データ保存はテープがあたりまえだった

カセット
先日、行った博物館に懐かしいモノが置いてありました。データ保存用のカセットテープです。
最近、Dropboxを使うことが多く、USBメモリーを持ち歩くことがなくなりました。USBメモリーの一世代前は、フロッピーディスクやZIPドライブなどを活用していました。
当時のパソコンはフロッピーディスクを2枚入れる形が標準でした。これがAドライブとBドライブです。ハードディスクが登場し、Cドライブになります。今やフロッピーディスクがなくなりハードディスクのみになっていますが、この頃の名残で今もCドライブになっています。
フロッピーよりもさらに昔に使っていたのがカセットテープです。今では信じられないでしょうがプログラムやデータをカセットテープに保存していた時代がありました。当時はパソコンという言葉はなくマイコンと呼ばれた時代、再生すると「ぴーひょろひょろ」とFAXみたいな音がしました。
懐かしいな~あ。というか歳をとったな~あ(笑)。
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事例発表フォーラムが終了し打ち上げ

マイドーム大阪

本日はマイドーム大阪2階ホールで大阪府よろず支援拠点の事例発表フォーラム。まずは6社の事例発表を行い、休憩後にワールドカフェ方式でグループディスカッションを行いました。
 
終わってから手分けして個別相談に対応してからマイドーム大阪8階に移動。スタッフ一同で打ち上げを開催しました。8階に会議室があるのは知っていたのですが奥にサロン室があり庭園の横にゆったりとしたスペースがあるんですね。初めてはいりました。
 
料理もおいしかったですね。けっこうワインを飲んで、家へ帰ってきました。

素人が商業出版するためのリアルな方法 知研関西

駒井俊雄
昨日は知的生産の技術研究会・関西セミナー。
株式会社クリエート・バリュー代表取締役 駒井俊雄氏「素人が商業出版するためのリアな方法」-『「廃業寸前」が世界トップ企業になった奇跡の物語』出版秘話ーというタイトルで話をしてもらいました。
「うちの事業部が身売りされるらしい! 」
「ひょっとすると廃業もあるそうだ! 」
タイガーや象印に負け続け万年3位だったステンレス製魔法瓶の「サーモス」が、負け犬集団を脱して、ついには常勝軍団になっていく過程を描いた実話に基づいた小説です。初版は4千部で現在、増刷がかかりよく売れています。
リアル下町ロケットの内容になっていますが、本を出すまでには数々の困難がありました。そんな出版秘話を楽しくお話しいただきました。
■出版の種類
出版には商業出版、自費出版、共同出版があり、最近多いのが共同出版。出版社と著者の双方が出版費用を負担する形でブランディング出版、アライアンス出版と営業してくる場合があります。ただ共同出版で最初の本を出してしまうと、次に商業出版を出そうとすると共同出版でないと本が出せない著者と見られがちでハードルがあがります。
■売れる本を出すためには
1.力のある出版社を選ぶ
出版エージェント経由で出版社にアプローチしたとことろ3社からオファーがあり、ぱる出版に決定。営業が本屋に強く、平積みなど
本屋で目立つようにしてくれた。
2.日経に広告が出た
相場では350万円ほどの大きな広告を、出版社が出してくれたためアマゾンのいろいろなカテゴリーで1位となり、2週間売切になってしまった。
3.手書きPOPを作り書店巡り
ベストセラーを出している作家も皆さんやっており、北海道から九州まで経費はかかったが書店巡りをした。

スーツで登れる家所城

家所城
金曜日、午後から夜にかけてセミナーがダブルヘッダーでしたが午前中、時間が空いていたので家所城へ出かけてきました。
家所城には津新町駅から穴倉行きのバスに乗っていきます。バスは2時間に1本しかないのですが、ちょうど行って帰ってこれるバスがありました。場所は巨大干支で有名な辰水神社の近くです。
家所城は長野工藤氏の一族のお城。長野工藤氏といえば、曾我兄弟の仇討ちで、討ち取られた工藤家の子孫で、伊勢国長野の地頭職となり伊勢の国人となりました。
■信長のM&A戦略
戦国時代となり織田信長の伊勢侵攻が始まります。伊勢ではM&A戦略をとりました。神戸氏には織田信孝をおくりこみ、北畠氏には織田信雄をおくりこみます。長野工藤氏には信長の弟・信包を養嗣子とおくりこみ、乗っ取ります。
■家所城
丘に造られた城で、きれいに整備されています。入口には案内板が造られ、城の中も整備されていて、藪などはなく、とっても見やすくなっています。スーツ姿での十分です。
城を取り巻く空堀も残っています。案内版には単郭になっていますが、周囲には郭らしきところがいくつもあり、かなり大きな城になっていて、見応えがあります。
→ 動画: 家所城

創業カフェでセミナー

創業カフェ
昨日、行ったダブルヘッダーセミナーの第二弾は創業カフェ。四日市商工会議所で行ってきました。
創業カフェは四日市志創業応援隊(四日市商工会議所・四日市市などで組織された創業支援組織)が行っていて、1年間、毎月全12回になっています。
昨夜、18:30から「 ITを活用した自分のプロデュース」というテーマでセミナーをしてきました。参加者あ20名ほどで2/3が開業前、1/3が開業済みでした。
セミナーは90分で終了。その後、商工会議所内のフリースペースで交流会。ただビールは出ず、お茶とお菓子だけです(笑)。開業は孤独な作業でもありますので、悩みなどを共有できる仲間作りは大切ですね。
近鉄四日市駅からアーバンライナーに乗って大阪へ戻ったら、終電の1本前でした。

今さら聞けないパソコン、メールの常識

洞津会館
今日は珍しくセミナーのダブルヘッダー。
第1弾は津新町駅近くにある洞津会館の3階孔雀の間。いつも三重県中小企業診断協会の新年互礼会で使っている会場です。2部屋ぶち抜きにすると、けっこう広い会場になるんですね。
セミナーのテーマは「中小企業経営におけるIT活用と業務効率化」で副題が「今さら聞けないパソコン、メールの常識」になっています。主催は三重県中小企業団体中央会さんですので、県内中小企業組合の組合員が対象となります。
セミナーの導入は「織田信長に学ぶビジネスモデル」。三重なんで北畠具教、率いる名門北畠スーパーに対抗して進出してきた新進気鋭の織田信長スーパーから転職の誘いがあったらどうするという構図にしました。
北畠一族の木造氏の一人だった木造(滝川)勝利は目ざとく織田につく事例にあげましたが、滝川勝利はともかく、「北畠具教って誰?」という顔でしたので、伊勢の国司も信長ほどメジャーじゃないんですね。ウケはもう一つでした。(笑)
さて四日市に移動し、夜は四日市商工会議所で創業カフェのセミナーで、テーマは「ITを活用した自分のプロデュース」です。

IT経営カンファレンス in 名古屋

中部IT経営力大賞
名古屋駅前にある「ウィンクあいち」で「IT経営カンファレンス2016 in名古屋」が開催されました。
経済産業省では2007年度から中小企業IT経営力大賞というのをやっていたのですが、予算がつかなくなって表彰制度が無くなりました。中部地域ではITC中部の尽力もあり今も続けています。現在の主催は中部経済産業局、ITC協会、ITC中部。2014年度から経済産業省でも「攻めのIT経営中小企業百選」という形で復活しています。
IT経営カンファレンスの第一部は「攻めのIT経営中小企業百選」にも選ばれた株式会社由紀精密の大坪社長によるプレゼンとパネルディスカッションを組み合わせた内容。IT導入に至った経緯などを10分ほぼプレゼンしてもらった後にパネルディスカッションをする面白いスタイルで実施しました。その後はコーヒーブレイク。
会場奥にセルフサービスですが本当にコーヒーコーナーができていました。毎年、カンファレンスに出ていますが、これは初めてですね。
第二部は中部IT経営力大賞2016受賞企業の表彰式と事例発表でした。

赤福ぜんざい

赤福ぜんざい
午後は伊勢商工会議所でIT窓口相談。
相談が終わってから、知り合いが「赤福ぜんざい」を大阪で食べたという話を思い出し、伊勢商工会議所近くにある外宮前の赤福へ。入口に「赤福ぜんざい」と暖簾が出ていました。夕方だし、おはらい横丁じゃないので、お店の中はすいています。
「赤福ぜんざい」って、てっきり赤福を3つぐらいお椀にいれ、その上に湯をかけたものが出てくるのかなと思ったら、「餅を焼きますので5分ほどお待ちください」とのこと。しばらく待って出てきたのが写真の「赤福ぜんざい」(520円)です。
焼餅2つに大豆入りのぜんざいが入っていました。ウーン、甘い。
高級なふつうのぜんざいですがなあ。赤福氷のように赤福をメインにしないと、ひねりがないな~あ。(笑)
次からは若松屋の「ひりょうず」に伊勢ピルスナーの組み合わせにしようっと!

麹町の平河天満宮は三芳野神社から

三芳野神社
川越城内の本丸御殿のすぐ近くに三芳野神社(みよしのじんじゃ)があります。
川越城ができる以前から神社があったため、城内の天神曲輪に移設されることになり「お城の天神さま」と呼ばれました。三芳野というのは川越の旧地名です。「とおりゃんせ、とおりゃんせ、ここはどこの細道だ」という歌がありますが、この三芳野神社が発祥の地と言われています。(別の説もあります)
城内に神社ができたので一般の参詣ができなくなりましたが、領民などの要望があり時間を区切って参詣することが認められます。当時の参道はかなり複雑でしたが、参詣客に紛れて密偵などが城内に入り込むことをさけるため、帰りの参詣客じゃ厳しく調べられました。そこで「行きはよいよい、帰りは怖い」という歌になったそうです。
■麹町・平河天満宮は三芳野神社から
大学を出た後、入社したSRAの本社が麹町にあり、時たま本社近くにあった平河天満宮にお参りにいっていました。平河天満宮の社伝によれば太田道潅が菅原道真の夢を見たことに感銘を受け、川越の三芳野天神を江戸城内に勧請して祀ったことが平河天満宮の始まりなんだそうです。
太田道灌はやはり川越城、江戸城の防衛ラインを考えていたんですね。