平等寺

山辺の道沿いにある平等寺。聖徳太子の開基といわれています。

平等寺
平等寺

境内には島津家ゆかりの寺という旗がたっています。気になって調べてみたら関ケ原の戦いに関係していました。関ケ原の戦いで西軍に属していた島津義久軍は戦場に取り残される形となります。家康の本陣近くが手薄だったので撤退といいながら正面突破するという有名な島津の退き口が始まります。

壮絶な戦いで井伊直政はこの時に島津から受けた傷が原因で死んでしまいます。ただ島津の軍勢はわずか80名になり、伊勢に入ってからバラバラでの逃避になります。島津義弘以下、13名が平等寺に落ちのびます。

義弘主従は70日間、平等寺に逗留し、住職から帰りの舟を用立てるお金を借りて、無事に大坂経由で薩摩国に帰還できました。これが縁で後の島津家は平等寺を大事にすることに。護摩堂を寄進し、毎年、鹿児島からお米と祈祷料を奉納していました。こんなところに関ケ原の歴史が残っているんですね。

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