八尾飛行場の予備滑走路

八尾飛行場
日本一短い商店街・肥後橋商店街の近くにあるのが靭(うつぼ)公園。ここが終戦後にアメリカ軍が作った靱飛行場跡というのは有名な話です。
八尾飛行場は現在もありますが戦時中は大正飛行場と呼ばれていました。アメリカ軍による飛行場への攻撃が多くなったため近くに予備滑走路が作られたそうです。現在の府道八尾枚方線の一部がそうで、戦後は府道に転用されました。確かにまっすぐな道路が続いています。
戦後70周年特集を関西のテレビ局でやっていて紹介していました。予備滑走路が八尾にあったんですねえ。一時、八尾の高安に住んでいましたが、知りませんでした。
この滑走路跡の近くには大坂夏の陣・八尾・若江の戦いで、藤堂高虎、井伊直孝の両軍と戦い敗れた木村重成の墓があります。徳川家康が木村重成の首実験をした時に、兜をとった髪から香の香りが漂ったことから戦いに挑む姿勢に感心し、ほめたたえます。

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