大物崩れ

阪神尼崎駅の一つ手前にあるのが大物。「だいもつ」とよみます。戦国時代、ここで起きたのが大物崩れ。

大物
大物

赤松政祐・細川晴元・三好元長の連合軍が、細川高国・浦上村宗の連合軍を破った戦です。大河ドラマ「軍師官兵衛」で浦上氏に嫁いだおたつ(南沢奈央)が、婚礼の夜に赤松氏に襲われるシーンが出てきますが、もともとは守護代だった浦上村宗が守護の赤松氏を凌ぐ力を持ち、播磨国で争いになっていたことが原因です。

また細川家も分裂していて細川晴元と細川高国が争っていました。三好元長は細川晴元に仕えており従っていましたが、大物崩れの後に主君と対立することになります。ちなみに信長の前に天下人となる三好長慶のお父さんです。

戦いは膠着状態でしたが戦局が崩れ、浦上村宗は討死、細川高国は尼崎で自害させられます。

網野史学(もののけ姫)

■もののけ姫
網野史学で有名な網野善彦氏の対談(昔の)が新刊文庫で出ており、冒頭に映画「もののけ姫」の話が出てきます。

山

網野先生が神奈川大学で教えていると、普段は見かけない茶髪の兄ちゃんが真面目に講義を聞いています。どうしたのかと思ったら映画「もののけ姫」のパンフレットに網野先生の談話が載った影響でした。いろいろな若者に聞くと映画を一回見ただけでは理解できず2度3度、見た人が多く、記録的なヒットに結び付いた原因の一つになったようです。

映画の冒頭には蝦夷の里で暮らすアシタカが出できますが、まず蝦夷がよく分からないようです。タタラ(都市)の他はマタギなどの山の民ばかりで山のアジールの世界が描かれ、まさに網野史学を具現化した映画でした。また体に布を巻いた人たちが出てきて石火矢を作っていましたがハンセン病に罹った被差別民ということも理解できないようです。

■水呑み百姓
網野史学とは歴史の中で語られてこなかった人々に焦点をあてたもので、「江口の君」のような遊女など女性についてもいろいろと研究しています。戦国時代、ルイス・フロイスがヨーロッパと違い夫婦の財布は別になっていて時には夫に高利で貸しているのに驚いていますが、昔の女性の地位は今とは全然、違っていました。

明治以降の歴史教育で「百姓=農民」にしてしまったために、米を中心に見る世界になってしまいます。水呑み百姓とは本来は米作り以外の収入が主な人を指しますが、貧民のイメージがついてしまいました。輪島の時国家のように船で交易していた豪農も分類は水呑み百姓という、とんでもないことになり歴史教育に影響を与えてしまいましたね。

江口の君

江口城から淀川沿いに歩くと江口の里があります。江口は淀川が神崎川へ入る分流点で、江(川)の口から名づけられています。長岡京の造営がはじまった頃の延暦3年(784)に淀川と三国川(昔の神崎川の名前)を江口付近でつなぐ工事が行なわれ現在の神崎川ができました。神崎川が都と西日本を結ぶ主要水路となり、江口は交通の要衝となります。昔はトラックなどがなかったので物資を運ぶのは船運が中心でした。

江口の君
江口の君

■江口の君
西行が四天王寺参詣のため、江口の里までやってきたところ、にわか雨にあいます。一夜の宿を頼みましたが、主人の遊女は断ります。遊女をなじる歌を歌った西行に対して、遊女屋に宿を求める西行を皮肉った歌が返ってきて、この言い合いの歌(歌問答)が新古今和歌集にのっています。これを題材になって能の「江口」にもなっています。

この主人ですが、平資盛の娘で平家没落の後、乳母の郷里に移り遊女となったと言われています。遊女といっても格式高かったんですねえ。こうなると網野史学ですなあ。

さて西行と出会った後、主人は仏門に入り庵を結んだのが寂光寺で江口の君堂と呼ばれています。淀川沿いにある、なかなか鄙びたお寺です。

ウェビナーセミナー

ウェビナー(Zoomのオプション)を使ったセミナー。タイトルは「企業が今を生き抜くためのオンライン活用と企業の魅力、PR方法」という長いタイトルになっています。

セミナー
セミナー

主催者にパネリスト指定をしてもらってセミナーするんですが、ウェビナーはZoomと違って聴衆の顔が全然、見えず、冗談を言っても笑っているのかどうか分かりません(笑)。ライブ感がないのでテレビ放送をしているみたいですね。

自宅からセミナーするので、セミナー前後にどっかへ行く楽しみは今回もありません。15時にセミナーが終わったので、すぐに片づけて冷蔵庫からビールを取り出し飲んでます。そら、コロナ太りするはずですなあ。

江口城

天文18年(1549)6月12日~24日、上新庄にある大阪経済大学の近くで行われたのが江口の戦いです。争ったのは三好長慶と同族の三好政長で三好の総裁をどちらがとるかの戦いでした。

江口城
江口城

淀川と神崎川によって三方を囲まれた要害の地に江口城がありました。淀川の流域が大きく変わったこともあり今は住宅地に埋没していますが、大隅神社があったあたりと言われています。

三好政長が江口城で籠城していましたが、三好長慶が包囲して兵糧攻めにし孤立させます。三好政長は後詰になる近江の六角氏を待っていましたが、六角軍が江口城に到着する直前に三好長慶が江口城を攻め、疲弊していた政長軍は持ちこたえられず落城し、三好政長は討死します。江口城は三好長慶側の中川重清(中川清秀の父)が城主を勤めることになりました。

板チョコ看板

松永久秀屋敷跡の近くにあるのが明治・大阪工場。

板チョコ看板
板チョコ看板

大阪から京都方面に向かいJR摂津富田駅を過ぎてすぐ左側に見えてくるのが大きな板チョコ。明治・大阪工場の巨大看板です。昭和30年にできた工場でチョコレート、きのこの山、たけのこの里などを造っています。看板は高さ27.6メートル×幅165.9メートルで工場がすっぽり隠れる大きさになっています。

近くで見るととっても大きいですねえ。

松永久秀屋敷跡

昨日の「麒麟がくる」では多聞山城にいる松永久秀を明智光秀が訪ねるシーンが出てきました。多聞山城にはチラッと信長が参考にした天守閣が映っておりNHKもなかなか細かいですね。天守閣を初めて松永久秀が造ったという説があります。同じく松永久秀が考えた多聞櫓はさすが映りませんでしたが。

松永久秀屋敷跡
松永久秀屋敷跡

■松永久秀の出身地
松永久秀ですが出身はよく分かっていません。摂津の東五百住(ひがしよすみ)説が濃厚で高槻城主だった入江氏の一族だったようです。古地図に松永屋敷と書かれたものがあり、現在も城垣内という字名が残っています。というわけで摂津富田へ出かけてきました。もっとも遺構は何も残っておらず住宅地と畑だけです。

「麒麟がくる」では冒頭に飯盛山城で亡くなる三好長慶が出てきますが、この三好長慶がなかなかすごい人物で、よそ者の松永久秀を抜擢し、やがてNo2にします。まさに実力主義。居城も越水城、芥川山城、飯森山城など次々に変えていきます。信長は大いに三好長慶を参考にしたようです。

土居川公園(堺)

戦国時代の堺は堀で囲まれた城塞都市でした。城塞に櫓が建ち並び、こうなると都市というより平城ですね。織田信長が「矢銭を払わんと攻めるぞ」と脅しますが、戦うかどうか審議したのは戦える能力があったからです。結局、堺は信長の命に従うことになります。

大小路橋
大小路橋

堺といえば第12代将軍・足利義晴(「麒麟がゆく」向井理が演じる足利義輝の父親)と争っていた異母兄の足利義維が堺公方として支配していました。足利義晴は京都を離れ近江の朽木などに逃げていましたので、うまくやればとって変わるチャンスがありました。結局はできませんでした。

■堀跡
さて戦国時代に作られた堀が土居川で土居とは堤防のことです。秀吉が天下をとってから堀は埋められてしまいます。元あった土居川よりも外側に堀を再度、造ったのが徳川家康です。南海堺東駅から大阪湾の方へ向かうと阪神高速道路の下に大小路橋という陸橋があり、阪神高速道路沿いに土居川公園が続いていて、ここが家康が造った堀跡です。

大小路橋から大小路が大阪湾へ向かって伸びていますが、この通りが堺の語源となる摂津国と和泉国の国境になりました。

王将・出町店 閉店

京都で専門学校の教員をしていた頃、出町商店街が近くで時たま行っていたのが王将・出町店。小さな店なんですがチャーハンがおいしかったですね。

近くに京大、同志社、府立医科大学があるため、店頭には「飯代のない人 お腹いっぱい ただで食べさせてあげます。但し食後30分間お皿洗いをしていただきます。」と張り紙がしてありました。人情味のあふれるお店でした。そういえば京産大学生が多い王将・御園橋店も同じようなシステムでしたね。

長年、店を切り盛りしていた店主が70歳を超えたこともあり、10月末で閉店が決まったそうでネットでは惜しむ声があがっています。知らなかったのですが、この皿洗いのエピソードが「取締役 島耕作」に出てくるそうです。

「ほんやら堂」もなくなったし、昔、行っていたお店がなくなるのは寂しいですなあ。

阪堺線

大阪府よろず支援拠点の出張相談で堺へ。行きは南海で行きましたが、帰りは久しぶりに阪堺線に乗りました。

阪堺線
阪堺線

阪堺線は大阪(天王寺or恵美須町)と浜寺駅前を結ぶチンチン電車で、専用軌道も走りますが一般道路を車と一緒に走ります。大阪のチンチン電車は今は阪堺線だけになりました。

堺の市街地を抜け、大和川を渡り天下茶屋からミナミを目指します。住吉神社近くの住吉駅で天王寺へ向かう上町線と恵美須町に向かう堺線に分岐します。昔は交差になっていて住吉大社駅があったのですが、なくなってしまいました。

そうそう阪堺線を舞台にした「阪堺電車177号の追憶」(ハヤカワ文庫)という小説が出ていました。「阪急電車 片道15分の奇跡」のように映画化されないかなあ。