纏向日代宮

第12代、景行天皇の宮が纒向日代宮(マキムクヒシロノミヤ)。伝承地からは邪馬台国の有料候補である纏向遺跡を一望できます。大型建物跡などが見つかり、いずれにしてもヤマト政権の始まりになったところです。でもなんで見下ろせるような高い所に宮を作ったかは謎です。

纏向日代宮
纏向日代宮

景行天皇の皇子がヤマトタケルで東国から九州・熊襲まで平定した古代の英雄です。九州の熊襲はもともと景行天皇が平定しましたが、また反乱が起きたためにヤマトタケルを派遣しました。ヤマト政権初期は天皇自身が軍事を司っていましたが、平安時代となり自分たちの手が汚れないよう軍事をアウトソーシングすることになりました。これが武士の誕生になります。

■三重の語源
ヤマトタケルの有名な歌が「大和は国のまほろば たたづく青垣 山ごもれる 大和し美し」で能褒野で亡くなる前、大和をしのんでよんだと伝わっています。ヤマトタケルは東国から大和へ戻る途中、伊吹山で荒ぶる神の祟りを受け、病になります。伊勢国に入り急坂を杖をついてようやく登り、「吾か足三重の勾なして、いたく疲れたり」と言ったころから”三重”という地名になったと伝わっています。

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