京都守護職の上屋敷跡

京都府庁の入口にあるのが京都守護職上屋敷跡の碑。

京都守護職の上屋敷跡
京都守護職の上屋敷跡

京都の治安は京都所司代、京都町奉行が担当してきましたが幕末になると尊王攘夷派の過激志士が集まり、だんだんと無法地帯になっていきます。なんせ天誅とか言って平気で人殺しをする連中ですので、危ないったらありゃしない。

というわけで幕府は京都所司代・京都町奉行・京都見廻役を傘下におく京都守護職を置きます。貧乏くじをひかされたのが27歳になった会津藩主・松平容保。正規職メンバーでは、だんだん手が足りなくなり、非正規職員の新選組を守護職御預かりとして治安維持にあたらせました。新選組の映画やドラマでは京都中を駆け回っていますが、そんなことはなくエリア毎に担当制になっていて新選組の担当地域は祇園や伏見でした。まあ浪士の逃亡などを理由に管轄破りをすることもあったようです。

会津藩の本陣は金戒光明寺で京都守護職の屋敷があったのが現在の京都府庁の場所。王政復古の大号令によって京都守護職は廃止されます。

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