小牧・長久手の合戦の舞台 岩崎城

岩崎城
専門家派遣のついでに地下鉄・星ヶ丘駅から名鉄バスに乗って岩崎城へ出かけてきました。
現在は公園になっていて立派な模擬天守が建っていますが、戦国時代のいわゆる土の城で、こんな天守はありませんでした。中は博物館になっています。外観がこの模擬天守なんで、あまり期待せずに行ったのですが、城の周りの空堀や櫓台跡、西の曲輪などが見事に残っていました。なかなか見応えがあります。
■小牧・長久手の合戦
こう着状態に陥った小牧・長久手の合戦で、池田恒興が長躯して家康の岡崎を狙おうと進言。これが認められて進軍しますが、第一軍の池田恒興の前に立ちはだかったのが岩崎城。池田隊7000に対し、300の兵で守っていましたので降伏してもよかったのですが徹底抗戦し、玉砕してしまいます。
これが足止めとなり、岡崎を目指す第三軍に家康軍が襲い掛かり、池田恒興、森長可らが討死することになります。
■織田信秀が築城
岩崎城を造ったのは信長のお父さんである織田信秀。ところが家康の祖父である松平清康に攻められて城が獲られてしまいます。この松平清康、矢田川沿いにある守山城にいたところを部下に暗殺されてしまい、松平家は没落し、竹千代(家康)は今川家の人質になることになります。
城は名門・一色氏の一族である丹羽氏の城となり、小牧・長久手の合戦でも丹羽氏が守っていました。

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