聖地巡礼

梅棹忠夫邸
知的生産の技術研究会・関西の世話人を29年ほどやっていますが、研究会を作るきっかけとなったのが梅棹忠夫先生が書かれた名著「知的生産の技術」(岩波新書)です。
というわけで本が書かれた家に聖地巡礼です。1949年に梅棹先生が北白川に家を買われ、ここでたくさんの著作が生まれました。執筆部屋には京大カードが並んでいたそうです。また金曜夜になると若い研究者や学生に開放されました。梅棹家に行けばタダでビールが飲めるということで多い時には20名近くが集まり、朝まで議論していました。これが有名な”梅棹サロン”でまさに梁山泊です。若き本多勝一氏、石毛直道氏、小松左京氏らがたむろしていました。
梅棹先生が国立民族学博物館の仕事をするために千里のマンションに移ってからは荒れていたのですが、次男の梅棹マヤオ氏がギャラリーとして復活しています。当時、今のような住宅地ではなく周りは田んぼだらけだったそうで、梅棹サロンに参加する人の靴で玄関は一杯。それを長い棒でかき回してグチャグチャにし遊んでいたそうです。家にあった蔵書は梅棹マヤオ氏が国立民族博物館までアルバイトで運んだそうですが、とてつもない量だったそうです。

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