聚楽第

聚楽第
聚楽第

聚楽第はわずか8年間しか使われなかった城です。本丸以外に西の丸、南二の丸、北の丸の三つの郭を持っていました。

聚楽第は跡形もありませんが近年、石垣が見つかり話題になりました。ただ堀跡などが高低差として残っていてブラタモリによく出てくる京都高低差崖会が「聚楽第を探し歩く」シリーズをアップしています。住宅街などに痕跡を見つけることができます。

聚楽第が完成したのは1587年(天正15年)で秀吉が、ここで政務をとります。翌年には後陽成天皇の行幸が行われました。1591年に関白職を甥の秀次に譲り、聚楽第は秀次の邸宅となります。ところがよく分からない秀次謀反事件が起きて、聚楽第は破壊されます。どうも朝鮮出兵の反対派が秀次を担ごうとしていた動きがあったようです。秀吉の弟である秀長が病没していなければ起きなかった事件で豊臣家も安泰だったかもしれません。

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