寺前城

大谷池
大谷池

村雨城から谷に降りて進み、土塁を登ると寺前城があります。村雨城と寺前城は2つの城が連結したタイプで新宮城・新宮支城と同じです。別の説では一つの城で村雨城が主、寺前城が従で運用していたのではないかとも言われています。

寺前城の前面には大谷池が拡がっていますが、近世に用水池として整備されたもので城が造られた頃は谷だったのでしょう。大谷池側の方は遺構が改変されているので、よく分かりませんが反対側などは虎口に行くまでに喰い違いになっていたり、かなり複雑で技巧的で、楽しめます。

村雨城

村雨城
村雨城

国の史跡になっている甲賀郡中惣遺跡群の村雨城です。丘陵の北端に築かれ、城の入口には忍者がひっついた大きな看板もあり、中も整備されています。ただ文献等には登場せず、城主や歴史など不明です。5つほどの郭で構成され大きな郭が2つあり、主郭のまわりは土塁で囲まれていました。土塁に登ると深い堀切を見ることもできます。虎口は平虎口になっています。織田信長の上洛時に敗れた六角氏が甲賀杉谷へ逃げましたので、その時にも改修されたのでしょう。

昔のファミコンゲームに「謎の村雨城」があり、ゲームは村雨城を乗っ取った敵を倒すため、幕府が送り込んだ青年剣士を操作するゲームでした。一部マニアには、ここが舞台ではないかと言われています(笑)。知らんけど。

新宮支城

新宮支城
新宮支城

新宮城のすぐ隣にあるのが新宮支城。間に谷があるため直接はいけないので新宮城から降りて、もう一回丘を登らないとたどりつけません。新宮支城は単郭ですが高さ10mほどの土塁に囲まれています。虎口は小さく、大手道から一回曲がらせて虎口に入るようになっていました。虎口の近くには堀切もあり、また大手道に沿って別の土塁が続いています。

高さ10mほどある土塁が圧巻です。ただ郭の構造が単純なので新宮城と同時に造られた後に、特に改修は行われなかったようです。新宮城と同様に甲賀郡中惣遺跡群のひとつとして国の史跡になっています。こちらも、新宮城と同様に、よく整備されていました。

新宮城

甲賀にある新宮城です。新宮城は、きちんと整備されていて山城には珍しく看板まであります。6つの郭から構成されていて、郭の途中に枡形虎口になっている入口があり、かなり技巧的です。たぶん最初は主郭しかなかったのが、必要にせまられて副郭を連ねていったのでしょう。主郭の裏側には堀と土橋がありました。

新宮城
新宮城

甲賀は伊賀と同様に中心になるような領主はおらず、一族が同名中惣を構成して、それぞれ城をもっていました。ポリスの連合国家のようなものですね。近江守護であった六角氏が足利将軍から攻められた時に甲賀は六角氏につき、織田信長の上洛時も六角氏に味方しましたので軍事的緊張が高まり、新宮城を改修していったのでしょう。

丸岡城・丸岡東城

JR甲西駅の西にある丘にあるのが丸岡城と丸岡東城。道を挟んで2つの城があります。城の近くにあった看板によると青木藤兵衛尉が戦功によって源頼朝からこの地の地頭に任じられ城を造ったとあります。

丸岡城

青木氏は甲賀五十三家の一つになり六角氏の家来でしたが六角氏が信長に追いやられると、信長に臣従。秀吉が天下をとると夏見城と同様に領地を没収され配乗になった模様です。本城が丸岡城で出城が丸岡東城になります。分厚い土塁に囲まれ堀が二重になっていたり、けっこう技巧的です。二重土塁を行き来できる土橋も明瞭に残っていました。

夏見城

湖南市三雲小学校近くにあるのが夏見城。ここは夏見氏の居城で、甲賀五十三家の一つです。長享・延徳の乱があり、長享元年(1487年)と延徳3年(1491年)の2回、室町幕府が近江守護・六角高頼討伐の軍勢を起こします。将軍・足利義尚が自らが出陣し、今の栗東市にある鈎(まがり)に陣をおいたので「鈎の陣」とも呼ばれています。

夏見城
夏見城

この時に六角氏側で戦ったのが夏見氏。戦功によって夏見の地を領有することになり夏見城を築城します。天正13年(1586年)には天下統一した秀吉に領地を召し上げられ帰農したようです。夏見城の発掘調査では室町時代の「毛抜き」が見つかっています。

ただ城は竹藪の中で分け入ってみると土塁が残っていました。説明によると複郭式の構造とありますが、藪が多く断念。

朝ドラ「スカーレット」の舞台 三雲城

朝ドラ「スカーレット」は信楽焼をテーマにしたドラマで主演は戸田恵梨香さんでした。

三雲城
三雲城

中学卒業後、大阪で女中として働きはじめることになり信楽から大阪に向かう主人公が峠に登って、夕日を見つめながら信楽に別れを告げる場面が出てきます。この丘で、焼き物のカケラを見つけて、これが信楽焼へとつながっていきます。この場面は三雲城の郭で撮影されたそうで、大きな看板がありました。郭から確かに眺望はよいのですが主人公が見ている方向は野洲方向で琵琶湖超しに比叡山に沈む夕日を眺めています。信楽はちょうど逆方向ですね(笑)。

JR草津線・三雲駅からエッチラオッチラ、昔の東海道を歩いて住宅街を抜けて山道に入り三雲城へ登りましたが、途中まで車で登れる道があり駐車場まで整備されていました。そこからさらに作業道があり、城下まで行けるので撮影機材を運ぶには最適な場所ですね。そらロケ地になるはずです。

猿飛佐助の故郷 三雲城

近江・三雲城

三雲城

六角氏の重臣だった三雲氏の居城で1487年に築城されました。六角氏の逃げ城としても有名で織田信長が足利義昭を奉じて上洛する時にたちはだかったのが六角氏。観音寺城を拠点にしていましたが、すぐ隣の箕作城が攻められて落城したことから、六角氏が逃げこんだのが三雲城です。

三雲城は5つの郭から構成され入口には石垣で造られた枡形虎口が残っていました。山城には珍しく、よく整備されていますね。三雲城のノボリには「猿飛佐助のふるさと」と書かれています。ホンマかいなあ。

■猿飛佐助のモデル
調べてみると猿飛佐助は真田十勇士の一人で霧隠才蔵とともに有名ですが、司馬遼太郎が「風神の門」という真田十勇士の小説を書いた時に江戸時代から猿飛佐助の名前はあり、三雲佐助賢春が猿飛佐助のモデルになったと紹介しています。真田幸村が九度山にいた時に三雲佐助賢春がいたという書も残っているそうです。甲賀忍者の里ですからねえ。あながち嘘というわけでもなさそうです。

近江・山崎山城

山崎山城
  • 荒神山のすぐ隣にある山崎山城へ登ってきました。前回、行った時は彦根が豪雪の時で何とか登りましたが、見どころの石垣跡などはすべて雪の下。今回はしっかり郭跡や石垣跡を見てきました。

    山崎山城は発掘調査の後、公園として整備されていますので登りやすい山城になっています。六角氏の家臣が城主でしたが、織田信長の上洛時に六角氏から織田家に乗り換えます。織田信長が下街道を整備した時に街道からよく見えるように石垣が整備されました。イメージ戦略ですね。

    尼子の里のずっと向こうに佐々木道誉の勝楽寺城が見えます。

山脇古城山城

荒神山城の西にあるのが山脇古城山城です。荒神山神社から車道を降りていくと荒神山ハンググライダー場があり、ここから山道が続いていて最西端(石寺山)のピークを目指します。信長に対抗した一揆集が石寺に城砦を築いて織田軍に対抗したようで、山脇古城山城がこの砦跡のようです。

山脇古城山城
山脇古城山城

石垣などが残っていますが、これは石寺の遺構かもしれません。尾根を削平した郭がいくつもありますが、まあ普通に見たら原っぱですねえ。だいぶ風化していますが竪堀もいくつかあります。大きな土橋もありましたが、荒神山方面からの攻撃には弱く、麓からの攻撃を主体に防御するための城だったようです。