LEC梅田

梅田
梅田

LEC梅田で経営情報システムのステップアップ講座。今日は暑かったですねえ。スーツ姿にはこたえます。桜も終わりで葉桜状態です。梅田はかなり人出が戻ってにぎわっていました。講座が終わったらホワイティ梅田を歩いていると、ヨネヤの立ち飲みコーナーが空いていたので久しぶりに一杯やってきました。

藤堂高虎 出生地

尼子城のすぐ近くにあるのが藤堂高虎の生誕地で現在は公園になっています。

藤堂高虎像
藤堂高虎像

弘治2年(1556年)、藤堂高虎は犬上郡藤堂村の土豪・藤堂虎高の次男として生まれました。浅井長政、羽柴秀長、豊臣秀吉、徳川家康など一生に七回も主君を変えたといわれますが、当時は普通の感覚で、将来性がない主君は見限るものでした。ただ羽柴秀長(秀吉の弟)には気があったのか長く仕え、秀長が亡くなってから甥が継いだので、盛り立てますが、この甥も17歳の若さで死んでしまいました。もう武士をやめようと高野山に入りますが、惜しんだ秀吉が説得して復帰します。

■城の縄張りを規格化
藤堂高虎は巨体だったようで身長が190cmほどあったようです。藤堂高虎といえば城づくりの達人で江戸城、大坂城、今治城、伊賀上野城、津城などの縄張りを行いました。そして編み出したのが全国共通の縄張りです。戦国時代、防衛力を高めるために加藤清正の熊本城など複雑な縄張りが造られました。藤堂高虎は四角形で実用的な郭をつくり藩の政庁の用地を最大限使えるようにします。防衛は高石垣、層塔式天守、水堀、多聞櫓、枡形虎口などを組み合わせて実現します。

城の規格化ができたため生産性が向上します。江戸時代、国替えになっても城の作りはほぼ一緒ですので、すぐに使うことができます。

尼子城

【尼子城】
大内氏、毛利氏と死闘を続けた尼子氏ですが本貫は近江・甲良にある尼子です。前回、行った時は彦根が大雪の時でリベンジしてきました。雪の下で見られなかった尼子城の土塁や堀跡が見られました。

尼子城
尼子城

尼子城は婆娑羅大名として有名の佐々木道誉の孫にあたる高秀の四男高久が甲良荘尼子郷を領有して築城したものです。高久の次男が出雲・守護代となり出雲国に移り、こちらが月山富田城を本拠地に戦国大名で有名な尼子氏になっていきます。

長男は近江尼子氏と継ぎましたが、次の代で京極家の有力連枝旗頭として重きをなしながら戦乱のなか落城しました。近江尼子氏も没落してしまい、これで尼子城は忘れられた存在になったのですが近年、土塁と堀跡が発見され、今は公園として整備されています。室町時代は広大な平城だったようです。尼子から山側に行くと勝楽寺城があり、尼子城は前衛の城のような位置づけだったのでしょう。

釣狐 発祥の地

釣狐 発祥の地

釣狐 発祥の地
釣狐 発祥の地

勝楽寺城へえっちらおっちら登る途中に琵琶湖が一望できる眺めのよい場所があり、ここが狐塚。稲荷大明神が祀られています。ここが狂言の「釣狐」発祥の地なんだそうです。

「昔、この寺に白蔵主という和尚がいて、その弟に狩猟好きの金右衛門という男がおった。和尚はいつも殺生を戒めていたが、ある日、白蔵主は外出して山道にさしかかった時、金右衛門に見つかり、白狐とまちがえられて殺され、はじめて金右衛門は白狐が兄とわかり、平素の殺生の戒めに気づいた」と云い伝えられています。この話を元に狂言の「釣狐」が生まれたそうです。

へ~え。
ということで勝楽寺本堂では茂山家による「釣狐」が演じられているそうです。

勝楽寺城

「チョー、ヤバい」婆娑羅大名である佐々木道誉の城が勝楽寺城です。佐々木道誉が家臣である高筑豊前守に命じて応安元年(1368年)に築城しました。戦国時代になると六角氏が支配したり、浅井長政側になったりと城主が変わり、最終的には永禄11年(1568年)に織田信長が攻めて落城しました。

勝楽寺城
勝楽寺城

勝楽寺横からひたすら山道を登っていくと勝楽寺城へ着きます。山上に広い削平地の郭がいくつも連なり、近江を一望できます。また畝状竪堀群がありました。眺めがよく荒神山越しに琵琶湖や竹生島、彦根城もよく見れます。

婆沙羅大名 佐々木道誉

  • 少年ジャンプに「逃げ上手の若君」が連載されています。主人公は北条時行で、足利尊氏、新田義貞らによって鎌倉幕府が滅ぼされた時、一人逃げた少年です。ですので「逃げ上手」というわけ。後に中先代の乱という室町幕府存続に関わる大乱を起こします。

    ■婆沙羅大名・佐々木道誉
    連載では、ちょうど京都に来ていて魅摩というバサラで有名な佐々木道誉の娘と双六勝負などをしています。佐々木道誉といえば足利尊氏に協力し、政所執事や6ヶ国の守護をしていましたが、有名なのが婆沙羅(バサラ)です。バサラとは権威主義に反して派手な振る舞いや、粋で華美な服装を好む美意識で、今でいうと「チョー、ヤバい!」ですかねえ。戦国時代の歌舞伎にも通じていきます。

    ■魅摩とは?
    佐々木道誉が本拠にしたのが近江の甲良荘勝楽寺。ここに館がありました。勝楽寺にお墓があります。「逃げ上手の若君」は漫画ですが、けっこう深い作品になっていて佐々木道誉の娘の「魅摩」は道誉の書状に出てくる「ミま」からきています。実際の「ミま」の素性については諸説あります。また信濃守護の小笠原貞宗など日本史の教科書に出てこない武将などが登場します。行儀作法といえば小笠原流ですが、その小河原流の中興の祖です。
勝楽寺
勝楽寺

花見 フィティング・コンサルタンツ

結成から20年を迎えたファイティング・コンサルタンツという団体があります。結成当時はコンサルティング・ファームを目指していたはずなんですが、今は単なる酒飲み会ですねえ(笑)。

花見


コロナ禍のため2年ほど実施できなかった、お花見をしてきました。場所はいつもの天満橋で、買い出しして、いつもの定位置に移動中です。


屋台は例年の1/3ぐらいしか出ていませんでした。11時ぐらいから飲み始め16時過ぎに解散したので5時間ほどと例年通りでした。

山城ドローン事業の開始

2022年4月1日
合同会社エムアイティエス

山城ドローンタクシー事業の開始

合同会社エムアイティエスでは皆様の山城ライフをサポートするために様々な事業展開を行っていますが、遂にドローンタクシーの運行を始めることになりました。

山城ドローン

■事業のきっかけ
コロナ禍の影響でキャンプやグランディングが脚光をあびていますが、意外に伸びないのが山城登りです。竹田城や高取城などメジャーな山城は人気がありますが、道路が整備され、登りやすいという側面があります。山城の多くは山道があることも珍しく、藪を突っ切っていく、崖になっている切岸を登らないといけないなど苦労が伴います。そもそも山城を見に行くのが目的で、できれば山を登らなくてすめば、それにこしたことはありません。

■ドローンタクシーで山城へ
合同会社エムアイティエスでは山城ドローンタクシー事業をスタートします。
・ウェブで予約していただき山城の麓の指定場所までドローンを運びます。
・ドローンは自動運転ですので郭の位置を入力してください
・郭の周辺に木々がなければ郭の上空1mでホバリングしますので、その間に郭に降りてください。
・重量センサーで降りたことが確認されるとドローンは元の位置にまで戻ります。
・帰りは自力で山城から下山してください。

注意:郭に木々が生えている場合、郭の5m上空でホバリングしますのでドローン設置のロープで降りてください。

合同会社エムアイティエスでは、今後も皆さんの山城ライフを応援していきます。