ナガスネヒコ 本陣の碑

ナガスネヒコ 本陣の碑
ナガスネヒコ 本陣の碑

長髄彦(ながすねひこ)ってご存知ですか?

神武天皇が海だった大阪を渡り、生駒山の麓にある日下に上陸。日下から生駒山を越えて大和に入ろうとしたところ、大和を治めていた長髄彦が立ちふさがり戦いとなります。神武天皇軍は生駒山にあった日下の直越(ただごえ)という道を進んでいきますが、麓から生駒山を登るには2時間ほどかかりますので、けっこう大変です。なんで山道を登ろうと考えたんですかねえ。もっと枚方あたりに回って北から大和へ回り込めば楽だったのに。どうも日下に何かあったようで、後世に宮の名前で日下がでてきますから支援者の拠点だったのかもしれません。

■ナガスネヒコの本陣碑
神武天皇を迎え撃ったのが長髄彦で本陣の碑が生駒市白庭台の住宅地にあります。ここらへんは登美(トミ)ともいい、今も近鉄・富雄駅などの名前で残っています。本陣跡は生駒山を越えたところにある高台で防御するには適した場所になっています。神話の世界の話なんですが場所は合理的なところです。

敗れた神武天皇は大きく紀伊半島を迂回することになりますが、敗れた理由が「日神の御子であるのに太陽に向かって戦ったからだ」です。そんなん東にそびえる生駒山を登るんやから、当たり前ですがなあ!と誰もつっこまなかったんですかねえ。

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