慶長天主堂跡

安倍晴明神社、近くにあるのが慶長時代の天主堂跡。

慶長天主堂跡
慶長天主堂跡

信長時代は鯉山や橋弁慶山がある鉾町に南蛮寺がありました。信長の家臣に弥助という黒人武士がいて、最後まで信長につき従います。本能寺の変で明智軍と戦った弥助は捕らえられますが、日本人でなかったため、南蛮寺に預けられます。イエズス会は弥助から本能寺の変などについて聞き、本国に報告しています。それ以降の弥助の消息は分かっていません。

信長のあと、秀吉が天下をとりましたが秀吉が伴天連追放令を出したことで南蛮寺は破壊されてしまいました。戦国時代、戦さの捕虜は人身売買されましたが、海外にもたくさん連れていかれたことが理由の一つにあったようです。

関ケ原の合戦後に家康の天下になると天主堂が復興され、これが慶長時代の天主堂になります。ところが家康の外交顧問だった英国人、ウィリアム・アダムス(三浦按針)が東インド会社の代理人でもあったことから布教ではなく貿易だけをしたいオランダとの貿易に傾斜。10年ほどでキリスト教が禁教となり天主堂も破壊されました。

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