上京の堀

応仁の乱で京都は焼け野原となり、戦国時代は現在のような整然とした街ではありませんでした。なんせ自力救済の世界なので上京と下京で、それぞれの街が防衛することになります。街の外周を土塁や堀で囲み、惣構えとしました。上京と下京をつないだ道が室町通です。

上京の堀
上京の堀

京都府警本部の新築工事の際に幅5m、深さ3.5mの堀が検出され上京を守る惣構えの一つでした。戦国時代が終わり、天下統一をはたした秀吉が京都の町を囲む御土居や寺を集中させた寺町通りなど都市改造を行って京都は発展していくことになります。

足利義昭が織田信長に対して挙兵した時に信長は和平交渉しながら幕府や幕臣を支持する商人などが多く住居する、上京を焼き払っています。義昭に圧力をかける狙いでしたが、せっかく復興して街づくりをしたのに、ふんだりけったりです。そうそう当時の本能寺は下京の北西にあり、総構えの外側でした。

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