トイレ(一乗谷)

トイレ(一乗谷)

戦国時代、一乗谷には1万人ほどが100年にわたって生活していました。堺が3万人、信長の安土が6千人ほどからスタートして最盛期は1万5千人ほどでしたので、一乗谷は都会だったようです。往時の街並みの一部が発掘調査に基づいて復元されていました。

復興した戦国の街は周りに電線などがなく、よく映画やテレビのロケに使われています。城下町としてよく整備されていたようで、各家には井戸とともにトイレが完備されていました。トイレは穴を掘ったボットン便所で、堆肥に使っていました。発掘調査で和式トイレにある金隠しが発見されたためトイレと判明しました。また火縄銃の部品や坩堝、弾丸なども見つかり城下町には鉄砲工房もあったようです。

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