大阪府よろず支援拠点 コーディネータ研修

大阪府よろず支援拠点
大阪府よろず支援拠点

午後はマイドーム大阪で大阪府よろず支援拠点のコーディネータ研修。人手不足対策などの事例をもとにグループ討論などを行いました。面白かったのが地図を元に大阪府の市町を記載するアイスブレーク。忠岡町や河南町ってなかなか出てこないですね。

研修後はシティプラザ大阪の最上階にある居酒屋で宴会。研修時間は13時~17時で4時間でしたが、結局、宴会も17時過ぎから21時までで4時間でした(笑)。結局は研修時間と同じだけ飲んでました。

同志社大学キャンパスに残る新宗谷郭

新宗谷郭
新宗谷郭

同志社大学には今出川キャンパス以外に京田辺キャンパスがあります。山を切り開いて作ったキャンパスなので駅から延々と坂を登らないといけません。ここに普賢寺谷城館群とよばれる17もの城郭がありましたが多くは校舎の造成で消えてしまいました。ただ新宗谷(しそがたに)郭が敷地内に残っていることを知り、出かけてきました。

キャンパス内を探しましたが、案内がないのでよう分かりません。ようやく知真館3号館の脇に森に入る小道を見つけ、ここが城への入口でした。森に入ると一角にないといけません。ここに普賢寺谷城館群の説明版がありました。堀切を進むと虎口があり、ここから主郭へ入ると土塁が巡っていて、大きな主郭以外に2つの郭がありました。堀切もしっかり残っています。

普賢寺谷城館群は反信長だったようで、足利義昭が若江城へ落ち延びる時も普賢寺谷を通り、支援していました。松永久秀による普賢寺谷の焼き討ちも行われており発掘された遺物には火災の痕跡が残っています。

トラカフェ食堂

桔梗が丘
桔梗が丘

午後、企業研修でしたので大阪から桔梗が丘へ。駅前に近鉄百貨店がありましたが、撤退。三重県内の百貨店は津の松菱と四日市の近鉄百貨店だけになりました。

近鉄百貨店時代は喫茶店やパン屋さんなどランチに困らなかったのですが、今は伊勢が中心のスーパーが入っています。このスーパーの一角にトラカフェ食堂があります。別に阪神ファンというわけではなく、スーパー・ギュウトラだからだそうです。伊勢を中心に展開している地元スーパーです。

駅前でランチを食べようとすると、このトラカフェ食堂だけですね。定食が6種類ほどあって安い(460円だっけ?)ですので、とってもリーズナブル。買い物客などが利用しています。

古市高山城

古市高山城
古市高山城

古市城の本丸推定地は小学校になっていますが、近くに出城が2つ残っています。藤原城は藪だらけにさすがに入れませんでしたが、高山城は郭に入れる所があったので中に突入。見事な郭跡と堀切が残っていました。写真が郭から見た堀切なんですが、藪だらけで分かりませんね。

古市氏は筒井氏とずっと争っており、一度は筒井氏を追い落として衆徒の棟梁(大和の支配権)を手に入れますが勢力を盛り返した筒井氏に攻められ没落します。子孫は生き残り、小笠原家茶道古流などを伝えています。

興福寺や春日社の荘園管理をしていた大和の国人は春日若宮祭礼に流鏑馬を勤仕するしきたりがありました。十市氏、箸尾氏、筒井氏、楢原氏、越智氏などは奉仕していましたが、なぜか古市氏は入っておらず異端と思われていたようです。それが理由なのか赤沢氏や木沢長政、松永久秀といった大和国外からの侵攻勢力と組みすることが多く、大和の国人連合と松永久秀との間で起きた辰市合戦では古市氏は松永方で戦っていました。松永久秀が信長に滅ぼされたあと、古市氏は隠棲したようです。

下請かけこみ寺事業

三重県中小企業診断協会の研究会
三重県中小企業診断協会の研究会

昨夜はアスト津で三重県中小企業診断協会の研究会

11月は下請取引適正化推進月間でもあり「下請かけこみ寺事業の活動内容と下請代金支払遅延等防止法のポイント」というテーマで岩佐診断士(下請かけこみ寺 相談員)にお話しいただきました。

中小企業のなかにはドンブリ勘定で製造単価をずっと据え置いたままの企業もあり、作れば作るほど赤字になっているケースがあります。原価管理をしっかりやって製造原価を出せば、「この金額では赤字なんで受注できない」と親企業とも価格交渉できます。

また価格を上げれば競合に負けると思っている企業もありますが競合分析を全然していません。受注企業の廃業が多いなか、発注側もやめてもらったら困るところがたくさんあることに気が付いていないケースもあります。

古市城

古市城 本丸推定値
古市城 本丸推定値

奈良市中心部から南東にある古市の里にあるのが古市城です。

城主は荘園の下司だった古市氏で、力をつけ大和で勢力を競った五大国人(筒井、十市、箸尾、越智、古市)の一人となります。当時の記録には古市城で連歌会や茶会が開催され古市は文化の中心でもありました。

古市胤栄は村田珠光の高弟でもあり小笠原家茶道古流の祖ともなります。千利休から始まる表千家、裏千家、武者小路千家が有名ですが、茶湯の開山と称される村田珠光から続くのが小笠原家茶道古流で、当主は平成の時代まで古市氏でした。

また風呂釜が壊れたので修繕費用を捻出するため、当時の大和で禁止されていた風流踊が踊れる小屋をつくり、入場料として6文をとりました。今でいうクウド・ファンディングですねえ。小屋は大盛況で、3千人もの人々が集まり日本初の有料ダンスホールと言われました。アイデアマンだったようです。

古市城は台地西端に作られており高台から奈良市街を見渡せます。東市小学校が本丸推定地になっていますが本丸の遺構は残っていません。また城の下が環濠集落になっていて城下町が形成されていたようです。

これで大和の五大国人が居城にしていた筒井城、十一平城、箸尾城、越智城、古市城をすべて制覇できました。

早良親王

祟道天皇陵
祟道天皇陵

大和山村館から少し行ったところにあるのが崇道天皇陵です。

野村萬斎が安倍晴明役だった映画が「陰陽師」。後に羽生結弦選手がこの陰陽師の振り付けでオリンピック連覇を成し遂げました。安倍晴明のライバルが道尊で、最後には早良親王を復活させます。この早良親王が崇道天皇です。天皇にはなっていないのですが、祟りを恐れて延暦19年(800年)、崇道天皇と追称されました。

■早良親王とは
兄が桓武天皇で平安京へ遷都する前に長岡京遷都が行われました。この時に長岡京建設の司令官である藤原種継暗殺事件が発生します。早良親王は、この事件に連座していると疑いをかけられ乙訓寺に幽閉。淡路国に配流される途中、無実を訴えるため絶食し、現在の守口市あたりで亡くなりました。

ここから宮廷などで怪異があいつぎ、早良親王の祟りと噂されるようになります。

■崇道天皇陵
早良親王が死に際し石を9つ投げ、落ちたところに葬って欲しいと告げて絶命したという言い伝えがあり、それらのうち8つがこの地で見つかり、親王の陵が造営されたと言われていますが、本当の被葬者は誰か分かっていません。

天皇陵は山の辺の道沿いにあり、天皇陵の前の池には万葉仮名で書かれた歌碑がありました。

大和山村館

大和山村館
大和山村館

大和窪之庄城近くに大和山村館という城館があります。Googleマップで大和窪之庄城を探していたら、すぐ近くに大和山村館があることを発見。最近のGoogleマップはすごいですねえ。城郭跡も表示されるようになっています。

日本城郭大系によると大和山村館は室町時代に築かれたようで館を築いたのは山村氏です。山村氏も古市氏に従っていました。なんせ古市氏の本城である古市城が近く、勢力圏でしたので窪之庄城の窪城氏と同様に古市氏に従わざるをえなかったのでしょう。山村氏もこのあたりの荘園の下司でした。「ゲスの極み」という言葉がありますが、本来は荘園で荘務を行う下級役人のことです。

山村館は微高地に築かれていて大和平野を眺めることができます。昔は西、南、東に堀が残っていたようですが、今は西側の堀のみが池として残っており、郭は宅地や荒れ地になっていて、外から眺めるしかないですね。