源氏の源流 蛭ケ島

蛭ケ島
東京に一泊した後、早朝から伊豆へ移動。
まずは蛭ケ島を目指します。皆さん、よくご存知の源頼朝が流された地です。近くには北条氏館があり北条氏が支配する土地でした。後には堀越御所が作られ堀越公方の根拠地となります。
平治の乱で敗れた源義朝が尾張へ落ちのびますが、部下の裏切りにあい暗殺されます。そこで問題となったのが源義朝の子供で源氏の嫡男・頼朝の処遇です。当時、13歳で死刑が当然でしたが、ところが平清盛の継母である池禅尼が助命を願ったことから伊豆の蛭ケ島に流されることになります。平清盛、最大の失敗でした。
蛭ケ島で20年を過ごし、北条政子と結婚。北条氏を味方につけ旗揚げ、平氏を滅ぼします。幕府を開き、源氏の天下となりますが、源義家以外は跡を継いだ足利氏(源氏)もろくな死に方をしない一族となります。源氏から政権を戻すために織田信長は平氏を名乗ります。
さて蛭ケ島ですが、現在は地続きになっていて富士山を眺める源頼朝&北条政子の銅像が建っています。

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