ウイルスは英語じゃない

J-Motto会員向けの経営コラムをようやく書きあげて、今送信しました。

2月号のタイトルは「ウイルスは英語ではない」でコンピュータ用語によく使われる和製英語を取り上げました。

メルマガ(メールマガジン)って和製英語だということを知っていました?

英語はemailニュースレターです。他にもたくさんありまして、バージョンアップは英語ではアップグレード、またはアップデートです。ブラインドタッチの英語はタッチタイピングで、そのまま欧米人にいっても通じません。

J-Mottoの経営コラムは2004年2月から書いているので丸6年ですね。 

日経プラスワン(日経新聞)にコメントしています

日本経済新聞(土曜版)についている日経プラスワンにコメントしていますので、ご覧ください。

今日は朝から伊勢の企業さんへ行っていて、行った企業さんが日経新聞を購読されていましたので読ませていただきました。23日の日経プラスワンの取材と聞いていたので紙面を探したら、常識点検の「パスワード覚えてますか?」に掲載されていました。

IDやパスワード管理の難しさに関する記事です。IPAさんと並んでコメントに載るのも光栄ですなあ。

紳士は互いの信書は読まないものである

中国でのグーグル騒動が話題になっていますが、アメリカも世界中の通信を傍受していますので五十歩百歩という話もあります。

ハーバート・O・ヤードレーという人物をご存知ですか。
第一次世界大戦時に陸軍省所轄のMI-8暗号局(通称:ブラックチェンバー)を設立し、暗号解読で活躍していた人物です。このブラックチェンバー(闇の会議所)ですが、国務省から予算を打ち切られてしまいます。

当時はフーバー大統領の時代で、国務長官のヘンリー・L・スティムソンが外交文章を盗み見るような行為は駄目とブラックチェンバーを閉鎖してしまいました。理由は「紳士は互いの信書は読まないものである」と政治の世界ではとうてい考えられないような能天気な理由です。

第一次世界大戦中、暗号解読によりアメリカに多大な貢献をしたことを評価せず、ブラックチェンバーを閉鎖したことにハーバートは憤慨。「他の国は暗号解読をやっているのにアメリカだけ止めるとは何事だ!」と執筆したのが『ブラックチェンバー 米国はいかにして外交暗号を盗んだか』という本です。

本の中にはブラックチェンバーの内幕や、ドイツの隠しインクを使った暗号、美貌のスパイなど暗号の裏話が満載で、いわゆる暴露本です。具体的な暗号の解読方法も書いてありました。アメリカでは発表と同時にベストセラーになり、日本でも緊急翻訳されました。

アメリカ 国民はこの本で、暗号解読秘密組織ブラックチェンバーの存在を初めて知ることになります。さすがに、こんな牧歌的な時代はすぐ終わり、第二次世界大戦が近づく中、暗号局は復活しました。

今ではNSA(アメリカ国家安全保障局)などがアメリカ国家の安全を守るためという理由で世界中の通信を傍受しています。

Googleが中国から撤退?

日経新聞の夕刊トップに「グーグル、中国事業撤退も」という記事が掲載されていました。

メールを開けると、この件に関してメール取材依頼が届いており、簡単な質問でしたので答えておきました。注目は高そうですね。

グーグルの社是は「Don’t be evil(邪悪になるな)」で、スターウォーズの公開日にシリコンバレー・マウンテンビュー市の映画館をグーグルが貸切って社員に映画を見せるような会社です。

成長市場である中国に進出しましたが百度には負けているし、YouTube規制やキーワード規制と、社内では社是に反するのではと議論になっていたはすです。ただ魅力的な中国市場ですので、大人の対応をとっていたのですが、今回の騒動でさすがに考え直したのでしょうね。

Googleロゴがニュートンの木に

今日のGoogleロゴはニュートンの誕生日にちなんで木になっていますが、芸が細かく、しばらくするとリンゴが落ちるようになっています。動画のGoogleロゴを見るのは初めてかなあ。
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マッキントッシュで有名なアップル社のロゴと言えば、端が欠けたリンゴですがこれは2代目のロゴです。最初にロゴはニュートンでした。

1976年アップル社が生まれ、最初に出してヒットしたパソコンがアップル1です。アップル1のロゴに使われていたのがリンゴの木にもたれかかって本を読んでいるアイザック・ニュートンでした。

リンゴは西洋では特別なもので、アダムとイブがリンゴ(知恵の実)を食べたように知恵の象徴でもあります。またリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見したニュートンのエピソードにもちなんでいます。ロゴには「知性は永遠に見知らぬ思考の海を漂うただひとり」というワーズワースの詩が書かれていました。

→ アップル社のリンゴマークは旭という品種

Yahoo!オンビジネス

Yahoo!がビジネスユーザー向けにYahoo!オンビジネスというサイトを運営しています。いろいろなサイトが記事を提供しています。AllAboutも記事を提供していて、私が書いた記事も何十本かYahoo!オンビジネスアップされています。

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さっき見たらトップページの特集が「メール活用術」になっていて、「スパムメールと間違えられない5つの法則」、「重いPowerPointを圧縮して送る方法」、「迷惑メール送信者と思われていませんか?」、「同意がないメール配信は法律違反になる」の4本のコラム記事がアップされていました。

って、これって全部私が書いた記事なんですが。(笑)
他のコラム記事はないんですかいなあ。

SEO講座

経済産業省の事業であるIT経営応援隊の一環です。講師は菰野の有限会社ワンの横地さんです。

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まずは検索エンジンの初歩の話から始まり、次に自社のサイトがどういう状況なのか把握をします。そして自社が狙っているキーワード検索で自社よりも上位表示されているサイトを分析して、SEO対策する手法を学びました。

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こんなにノウハウを開示してもいいんかいなという内容でしたが、横地さんによると体系だってはいないが、いろいろなところに情報は出ているそうです。でも体系だてて教えてもらうこと自体がノウハウなんですが(笑)めちゃくちゃお得なセミナーでしたね。

「ザ・ビジネスモール」のセミナー

津の総合文化センターで「ザ・ビジネスモール」のセミナーを開催しました。
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「ザ・ビジネスモール」の運営は大阪商工会議所が行っていますが、全国の商工会、商工会議所の会員であれば無料で使えます。ホームページがない事業所は簡易版のホームページを簡単に作れますし、ホームページがある事業所は自社のホームページのURLを登録できます。

集客力が高いサイトですので、Yahoo!にビジネスエクスプレスで5万円払ってカテゴリー登録するなら、「ザ・ビジネスモール」にも登録しておくのが一番。なんせ無料です。講師は大阪商工会議所で実際に運営されている竹内さんにお願いしました。

あと食材のBtoBサイト「インフォマート」について説明いただきました。バイヤーさんと食材の供給者をマッチングするシステムですが、自社の商品をデータベース登録しておくと、自在に商品パンフレットなどを作れる点がすごいですね。販路開拓の相談にのると、商品パンフレットがない事業者が多く、パンフレットを作る作業からになってしまうことが多く、このインフォマートのシステムがあれば、そこらへんは一気に解決です。こっちは有料サービスです。

日経新聞の一面にJTBが国内の約2割にあたる200店舗近くを閉鎖してネットに注力するという記事が大きく載っていましたが、そんな時代なんですね。

→ ザ・ビジネスモール

→ インフォマート

あれから14年

今日から14年前の1995年11月23日の深夜

Windows95がカウントダウンとともに発売され、秋葉原や日本橋のパソコンショップではお祭り騒ぎになりました。当時はMac LC3やPowerBook520を使っていたマックユーザーでしたので日本橋には行かなかったのですが、テレビで放映されていたお祭り騒ぎは壮観でした。

OSの発売であんなに盛り上がったのはWindows95だけですね。Windows95を機会にネット接続する人が増えました。Nifty-ServeにFchiken(知的生産の技術)フォーラムが誕生するのが1995年4月でしたので、ちょうどこの頃だったんですなあ。

Fbman Fchikenフォーラム

梅田・曽根崎の旭屋書店前に出向くと東京から出張で来ている海老名さんを発見。そのうちメンバーが集まりだし、6名で近くの珉珉へ。
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さてこの5名、昔Nifty-Serveが運営していたパソコン通信内にあったFbman(ビジネスマンフォーラム)とFchiken(知的生産の技術)フォーラム)に所属していたメンバーです。Fchikenは1995年4月にスタートしましたが、Fbmanはもっと古いフォーラムです。フォーラムって、懐かしい響きですなあ。

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Fbmanでは梅田小町や彩人というマンションの一室を皆で借りて勉強会などをやっていました。梅田小町の時代は知らないのですが新大阪にあった彩人には何回かおじゃましました。パソコンを通じて全国の人と議論ができるパソコン通信が登場した時はすごいツールだと興奮しましたね。実際、この中にあったFlic(資格フォラーム)のおかげで中小企業診断士試験に受かりました。

大阪で初めてFchikenのオフ会を開催した時、書き込み内容からずっと女性だと信じていたのが会ってみたら若い男性だったこともありショックでしたね。当時はパソコンがそれほど普及していた時代でもなく、老若男女が1室に集まり変なハンドル名で呼びあっていたので店の人も何の団体だと首をかしげていました。