高安城から信貴山へ

連休最後ぐらいはどこかへ出かけようと、ウチの奥さんと信貴山ケーブルに乗って高安山駅へ

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ハイキングコースを歩き、まずは高安山山頂を目指します。高安山山頂から山道を大阪へ降りる予定でしたが、山頂付近に高安城倉庫跡という道標を発見。

「古代史に出てくる高安城があるんだ!」と予定を変更して見に行くことになりました。って、私が勝手に予定変更したのですが(笑)
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ハイキングコースをかなり歩くと、また道標があり、ハイキングコースをはずれた山道が続いています。そこを行くと、やがて開けた所に出ました。遠くには若草山や東大寺が見えます。下に礎石が残っていて、これが高安城の倉庫跡。

高安城というのは663年の白村江の戦いで敗れた大和朝廷が唐・新羅などの侵攻に備えて作った山城で、大和の最終防衛線でした。壬申の乱の舞台にもなったところです。謎が多い高安城で、詳しいことはまだ分かっていません。

さて、だいぶ奈良側に来たので、このまま大阪に帰るのもなんだしと信貴山を目指すことになりました。山道を歩くと、空鉢堂に着きました。傍らに信貴山城跡の碑があり、ここが松永久秀が信長に逆らって最後は自爆して落城した城です。
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空鉢堂をずっと降りて行くと朝護孫子寺。信貴山縁起絵巻を見て、虚空蔵菩薩の戒壇めぐりをしてきました。真っ暗な中を手さぐりで一周するコースで、下手なお化け屋敷よりよっぽどこわいですね。先に入ったご婦人方は少し入って、こりゃ無理と入口に戻ってきていました。

伊勢へ行くつもりが伊賀へ

台風一過、朝は小雨になっていました。

今日は大阪から伊勢へ行かなくっちゃと、テレビをつけると近鉄線が運転を見合わせているという表示が出ています。

「ありゃ、最新情報を見てみよう」とネットにつないで近鉄のホームページを見ようとするとアクセスが殺到しているのか、すぐ出てきません。しばらくすると、ようやく出てきて高安ー上本町間は動くとありました。

高安駅へ行くと、伊勢方面への電車はストップしていて上本町行きの普通しかありません。とりあえずターミナル駅の上本町まで出ようと乗りこむと、すぐに満員に。通勤時間帯で本数が少なく、普通だけですので、途中の駅では乗れない乗客が続出。久しぶりに、超満員電車に乗りました。上本町に着くと、奈良線と樫原線は運転再開していると表示がありましたので、奈良線で西大寺へ出て、樫原線に乗り換えて大和八木駅へ。

伊勢行きのホームに上がると名張行きの各駅がありました。名張まで回復したようです。名張まで行くと、乗っていた電車が青山町行きに延びました。ラッキーと青山町まで乗ると、そこが終点。駅員がこの先の再開は当分、なさそうですというアナウンスがありました。

「こりゃ、あかん!」と行く予定だった伊勢の企業に連絡。一駅大阪の方へ戻って、伊賀神戸から伊賀線に乗り換えて伊賀上野駅へ。JR関西線が動いていたら、そっちで亀山まで出ようかと考えていましたが、駅員さんに聞くとJR関西線も動いていません。
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伊賀上野駅で降りてご飯を食べて、しばらく行っていなかった伊賀上野の企業さんを回っていました。台風一過のいい天気の中、「伊勢」のはずだったのに、なんで「伊賀」なのかなと思いながら歩いておりました。
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企業をまわって伊賀上野駅に戻ると、関西線は復旧していないが、近鉄は伊勢中川まで動いたようです。また、ガタゴトと2両編成の伊賀鉄道で伊賀神戸へ戻ると、宇治山田行きの列車が入ってきました。これでようやく青山高原を越えられます。

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車窓から見ると雲出川がすごい状況になっていました。津はかなり雨が降ったそうで、雲出川も氾濫直前までいったそうです。名古屋線も大丈夫で、なんとか津までたどりつきました。それにしても遠かった!

伊勢鉄道で鈴鹿へ

鈴鹿の企業さんへ

久しぶりに津駅から伊勢鉄道に乗りました。

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伊勢鉄道は津と四日市を結ぶ第三セクターの路線です。津から四日市へ移動する場合、JRですと内陸部の亀山を経由するしかなく近鉄に負けていました。そこでバイパス線が計画され国鉄時代に作られた路線です。

第三セクターでは珍しく伊勢鉄道は黒字。JRの南紀特急(名古屋-紀伊勝浦)、快速みえ(名古屋-鳥羽)が伊勢鉄道に乗り入れていて、JRから入る収入が大きいのが理由です。もっとも単線なので伊勢鉄道のレールバスはJRの特急が通過するまで駅で待ち、なんとも肩身が狭いですね。

鈴鹿の手前に「鈴鹿サーキット稲生駅」があり、10月2日~4日にF1レースが行われるため、いつもは通過する「快速みえ」を車両を増やして止め、少しでも増収をはかるそうです。

行きは各駅停車のレールバスですが、帰りは「快速みえ」で帰ってきました。

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 → 創意工夫を凝らし地域でがんばる

でっかいアヒル

今日は昼まで梅田でお仕事

お昼を食べた後、中之島まで歩くと水都大阪2009をやっていました。
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一角でコンサートをやっていたり、中之島公園の方へ行くと、いろいろなモニュメントがあって、中では子供が砂場遊びを体験できるコーナーやいろいろと遊べる施設がありました。ビルの気温計を見ると32度ですが、会場のいたるところにミストシャワーがあり、けっこう快適ですね。
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さて中之島の突端まで以前は行けたのですが、知らない間に大きな噴水ができていました。噴水の下を水陸両用バスなどが通り過ぎていきます。ここから天満橋方面を見ると大きなあひるが大川に浮いていました。

あれだ!と天満橋方面へ。
正式にはフローティング・ダックというそうですが、大阪の人間は「でっかいアヒル」や巨大アヒルと呼んでいます。
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江戸時代、寺田屋で有名や伏見と天満橋の八軒家浜までを船が結んでしました。その八軒家浜船着き場を再現したところに、でっかいアヒルが浮いておりました。それにしても大きいですね。案内を見ると、今日まで公開だったそうです。ラッキー!

そうそう「デジブック」に今日、撮影した画像をアップしておきました。(1分ほど)

デジカメを変更

デジカメにカシオEXILM EX-S20を使っていて、非常のコンパクトで気に入っていたのですが、さすがに5年も使っているとホワイトバランスがおかしくなってしまいました。

同じカシオEXILM EX-S12を買ってきました。少し重くなりましたが液晶が大きくなったのがいいですね。動画機能もついているので、支援センターからの帰りに津城へ寄って撮影してきました。

昔、ジャスコがあった跡地は駐車場になっていますが、その昔は津城の堀でした。百五銀行の本店が移転するとのことですが、いつの話になるやら。

→ 黄昏の津城 YouTube 1分50秒

朔日餅

三重EC実践塾というネットショップ勉強会の熱い議論の後、津の実家へ行くと赤福の朔日餅が。

すでに封は開いていて一つだけ残っていました。(笑)

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朔日餅というのは伊勢・内宮の「おかげ横丁」で、毎月1日の早朝のみ赤福本店で売られるお餅です。今日は9月1日だったんですね。9月の朔日餅は「萩の餅」で、開けると「おはぎ」でした、ラベルには穐(あき)と書かれています。餡の甘さがひけめで、おいしかったですね。

販売は早朝ですが熱心なファンがいて、いつも長蛇の列です。って見たことはありません。(笑)赤福だけでなく、いろいろなお店が早朝から開けています。

かまぼこの老舗である若松屋さんも開けていて、社長に聞いたら午前2時から店で作って売っているそうです。すごいイベントですねえ。

♪桑町、茅町、広小路

忍者の里、伊賀へ

近鉄、伊賀神戸駅で降りて2両編成の伊賀鉄道に乗り換えます。単線をのんびり伊賀へ進んでいきますが、このルートは大海人皇子が名張から伊賀へ抜けた道です。途中に丸山という駅があり、単線なのでここで電車が行き違いをします。駅の近くに丸山城跡があり、織田信雄が造った城で「天正伊賀の乱」の原因となりました。訪れる人もいるようで、駅の名所案内に地図が貼ってありました。いつかは行ってみたいと思いながら、今日も車窓から丸山城のある山を見るだけです。

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ちょうど稲刈りが始まった田園地帯を抜けて、広小路駅に着きました。西岡たかしが歌った名曲「上野市(うえのまち)」の舞台です。
♪桑町、茅町、広小路~もすこし揺られて上野市(うえのまち)♪

YouTubeで探したら「上野市」がアップされていました。

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広小路駅から少し歩いて車阪商店街のお店をまわってきました。ここらへんは鍵谷の辻の仇討があった頃からそのままに残っています。上野の町を歩きまわり、帰りは桑町駅から帰ってきました。

事業仕分け

知的生産の技術研究会の八木会長から構想日本が大阪市の事業仕分けをやるよと案内をもらい、出かけてきました。

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場所は天王寺にある大阪市職員人材開発センター。事業仕分けというのは「公務員の数は仕事の有無にかかわりなく一定の割合で増加する」というパーキンソンの法則がありますが、本当にその事業を公務員がやる必要があるのかどうか外部委員が検討する作業です。

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受付で分厚い冊子をもらって7階の講堂に入ると、ちょうど市役所の担当が事業の説明をしているところでした。説明は5分で、そのあと質疑応答が20分あります。委員は他の市町村や市民などで構成されており、けっこうマクロ的視点から質問し、面白かったですね。

最後に各委員から、事業を辞めるべきか、民間委託するか、市役所でやっていくか結論を出します。最終結論ではなく、提言になっています。事業仕分けは2002年から始まり37自治体で行われています。議論仕分けをしているところを公開し誰もが議論を聞けるというのが一番で、霞が関は最後まで公開に抵抗したそうです。

今日は大阪市の44事業の事業仕分けが4つの会場で行われていました。最初に入ったのは広い講堂でしたが、聴衆は30名ほどでした。次に小さな会議室に行ってみると狭い会議室が聴衆でぎっしり。議論されたいた事業は「防潮堤等の管理」でした。議論を聞いていたらビックリ。鉄扉のメンテナンスを行うのですが、何トンもある鉄扉を取り外し、工場に運んでペンキを塗り替えるのを公務員が行っていました。大阪市港湾局の職員は800人もいるそうです。

なんで、そんな仕事を公務員がと思っていたら、委員の意見も完全民営化、民間委託が大勢でした。そら、そうでしょうね。さて終わって休憩になったので、会議室をぞろぞろ出ていく人を見るとほとんど私服なんですが、グループが多いですね。会話を聞いていると大阪市職員で、関係部署かどうかは知りませんがやっぱり気になるようです。(笑)

分厚い冊子には議論となる事業が紹介されていましたが、各商店に専門家を無料で10回も派遣する事業もありました。こんなんやっていたんですね。黒板に貼り出されていた速報を見ていたら事業廃止になっていました。

尾鷲へ

今日は朝から県の職員に連れられて尾鷲へ

尾鷲へ行くには以前は松阪から国道42号線しかありませんでした。尾鷲ヒノキが育つぐらい雨がめちゃくちゃ多い地域ですので豪雨で峠が通行止めになると物流が止まってしまいます。(年に2,3回あるようです)

地元の悲願がもうバイパスになる高速道路ですが、少し前にようやく大台町から大内山村までのびました。今日、初めて大台町から先を通ったのですが、津からはずいぶん近くなりましたね。一緒に行った職員によると、こないだインターチェンジに迷い込んだ野生の鹿がいて、びっくりしたそうです。

さて、尾鷲へ着いたのはいいのですが、夕方まだずっと会議室でした。外へ出たのは昼飯を食べに行った時だけ。定食屋さんでしたが、さすがに魚の煮付けはおいしかったですね。

 

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尾鷲のスーパーに入ると鮮魚売り場には津あたりでは売っていない魚が並んでいます。初めて「まんぼう」が並んでいるのを見た時は驚きました。写真は尾鷲へ入るのに超えないといけない馬越峠で、熊野古道の一つです。

靱(うつぼ)公園

今日は大阪の本町で仕事。

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少し時間があったので、本町のIBMを少し北に行ったところにある、靱(うつぼ)公園へ行ってきました。昔、土佐堀で仕事をしていた時、昼休みになると靱公園に出かけて散歩していました。

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そういえばIBMさんでも、よく徹夜をしていましたね。3階か4階に汎用機があり、客先の環境を再現して、負荷テストなどをやっていました。端末が50台ほどあるのですが、何台からもアクセスがあるようなシュミレーションソフトを各端末に仕掛け、次々に起動することで、ゴールデンウィークや正月前のようにアクセスが集中しても、システムが落ちないかテストしていました。深夜、誰もいない端末室で、イスを走らせながら、ひたすらエンターキーをたたく、はたから見たら不気味なことをしていました。

大阪は緑が少ないのですが、靱公園は貴重な公園ですね。

細長い形をしているのですが、第二次世界大戦が終わった後、占領軍が飛行場に使っていたので、そのまま滑走路の後が公園になっています。ずっと昔は雑喉場(ざこば)魚市場と靱塩干魚市場があった場所です。