槍の一人である加藤嘉明の孫が近江水口藩の初代藩主となり、途中、少し交代もありましたが、加藤家が幕末まで続きました。水口城の御殿は将軍宿所として作られたこともあり、藩庁などとして使うのは抵抗があったのか、二の丸に建てた藩庁で政務が行われました。
結局、100年ほど経ったころ、本丸の御殿は壊され、空き地のまま明治維新を迎えます。今は水口高校のグラウンドになっています。二の丸は市街化でなくなってしまいましたが、出丸があった部分に水口城資料館が造られています。
湧水を利用した堀に青い水をたたえていたことから、別名「碧水城」と呼ばれていましたが、堀の水はかなり濁っていました。城を取り囲む堀は残っていますが、石垣は乾櫓の跡など一部だけを残し、近江鉄道の線路敷設に使用されたようです。すぐ近くに近江鉄道・水口城南駅があります。

秀吉が築き、家康が破壊した水口岡山城

水口岡山城
東海道に水口宿があります。
場所は甲賀忍者で名高い、滋賀県甲賀で東海道が通っており、土山宿を過ぎると鈴鹿峠で伊勢へ出ることができます。この東海道を見下ろす位置にあるのが水口岡山城。秀吉が家康に備えるために造った最前線の山城です。
発掘調査で高さ9メートルの石垣が見つかり、新聞にも大きく掲載されたので、気になっていた山城です。 東西の尾根筋に5つ曲輪を連郭式に配置し、各曲輪間には堀切がもうけられ、800メートル以上もの長さになっています。見事に曲輪が残っていて、発掘調査も引き続き行われていました。
■城主・長束正家
水口岡山城を造ったのは秀吉の重臣の中村一氏。小牧・長久手の戦いの後ですので、仮想敵国は家康です。やがて家康が秀吉に臣従し、江戸に移ると、中村一氏は東の備えとして駿河を守ることになります。その後、城主になったのが秀吉を支えた五奉行の増田長盛や長束正家。
長束正家は映画「のぼうの城」では平岳大が演じており、交渉にきた長束正家の横柄な態度に怒った成田長親が忍城をまくらに石田三成軍と戦います。
関ケ原の戦いで、長束正家は西軍に属して敗れ、水口岡山城に戻ったところを家康軍に攻められ最後は自害します。この後、水口岡山城は東海道から見える側を特に徹底的に破壊されました。豊臣時代が終わり、家康の時代がきたというアピールだったようです。

津堂城山古墳を活用した小山城

津堂城山古墳
後藤又兵衛が亡くなった小松山から石川を渡ると、道明寺です。
ここには古市古墳群があり、藤井寺と八尾の境に津堂城山古墳があります。前方後円墳なんですが、南北朝時代に古墳の地形を利用して小山城が築かれました。河内国・守護職畠山氏の時代は古市にある高屋城が主城でしたが、安見氏を小山城に入れて高屋城の支城にしたようです。高屋城、小山城だけでなく近くにある丹下城も大塚山古墳を利用していて、この辺りの城は古墳ばかり活用しています。リサイクルですねえ。
小山城は古墳の丘陵を使って本丸、南西下に二ノ丸、堀を挟んで南西に三ノ丸と続いていました。城にしてしまったので古墳の形が崩れ、明治の頃は古墳ではなく城跡だとみんな思っていたようで、本丸などの小字名がつけられていました。ところが明治の終わりぐらいに石棺などが発見され、宮内庁はあわてて発見された後円部頂部を陵墓参考地に治定しました。この頂部以外は立入ができますが、城跡というより古墳の雰囲気ですねえ。
スーツ姿で十分に登れる城です。

14もの曲輪などが見つかった高取城

高取城
昨日の朝刊を見て、驚いたのが高取城の記事。
高取城とは、奈良にある日本三大山城の一つです。他の2つは岩室城(岐阜)と備中松山城(岡山)。高取城の最寄駅は近鉄・吉野線「壺阪山駅」で、駅から1時間ほど歩くと城の入口に到達できます。入口から350メートルほど登りますので、けっこう足にこたえます。高取城は曲輪の連なった連郭式の山城で、南北朝時代に造られ、幕末まで続いた城です。幕末には天誅組の変の舞台となりました。
高取城では今までもいろいろな調査が行われていましたが新たに空堀や曲輪跡が14ケ所も見つかりました。2013年にヘリコプターで、高取城の上空500メートルからレーザ計測。3次元航空レーザー計測システムを活用し、高取城の精密な立体地図を作成したところ、今までの縄張図になかった曲輪跡や堀切跡が見つかったそうです。
山城の多くは藪で覆われていますので曲輪跡を確認するだけでも大変。有名どころの山城でいいので、続々とレーザー計測をやってくれいなかなあ。三好長慶の芥川山城(高槻)などは、ぜひやってほしいですねえ。
お城ジオラマ復元堂から長篠城、高天神城という、なかなか渋い城のジオラマが発売されていますが、やっぱりオリジナルがよいので、ぜひとも山城の3次元計測データを公開してほしいですね。3次元プリンターを買って、3次元計測データをセットすれば、城の縄張を3次元で表現できます。
今までは縄張図をもって山城へ出かけ、堀切があることは図で分かりますが、深さまでは表現できないので、現地で確認します。3次元縄張を持っていけば自分が曲輪のどこにいるかも一目瞭然。藪で見えない堀切も確認できますので山城巡りが面白くなりそうです。ちょうど募集中の「ものづくり補助金」に応募して3次元プリンターを買おうかなあ。ウーン、絶対に落とされるなあ。(笑)

後藤又兵衛が散った小松山の戦い

小松山
大河ドラマ「黒田官兵衛」では後藤又兵衛を塚本高史が演じていました。来年の「真田丸」では誰が演じるんでしょうね。専門家派遣が昼過ぎに終わったので河内国分へ出かけてきました。
ここは奈良から天王寺へ向かうJR大和路線が通っています。京都から大阪へ大軍が移動するには大阪の東側に生駒山脈があるので、枚方から星田、河内森に入るか、奈良をずっと迂回して河内国分へ出るしかありません。
大坂冬の陣で大坂城の堀は埋められ大坂方は野戦で勝負するしかありません。そこで河内平野に出てくる河内国分の隘路でたたこうと大坂城を出陣。
■小松山の戦い
第一陣の後藤又兵衛が道明寺に着くと徳川軍が既に河内国分に展開していました。後続部隊が到着していませんが、このまま河内平野に入られるとまずいので、徳川軍が河内平野に向かう時、たちふさがる位置にある小松山に陣をはります。大和川がすぐ近くを流れていて進軍できるところが狭いため、小松山から鉄砲を討たれると実にイヤな所です。
小松山は玉手山の尾根にある山のひとつで頂上には老人福祉センター「やすらぎの園」があります。このあたりが激戦地となりましたが、今や住宅地。かなりの坂道で頂上まで上がると息もたえだえですが、眺めはとってもいいです。ハルカスが見えますが、当時は大坂城も見えたでしょう。
後藤隊は善戦し、徳川軍の損害も大きかったのですが、徳川軍は後続部隊が次々、到着するため多勢に無勢、8時間もの激闘の末、後藤又兵衛は戦死、後藤隊は壊滅します。この後、真田幸村が道明寺で徳川軍で一矢むくいますので来年の大河ドラマでも小松山の戦いは出てくるでしょう。