小西行長陣跡(関ヶ原)

小西行長陣跡
しばらく途切れていた関ヶ原シリーズです。お待たせしました!
そんなシリーズ誰も待っていないって。(笑)
まあ、そうおっしゃらずに、第六回は小西行長陣跡です。
小西行長はもともと堺の薬種商人出身で家は朝鮮人参などの輸入にも携わっていました。やがて岡山の商人の家に養子に入ったことから宇喜多直家の元を訪れるようになり、ヘッドハンティングを受け家臣となります。秀吉の毛利攻めの際、宇喜多直家が秀吉側につくことを決めた時、秀吉との交渉にあたったのが小西行長。才能を見込んだ秀吉は小西行長を家臣にし、やがて大名にまで上りつめます。最終的には秀吉軍のロジスティックスと水軍の長にもなりました。小西家は貿易の利もあり一家でキリシタンになっており小西行長もキリシタンでした。
秀吉との関係がおかしくなるのはバテレン追放令が出たあたりからで、追放された高山右近を自身の領地だった小豆島に匿います。領地を失っても信仰を捨てない高山右近に感銘をうけたようです。文禄の役では先鋒をつとめ、石田三成と共に明との講和交渉を行っていますが秀吉に内緒で交渉したため、秀吉の逆鱗に触れることとなります。貿易もしていた小西家ですので外交に関して秀吉とはだいぶ感覚が違っていたようです。秀吉から心が離れ、秀吉が死んだ頃には領土(熊本の南の宇土)があった九州全土の支配を考えていました。ここらへんは黒田官兵衛と同じですね。
関ヶ原の合戦が起きた時、九州を領有する絶好の機会と考え三成に味方します。小西行長の陣は宇喜多秀家の陣の隣でした。秀家は最初に家臣に取り立ててもらった宇喜多直家の息子ですので感慨深いものがあったのでしょうね。
小西行長の陣跡のすぐ近くに関ヶ原の開戦の碑が建っていますが、実際に開戦があったのはもう少し南の宇喜多秀家陣で、ここで東軍の福島正則軍とぶつかり関ヶ原の合戦がはじまりました。

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