樫井の戦い

大坂冬の陣の和睦条件で堀を埋めることになった大坂城。防御能力が極端になくなってしまいましたので野戦しかありません。

樫井の戦い
樫井の戦い

和歌山方面から迫る浅野軍に対抗するために出陣したのが大野治房、塙直之、岡部則綱、淡輪重政ら兵3千。淡輪重政は淡輪城を領する国人でしたが、淡輪の支配権を失っていました。浅野軍は5千の兵で和歌山から北上し、和泉国の佐野に入ります。関空がある泉佐野ですね。この時に豊臣軍を見つけましたが兵数が多いと誤認したため、守りやすい樫井まで後退します。

樫井で激戦となりましたが塙と岡部は先鋒を争う形で突出したことで後続が追いつかず、やがて岡部は敗走、塙と淡輪は戦死します。大野治房が樫井へ着いた頃には戦闘が終わっており、仕方なしに大坂城へ戻ります。これが大坂夏の陣の最初の戦いになります。今は街道沿いに樫井古戦場の石碑だけが残っています。

宇土墓古墳

淡輪駅のすぐ横にあるのが宇度墓古墳。近くに陪塚が5基残っています。全長200mの前方後円墳で作りだし部分もよく見えます。

宇土墓古墳
宇土墓古墳

宮内庁では垂仁天皇の皇子である五十瓊敷入彦命(いにしきりひこのみこと)の墓と比定しています。五十瓊敷入彦命は日本書紀の逸話に出てくる王子で垂仁天皇が兄弟に欲しいものを聞いたところ五十瓊敷命は弓矢を、弟は皇位を望んだので弟が即位して景行天皇となります。

■お父さんの垂仁天皇も同じ
どっかで聞いた話で崇神天皇が兄弟のどちらに皇位を継がそうとした時に夢占いをしました。兄は三輪山に登って,東に向かって槍や剣を振った夢を見たといい,弟は三輪山の山頂で縄を四方に張りめぐらして粟をついばむ雀を追い払う夢を見たと言ったところ弟を垂仁天皇にし、兄は東国を治めることになり上毛野君,下毛野君の始祖となります。2代にわたってこんな話になっているんですね。

垂仁天皇の娘が倭姫命で御杖として天照大御神を伊勢へ連れていき伊勢神宮を作った人物です。景行天皇の息子がヤマトタケルですね。まだまだ国としてまとまっていない時代ですので皇子といえども戦っていた時代です。このあたりは紀伊と和泉の中間点となり海の交通路の要所でしたので古墳群が形成されています。