山科本願寺から石山本願寺へ

山科本願寺跡

イスラム教のスンニ派とシーア派との対立、またキリスト教でもカトリックとプロテスタントの対立があり世界中で宗教戦争があります。日本もかっては同様でした。特に一向宗と法華宗が争っており、政治的な話もからんでグチャグチャの状況です。

■大谷本願寺
本願寺が京都の大谷にあった頃、蓮如がやり手で、御文(おふみ)・御文章(ごぶんしょう)という、庶民が分かる書簡を使った教化を行い全国に信者を増やしていきます。近江に力をいれて布教しており、怖れをいだいた比叡山が京都に僧兵を送りこんで大谷本願寺を壊してしまいます。

■山科から大坂へ
そこで新しく造られたのが山科本願寺。寺と言いながら、二重の土塁と堀で囲まれた、ふつうの城です。ところが、ここも細川春元が率いる法華宗、近江守護六角氏の連合軍により焼き討ちにあいます。鉄壁の守りですが油断をついて攻め込まれました。次に移ったのが石山本願寺。いままでの経験をいかし徹底的に防備を固め、出城をいくつも作ったため、さしもの信長も攻めあぐね10年戦争(石山合戦)になりました。

最後は和睦して大阪を立ち退き紀州(鷺森本願寺)へ移ります。信長亡き後、秀吉と和睦して天満へ移り、その後に京都へ移ります。信長、秀吉、家康が宗教を非武装化したことにより、世界でも珍しく日本では宗教戦争がなくなっていきます。

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