そうだ京都へ行こう

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    10年ほど京都の専門学校で情報処理の教員をしていたのですが、今日はその当時の教え子の結婚式。お招きいただきありがとうございます。 

    結婚式は河原町御池にある京都ホテルオークラ。江戸時代は長州藩邸があったところでホテル前には桂小五郎の銅像が建っています。会場へ着いたら当時の同級生らも参加しており、皆さん、いい大人になっていますね。既に結婚していて子供がいるのがほとんどでした。 

    結婚式では、花嫁が両親宛てに感謝の言葉を伝えるシーンがありますが、その同級生らが、ジーンときますなと言っています。聞けば、娘がいるので、「結婚式であんなことを言われた絶対に泣くな」とか言っておりまして、娘さんの年齢を聞いたら3歳とか6歳、20年も先の話を今から心配して、どうするんだか(笑) 

    紅葉シーズンなので京都への電車はラッシュ並みによく混んでいました。近鉄は大久保駅から京都駅、京阪は丹波橋駅から四条駅だと、普通電車に乗っても後続に抜かれることがなく時間もあまりかかりませんので、ラッシュ並みの電車はパスして普通電車に乗っていました。

平安京の四神 陰陽師の世界

京都
昨日は野村萬斎主演の映画「陰陽師」をやっていました。舞台はもちろん平安京。
平安京を作る時に考えられたのが都を守る四神「玄武(山)・朱雀(池沼)・青龍(川)・白虎(大道)」です。従来から玄武は船岡山、青龍が鴨川、白虎は山陽道、朱雀は巨椋池と言われています。ちょうど歴史地理学の本を読んでいると、この四神について面白いことが書いてありました。
朱雀(船岡山)からまっすぐ内裏を通って朱雀大路が通っていますが、ここから等間隔で西堀川と東堀川があります。この西堀川と東堀川の間隔をそのまま東に伸ばすと鴨川になります。地図や等高線を調べると、どうも西側の等距離にも道と川があったことが判明。
これが木嶋大路で一番北に蚕ノ社があります。現在、この道はありませんが大路と御室川が流れていたようです。それぞれの間隔がちょうど588丈。1丈は今の約3メートルです。当時1里は180丈でした。これを10倍すると1800丈。
          船岡山
          内裏
木嶋大路  西堀川    東堀川   鴨川
  588丈--+-588丈-+--588丈
1800丈-18丈×2=588丈×3 となり18丈は約60メートルですので鴨川の幅と木嶋大路の広さだったようです。
つまり西の白虎は山陽道などではなく都に平行して南北に走っていた今は失われてしまった木嶋大路だはないかという説です。また朱雀も巨椋池ではなく、羅城門からちょうど10里行ったところに横大路朱雀という字名が残っているそうで、ここに人工池が作られていたのではという説です。
もし、そうだとするとかなり緻密に平安京を作っていたんですね。まさに計算の陰陽師の世界です。

松平筑前公園

kouen201206.jpg京都橘大学には山科駅、京都駅からスクールバスが出ているのですが、他に丹波橋駅からも出ています。バスの本数も少ないのでなかなか時間があわないのですが大学からの帰り、初めて丹波橋駅行きに乗りました。途中、JR六地蔵と京都橘高校を経由します。

丹波橋駅に着いたので、付近を散策。京阪、近鉄、JRが並行して走っていて丹波橋駅、桃山御陵駅、中書島駅、桃山駅などはすぐ近くにあります。
ちょっと歩いたら坂本龍馬が定宿にしていた寺田屋。伏見の酒蔵などがあり、町を歩くと鳥羽伏見の戦いでついた銃弾の跡が壁に残っていたりします。

もともとは秀吉が作った伏見城の城下町で、小さな公園があるんですがユニークな名前がついています。大手筋通りにあるのが松平筑前公園。前田利家の四男利常が住んでいた松平筑前上屋敷跡です。他にも羽柴長吉中公園や金森出雲児童公園などがあります。

町を歩いていると景勝町という看板を見つけました上杉景勝の屋敷があったところです。筒井伊賀東町、長岡越中東町、福島大夫西町、毛利長門東など町の名前を見るだけで楽しめる町ですね。

長岡京ってめちゃくちゃ大きかったんですね

nagaoka201111.jpg午前中は京都の企業さんの経営相談へ、昼から時間があいたので長岡京へ行ってきました。

長岡京は陰陽師・安倍晴明でよく舞台になるところです。安倍晴明の相手役である早良親王が怨霊になった都で早良親王は謀反の疑いをかけられ配流さ
れる途中で自殺。その後、いろいろな変事が起きるようになり早良親王の祟りと大騒ぎになりました。上御霊神社などに祭られています。

長岡京は短命な都だったと歴史で勉強しましたが実に広大だったんですね。ずっと阪急長岡天神駅の周辺にあるものだと思っていたら大極殿は阪急西向日駅近くにありました。長岡って名前がついていませんがなあ!

大極殿跡の公園に都の様子が書かれた想像図がありましたが、羅生門の向こうはは石清水八幡宮。阪急で言えば、東向日駅、西向日駅、長岡天神駅、大
山崎駅と4駅にまたがる広大な都でした。大極殿跡には元日、7本ののぼり旗を建てた跡が残っていて復元されていました。少し離れたところには築地跡や朝堂
院跡、楼閣跡などもありました。なぜ10年という短い期間で平安京に遷都となったのか、いまだに分からないそうです。

おのおの方、討ち入りでござる

ooisi201107.jpg朝から京都橘大学へ。

海の日で世間一般的には休日なのですが、前期15コマ確保するために大学は講義日になっています。朝から電車がすいているのがいいですね。学生も真面目に登校していました。

京都橘大学は山を超えたら大津という山の中腹にあるのですが、ここから下って、山科の町を横断。西側の山まで歩きました。途中の住宅地の真ん中にあるのが坂上田村麻呂の墓。後から作られたもののようで本物は山科から三条へ向ける途中にある西野山古墓のよう​です。

西側の山の麓にあるのが大石神社。大石内蔵助が祭られています。忠臣蔵を舞台や映画で行う場合​、俳優さんが必ず参拝する神社。最近では木村拓哉が​「忠臣蔵1/47」の撮影の合間に参拝したそうです。休日ながら境内には誰もいませんでした。

大石神社の横にあるのが岩屋寺。大石内蔵助の邸宅跡があり​、ここから一山を越えると京都の中心部・祇園です。討ち入りが露見しないように夜なよや遊んだという名場面の場所ですね。邸宅は討ち入りが​成功した後、岩屋寺に寄進されたそうです。

祇園祭 鉾建て

tukiboko201107.jpg京都橘大学の帰り、椥辻から地下鉄に乗って烏丸御池へ。室町通りは車が通っていましたので鉾建てはまだかなと思っていたら四条通り近くで車の渋滞。鉾建ての真っ最中で、通行止めになっているため、違う通りへ迂回する車で混雑していました。

鉾はクギなどを使わず、全部縄で組んでいきます。室町通りで鉾建てしていたのは菊水鉾。四条通りに出ると函谷鉾、月鉾も鉾建てをしていました。写真は月鉾です。東向き、西向き車線が一つづつ鉾建てでつぶされますので、四条通りはかなり混雑していました。

四条通りから少し入った鶏鉾、放下鉾、船鉾も鉾建ての真っ最中。これから一週間、京都の中心街は鉾と山で車の乗入れができなくなります。商売している人にとっては大変ですねえ。

木曜あたりから宵々山が始まり、コンチキチン♪コンチキチン♪と祇園囃子が奏でられ、山鉾には提灯の明かりがともされ、子供がお守りを売る声が響きます。なんとも京都らしいですねえ。

そうそう宵山に四条烏丸へ出かけると、各大学のホルモー部が一同に会するところが見られるかもしれません。(笑)

本能寺の変

kamo201104.jpg社団法人日本ローマ字会の理事会&総会があったので三条へ。

三条京阪駅で降りて鴨川を渡るぐらいから小雨が降り出し、王将で餃子を食べている間に本格的に降ってきました。雷まで鳴っているので河原町のアーケードへ避難。ついでに本能寺へ寄ってきました。

「本能寺の変」のあった本能寺は少し離れたところにあり変で全焼。豊臣秀吉が移転を命じて、現在の場所に建ちました。本能寺では、ちょうど織田信長展をやっていたのでのぞいてきました。

織田信長が本能寺をなぜ使っていたのか色々な説があるのですが、その一つが種子島の存在。鉄砲伝来したところで銃や硝石などのルートがありました。本能寺は法華宗で種子島まで影響があり島民は法華宗だったそうです。

展示には織田信長の肖像画がありましたが、教科書で見る姿ではなく髭がない肖像画で、これは珍しい。本能寺の変で焼けた信長伝来の茶器も展示され
ていました。お茶を社交道具としたのは信長ですが、どうもアルコールが飲めない体質だったようで、お茶を使ったと説明に書いてありました。

松花堂弁当 発祥の地

hatiman2010111.jpg京都橘大学へ。

山科駅で降りて朝のスクールバスを待っていると、いつもに比べて列の流れがすいていました。バスもけっこう空席がある状況で出発。土日の大学祭の疲れで自主休講かなと思ったら、台風の影響で大学祭は中止だったそうです。

講義の出席率はいつもと同じでしたので今日から運行が始まった京都駅八条口ー京都橘大学を結ぶ新しいスクールバスの路線の影響かなあ。

hatiman2010112.jpg午前の講義が終わったので地下鉄、京阪で八幡市駅へ。駅から鳥居をくくって石段をずっと登っていると雨が。今日は曇りのち晴れじゃなかったんかとつっこんでも仕方がないので木々のトンネルの中をひたすら歩いておりました。頂上に石清水八幡宮があります。

雨が降っている月曜の午後なんて参拝者はいないだろうと思っていたら、けっこういますね。と言っても皆さん、自動車で上まで上がってきた参拝者ばかり。えっちらおっちら坂を登ってという人は少なかったです。でもさすがは源氏の氏神さんですね。

hatiman2010113.jpg境内には「応神天皇1700年式年大祭」の旗がかかっていました。応神天皇が崩御して1700年なんだそうです。さすがに平城遷都のような盛り上がりにはなっていませんね。石清水八幡宮の主祭神は応神天皇です。

行きと違う道で降りていくと楠木正成手植えの大楠がありました。すごい大木になっていました。

そのまま降りていくと松花堂跡がありました。松花堂とは江戸時代初期の僧侶、松花堂昭乗が住んでいた草庵です。松花堂が使っていた器が発展し、松花堂弁当になりました。

下鴨納涼古本まつり

simo2010081.jpg近鉄&京阪で出町柳へ。まずは賀茂川と高野川の合流地点の三角地帯を通りすぎて出町商店街へ。日曜の朝ということで「ふたば」の行列は10人ほど。並んで豆餅をゲット。

下鴨神社で出かけて糺の森に拡がる下鴨納涼古本まつりへ。朝からひと雨ふったので、ブルーシートがかかったお店が多かったですね。おまけに蒸し暑い。ウチワを持っていって正解でした。端からざっと見ていきますが、出店数が多いので疲れますね。

さっと一通り見てから下鴨神社へお参り。「みたらし団子」発
simo2010082.jpg祥の地の「みたらし社」から小さな道を出ると参道横に森の中を通る小道があり、縄文時代の祭祀遺跡が残っています。ここが「奈良の小川」の源流。いつ行っても観光客はいませんね。

さて、奈良の小川沿いに歩いて、また古本まつりの舞台へ。帰りもざっと見ていきます。「夜は短し歩けよ乙女」に登場するような古本の神様は今回も登場しませんでした。

 

simo2010083.jpg入口に茶店があり、たまらずビールを注文。生きかえりますなあ

平等院(宇治)

京都橘大学の講義が終わってから地下鉄で六地蔵へ、

kyoto2010071.jpgJRに乗りかえて宇治に到着。少し歩いて10,円玉のモデルである平等院へ行ってきました。大学時代に訪れてからですので30年ぶりですね。炎天下の中、庭を見ていたのですが鳳翔館というミュージアムが境内にあり、ここが冷房がきいててよかった!(笑)

鳳凰堂内部を見学ができるコースがあり、1000年近く前に建てられた世界遺産を楽しんできました。

 

 

平等院入口近くに扇の芝という三角形の小さな庭がありました。ふつうのコースからはずれているので観光客が一人もいませんでしたが以仁王の令旨を奉じ、平家打倒を掲げた源頼政が宇治の決戦で敗れ自刃したとこだそうです。

 
kyoto2010072.jpgすぐ近くを宇治川が流れていましたが、すごい水量でした。上流の月ヶ瀬ダムで放流しているそうで、アナウンスが流れていました。