明智光秀が造った坂本城

坂本城
宇佐山城へ行ったついでに坂本城へ寄ってきました。といっても城跡は何も残っていなくって碑があるだけ。中堀跡などは街道に姿を変えています。
坂本城は琵琶湖に面して作られた平城で、造ったのは明智光秀。坂本は比叡山の物資輸送のために港町として繁栄していました。織田信長は宇佐山城の城主となった明智光秀に比叡山焼き討ちの後、滋賀郡の支配をまかせ、坂本城を築城させます。この時に宇佐山城は廃城になったようです。信長は安土城をこの後に作るために坂本城で実験的なことをやっていたようで天守も造られました。一説には姫路城のような大天守と小天守が並び建つ壮麗な城だったそうです。
坂本城内から船に乗り、直接、安土城へ行けました。信長が琵琶湖に長浜城(秀吉)、安土城、坂本城(光秀)、大溝城(織田信澄)の菱型になる湖上ネットワークを作り上げますが、その第一弾となったのが坂本城です。
■坂本城の落城
新暦の6月21日に山崎の戦で敗れた明智光秀は勝竜寺城を抜け出し、坂本城を目指している途中、山城国の小栗栖周辺で百姓らに襲われ亡くなります。明智光秀の重臣だった明智秀満は山崎の戦いでの敗北を聞き、安土城を出て、坂本城へ向かいます既に坂本城は秀吉軍に囲まれていたた琵琶湖を馬を操りながら渡ります。これが名高い「明智左馬助の湖水渡り」。もののけ姫でアシタカがヤックルと一緒に海を渡るシーンが出てきますが、まるで「明智左馬助の湖水渡りだ!」と思った人も多いでしょう。
明智秀満は秀吉方の堀秀政に城にあった先祖代々の家宝を明け渡した後、天守に火を放ち、光秀の妻子もろとも落城。そんな潔い人物だったので安土城を退去する際、安土城を燃やしたのは明智秀満ではないのではという説もあります。「本能寺の変 431年目の真実」(文芸社文庫)では徳川家康の別働隊が安土城に火をつけたという説が出ていましたが、これもどうですかねえ。
焼けた坂本城は再建されましたが、後に大津城ができたので廃城となります。大津城、膳所城ともに琵琶湖に面して本丸が造られていて、坂本城がモデルとなりました。
■いよいよ清州会議
織田家の今後を決定する清州会議が来週、7月16日(木)に尾張の清洲で開催されます。出席メンバーは柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4名。1582年の今日あたり、秀吉はどう会議を乗り切るか思案に思案を重ねていたことでしょう。

織田信長が危なった宇佐山城

宇佐山城
京都から大津に出るには逢坂関を超える道(国道1号線)と山中超えの2つがありましたが、織田信長はこの2つの道を封鎖し、新たな道を通しました。この新道が現在の県道30号線で、俗にいう山中越えになっています。
この道のすぐ横にある宇佐山山頂に築いたのが宇佐山城。城から新道を見下ろすことができ京都への物流を抑える重要拠点でした。山づたいに行けば敵対していた比叡山ですので、兵站を守る拠点でもあります。城を守っていたのは森蘭丸のお父さん・森可成です。
■志賀の陣
三好三人衆が摂津で起こした野田城・福島城の戦いに織田信長が出かけます。この戦いで突如、起きたのが石山本願寺の参戦。10年におよぶ石山本願寺との戦いが始まります。
滋賀では浅井・朝倉連合軍が信長の背後をつこうと湖西を南下。京都から信長の弟である織田信治が兵を率いて、森可成と合流。坂本で浅井・朝倉連合軍を迎え撃ちましたが、織田軍の数は少なく、比叡山の僧兵まで加わったため森可成、織田信治は討死。
連合軍は宇佐山城も攻めましたが、城兵が守りきり落城を免れます。織田信長は摂津から急遽、宇佐山城の救援に向かいます。浅井・朝倉連合軍は比叡山に入り、こう着状況が続きます。結局、信長は浅井・朝倉連合軍と和議を結ぶことで窮地を脱します。この時が一番、危なかったですね。
■宇佐山城
主郭にはNHKなどのアンテナ施設が建っていますが、信長時代の石垣や堀切などが見事に残っています。大きな郭は3つあり、3の郭からは琵琶湖が一望できます。琵琶湖から見える側の郭はすべて石垣が積まれていたようで、当時はけっこうなデモンストレーションになったでしょう。

近畿の名城を歩く

近畿の名城を歩く
大阪は昨日が曇で、今日は雨という天気予報でしたが逆になりました。
今日はずっと雨だと思っていたので、これだったら城巡りでもしたらよかったな~あ。まあ、昨日は尼ヶ辻への用事のついでに宝来城へ行けたのでラッキー。
というわけでお酒を飲みながら「近畿の名城を歩く 滋賀・京都・奈良編」を読んでいます。ご存じ、「大阪・兵庫・和歌山編」の続編です。
滋賀県
玄蕃尾城/小谷城/下坂氏館・三田村氏館/上平寺城/男鬼入谷城/鎌刃城/佐和山城/彦根城/山崎山城/敏満寺城/安土城/観音寺城/八幡山城/後藤氏館/井元城/小脇館/小堤城山城/佐久良城/中野城/新宮城/土山城/水口岡山城/上鈎寺内/大津城/宇佐山城/壺笠山城/坂本城/清水山城
京都府
大俣城/今熊野城・阿弥陀峰城/金屋城・三縁廃寺/大内城/平山城/日置谷城/栗城/位田城/宍人城/八木城/法貴山城/笑路城/神尾山城/周山城/一乗寺城/北白川城/中尾城/如意岳城/霊山城/峰ケ堂城/聚楽第/御土居/伏見城/山科本願寺/物集女城/勝龍寺城/山崎城/槙島城/田辺城/鹿背山城/笠置山城/田山西の城
奈良県
多聞城/西方院山城/古市城/郡山城/筒井城/番条環濠/立野城/竜王城/布留遺跡居館/菅田遺跡/信貴城/今井寺内町/十市平城/布施城/楢原城/佐味城/佐比山城・多田北城/赤埴城/沢城/秋山城(宇陀松山城)
が掲載されています。縄張図もあり、いいですね~え!

天皇陵じゃなく城跡だった宝来城

宝来城
奈良の尼ヶ辻(西大寺の次の駅)に用事があったので宝来城に寄ってきました。
宝来城といいながら、実は安康天皇陵になっています。古墳を山城にしているケースは多く、大阪なら古市にある高屋城、大塚山古墳を活用した丹下城、大坂冬の陣において徳川秀忠が陣城にした御勝山古墳などがあります。
古墳だと思われていたが実は城だったというところもあり、天王寺公園にある茶臼山古墳。大坂冬の陣では徳川家康の陣城になり、夏の陣では真田幸村の本陣がおかれました、古墳じゃないという説が出ています。
宝来城も同様で、戦国時代の城でしたが、何がどうなったのか宮内庁が城跡を天皇陵にしてしまいました。宝来城は大和の国の国人の一人だった宝来氏の城で松永久秀と戦った記録が多聞院日記などに出ています。
安康天皇陵の北側にまわると堀越しに城跡を見ることができますが、どう見ても櫓台跡だし、土橋があって虎口につながっているところが、よく見えます。こんなに城跡だと分かるところなのに、なんで天皇陵にしてしまったんですかねえ。でも、街中に城跡がそのまま残ったという効果がありました。

大阪活版所

大阪活版所
マイドーム大阪のすぐ近くにあるのが大阪活版所跡の碑。
活版印刷というのは活字を組み合わせて版を作り、印刷するやり方です。銀河鉄道の夜の冒頭で主人公ジョバンニが小さな箱に活字を拾って版を作るアルバイトをしているシーンがでてきますが、あれが活版です。
コンピュータで印刷するDTP時代となり活版印刷は、すっかり見なくなりました。活版の歴史は古く、764年に藤原仲麻呂の乱を平定した称徳天皇によって印刷された百万塔陀羅尼があります。時たま古書業界に出回っており、700万円ほどで買うことができます。ほぼ正倉院の時代のものですので安いものでしょう。(笑)
その後は木を削った木版印刷が主となりました。ところが天正遣欧少年使節の時にヨーロッパから活字と印刷機を持ってきて作られたキリシタン版などが登場します。イエズス会が発行した書物ですが、これは部数も少なく、天理図書館や上智大学などにあります。徳川家康も活版印刷をしており、これが駿河版。美術本として有名な本阿弥光悦の嵯峨本などはありましたが江戸時代は木版印刷が主流となります。
やがて明治となり活版印刷が復活します。まず長崎に新町活版所が作られますが、その後にできたのが大阪活版所。明治3年に五代友厚の懇望をうけ本木昌造が作りました。マイドーム大阪のすぐ近くにある地から大阪の近代印刷がスタートします。

神戸サンパルと「なでしこジャパン」との関係

サンパル
サンパル6階にある「ひょうご産業活性化センター」で窓口相談。
朝、エレベータに乗ろうとサンパル1階に入ると、フロアーにずらっとイスが並べられ、テレビのインタビューを受けている人がいました。「なんだ、なんだ、この騒動は!」と思ったら、イングランド戦を戦う「なでしこジャパン」の試合観戦のようです。サンパルと「なでしこジャパン」がどう関係するのかなと思ったら、サンパル近くがINAC神戸レオネッサ発祥の地なんだそうです。
INAC神戸レオネッサから「なでしこジャパン」には7名の代表選手が出ています。このINAC神戸の応援会長を務めるのがサンパルにある文具店店主。文具店というと1階の富士商会・店主ですかねえ。なんでもINAC神戸・創世記の事務所が、サンパル近くにあり、選手もよくサンパルに買物に来ていたそうです。その当時から応援していた歴史があるので長いですね。
港町神戸には明治初期、いち早く欧米からサッカーが伝わったこともあり、日本最初の女子チームが誕生したのが神戸。1981年、女子サッカーで国内初の国際試合(今回と同じ日本対イングランド戦)が開催されていたのも神戸なんだそうです。へ~え、サンパルは日本女子サッカーと深い縁があったんですねえ。

伊勢鳥羽志摩サミット

伊勢商工会議所
午後は伊勢商工会議所でIT窓口相談。
近鉄・宇治山田駅を降りると伊勢志摩サミット決定という看板がありましたが、伊勢商工会議所前にもありました。サミット会場となる賢島があるのは志摩市。
伊勢志摩サミットとなっていますが、伊勢市と志摩市の間には鳥羽市がありますので、本当は伊勢鳥羽志摩サミット(笑)。このままだと鳥羽市が埋没すると、東京で海女を描いたバスを走らせるなど鳥羽市では知名度アップに今からいろいろと仕掛けをしていくようです。
JR参宮線は鳥羽駅が終点。賢島へ行くには近鉄しかありませんが、鳥羽駅から先は基本的に単線。しかも普通と特急しかなく急行はありません。近鉄・特急は特急券がいるので普通に乗っていくと、なかなか鄙びいていて風情があります。
もともとは志摩電気鉄道というローカル線がスタートで、そこらへんに急勾配や急カーブがあり、特急もあんまりスピードが出ない路線になっています。特に鳥羽駅近くはなかなかすごいですね。そうそう九鬼水軍の居城だった鳥羽城のすぐ横を通っていきます。