時の鐘

時の鐘
大阪府よろず支援拠点が入っているマイドーム大阪の近くに釣鐘町があり、「時の鐘」があります。
そもそもは大坂の陣で燃えてしまった町を復興するために徳川家光が大坂三郷の地子銀(固定資産税)の永代免除を決定しました。大坂三郷とは北組、南組、天満組から構成された街で大坂の町人が住む町でした。各組では惣年寄が選出され運営にあたっていました。当時の地子銀は1年間で178貫934匁ですので現在の価値では1億9600万円ほど。
三郷の総年寄は評議して、恩恵を忘れないよう鐘を造り、時刻を伝えることにしました。これが1634年に作られた大坂町中時報鐘「時の鐘」です。釣鐘は釣鐘屋敷に設置され、江戸時代、4回の火事にあいますが鐘は無事でした。
近松門左衛門の曽根崎心中にはお初と徳兵衛が曽根崎の露天神の森へ向かう途中、この「時の鐘」が鳴り、「あれ数うれば暁の七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の 鐘の響きの聞納め 寂滅為楽と響くなり」と出てきます。
明治となり、「時の鐘」は廃止になります。鐘楼は撤去されて、釣鐘は近くの長光寺に預けられます。時報は大阪城内から打ち出す号砲となり、「お城のドン」と呼ばれました。1985年に釣鐘屋敷跡に里帰りすることになり、また釣鐘町へ戻ってきました。

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