葉っぱがシェフ 尾鷲

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    久しぶりに尾鷲へ出かけてきました。 

    尾鷲と言えば雨の多い土地として有名で、ふつうの地域の3倍ほど雨が降ります。日本では鹿児島県「屋久島」に次いで、2番目の雨量の多さになります。雨がよく降るので木が生育し、尾鷲ヒノキとなります。今日は雨も降らず、暑かったですね。 

    お昼は「葉っぱがシェフ Jomonレストラン」。尾鷲駅から近いのですが、少し分かりくい所にある隠れ家風レストランで、夫婦二人でやっています。レストランの裏が山になっていて、そこに野草園が拡がっています。 

    穴が開いた特殊な鍋に裏の野草園でとった野草をひいて、紀州岩清水豚肩ロースを置いて焼いたのがJomonランチ。野草の香りと豚の脂が野草に落ちて、さっぱりした味に仕上がります。行くと、この石清水豚のランチばっかり頼んでいますね。他にもカレーなどがありますが食べたことないなあ(笑)。 

    窓の向こうに野草園が見え、落ち着く空間でもありスローフードレストランとしても有名。今日はお客さんで一杯でした。 

    スーパーに寄ってサンマ寿司を買おうかどうか迷ったのですが、さすがにこの暑さですので、大阪まで持って帰るのはあきらめました。

昔は海のすぐそばだった住吉大社

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    大阪では「すみよっさん」と呼ばれている住吉大社。大阪市内を南北に走る上町台地の南端部分にあたり。住吉大社付近で6メートルぐらいの高さになっています。 

    今では海岸線は、はるか遠くになりましたが古代はすぐ近くまで海。仁徳天皇が難波高津宮に都を定めた頃には住吉津が登場しています。当時は白砂青松という白い砂と松並木が続く海岸だったようで、その頃には神社ができていたようですね。社伝では神宮皇后が住吉大神を住吉の地にお祭りしたとなっていますが、祭られているのは海の神様です。 

    日本書紀によると継体天皇時代に百済からの任那4県割譲要求があって、これを了承。ところが欽明天皇の時代になると、これが問題化し物部尾輿と共に責任を問われました。大伴金村は引退して住吉の館に入ったとあるので、この住吉は大友氏の拠点だったんですね。

吹上駅の伝言板

dengonban201307.jpg名古屋市地下鉄・桜通り線の吹上駅の改札を出たところに伝言板があることを発見。よく前を通っているのに、なかなか気づかないものですね。

「駅に着いたら電話する」と携帯を使って連絡するのが当たり前で、すっかり出番がなくなった掲示板です。昔は事前に、何時にどこで待ち合わせると事前に連絡して確認しあうのが当たり前で、もし遅れた場合はどうするなどの取り決めまでしていました。掲示板に書くなんてのも一つの手段。考えてみたら便利な世の中になったものです。

反対に「ごめん5分ぐらい遅れそう」と簡単に連絡できるので、遅刻する人が増えた気もします。

「シティーハンター」というコミックでは、駅の掲示板に「XYZ」と書いて依頼するシチュエーションがありましたが、昭和の漫画になってしまいましたね。

本薬師寺跡

honyakusiji201307.jpg土曜日に畝傍御陵前駅近くでセミナーでしたので、近くにある本薬師寺跡へ行ってきました。写真は塔跡から見た畝傍山です。 

大和三山に囲まれた地域で古代には藤原京がありました。西ノ京に薬師寺がありますが、平城京遷都の時に移転しましたので、、ここは「本薬師寺跡(もとやくしじあと)」と呼ばれています。 

本薬師寺跡は住宅街を抜けたところにあり、入口に案内がなければ通り過ぎるところでした。小さなお堂と金堂の礎石が残っています。周囲は湿地帯になっていて2つ盛り上がったところがあり、ここが塔跡で、こちらにも礎石が残っています。伽藍配置は西ノ京の薬師寺と同じだったんですね。 

680年、、天武天皇が鵜野讃良(うののさらら)皇后【後の持統天皇】の病気平癒を祈願して建立されました。従来は平城京への移転説が主流でしたが、発掘調査によるとしばらく併存していたようで、今は西ノ京の薬師寺は移転ではなく新築説が有力です。ただ本薬師寺と同じ古い瓦が出たこともあり、、西塔は藤原京からの移築だったとする説もあるようです。 

夏越の祓

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    本日は1年のちょうど半分。枚岡神社の夏越の祓(なごしのはらえ)に行ってきました。 

    朝にお参りに行って、紙の人形(ヒトガタ)「に家族の名前と生年月日を書いて、先に奉納しておきました。夏越の祓は15時から。日曜なので人が多かったですね。 

    「水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶというふなり」と歌いながら茅の輪を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通ってケガレを祓ってきました。 

    最後に皆で大祓詞をあげながら人形を火で焼いて終わり。人形に名前を書いて祓うということは平城京時代と変わりませんね。もともとは701年の大宝律令から始まった行事ですので、1300年以上続いています。

たまには近くの企業相談もいいものだ

beer201306.jpg午前中は原稿書き、午後は専門家派遣に出かけていました。 

珍しく、地元の東大阪商工会議所からの依頼で、企業さんの場所を聞いたらウチのすぐ近く。「近くなので歩いていきます」と言ったのですが、「いやいやお迎えに行きます」ということで商工会議所の車で企業さんへ。ほんまに、すぐ近くでした。と言うか時たま散歩に通るところでした。(笑) 

迎えに来てもらった経営指導員に聞くと、案件に対して東大阪をキーワードに専門家を探したそうです。データベースでは細かい住所まで出てこないので、まさかこんなに近い専門家とはと驚いていました。驚いたのは住所を聞いたこっちもです。 

いつもは三重の大田舎、名古屋、神戸など遠方の企業さんが多いのですが、たまには近くもいいもんですね。帰りは歩いて帰ってきました。 

今日の仕事はこれで終了なので、一杯はじめています!

大物 兵庫県の難読地名

oomono.jpg兵庫県にある知名です。「大物」を何とよみますか? 
「おおもの」ではありません。 

阪神電車に大物駅があり、阪神梅田へ行く路線と西九条から難波を抜けて、そのまま近鉄に乗り入れて奈良へ向かう路線との分岐駅です。もっとも普通しか停車しないので、一つ先の尼崎駅で乗り換えする人がほとんどです。 

大物のよみかたは「だいもつ」。古い地名で大物は平安時代に港町として栄え、材木の集散地でした。知名は巨材を意味する「大物」からきているようです。 

日本史では大物崩れ(だいもつくずれ)で有名です。赤松政祐・細川晴元・三好元長の連合軍と細川高国・浦上村宗の連合軍が戦っていて、こう着状況が続いていましたが、大物での戦いで細川高国側が敗れてしまい、戦況が大きく変わってしまいました。室町幕府の実権を握った細川氏の内紛でした。尼崎のすぐ近くですが、この地には大物城があったようです。今では何も残っていません。 

あゆち 名古屋市

1905397255_226.jpg御器所駅(ごきそ)から名古屋市新事業支援センターがある吹上方面に歩いていく途中で見つけたのが阿由(あゆち)という知名。 

「あゆち」って、まさかあの「あゆち」! 

尾張には昔から「あゆち思想」の伝説があり、「あゆち」とは海から吹いてくる幸福の風のことをさしています。万葉集には「桜田へ鶴鳴きわたる年魚市潟(あゆちがた) 潮干にけらし鶴鳴きわたる」という歌があり、愛知県の「あいち」も「あゆち」に由来していると言われています。 

作家の童門冬二氏によると織田信長はこのこの「あゆち」の風を尾張だけでなく日本全国に吹かせたいと考えていたのではないか、と考えています。後に作った安土城も「あゆち」からきているのでは述べています。 

吹上も昔は入海になっていて、風波が岸に吹き上げていたことに由来しますので万葉集に歌われた「あゆちがた」もこのあたりにあったんですかねえ。

映画ALWAYSの舞台が尼崎にあった

allways201306.jpg尼崎の城下町を再現した模型が近くにあるということで尼崎市立文化財収蔵庫へ行ってきました。もともとは尼崎市立高等女学校の校舎だったそうです。 

江戸時代の尼崎の城下町を復元したでっかい模型や縄文、弥生時代の資料などを見て、カウンセリング室に入ると黒板に「特別公開練習 鈴木一平とサンシャインブラザーズ」と書かれていました。 

なんだこれはと中に入ると映画「ALWAYS 三丁目の夕日’64」(続編)のロケがここで行われたと書いてありました。鈴木オートの一人息子の一平君がエレキに凝りだし、仲間と公開練習をした場所。ヘタな演奏で観客が「なんだあ~」という顔を映画でしていました。あのシーンが撮られた場所で、黒板などはそのまま残してあるそうです。 

そういえば入口を入ったところに凡天堂病院という大きな文字の看板が置いてありましたが、この収蔵庫の玄関が菊池孝太郎(六子が結婚する)の勤める凡天堂病院として使われました。歓楽街に車に乗って遊びに行く(実は往診)菊池先生を六子がおっかけるシーンで使われています。 

てっきり東京で撮影したものばかりと思っていたんですが一部に尼崎の学校が使われていたんですね。 

萬金丹 おじゃマップ

伊勢の企業さんへ専門家派遣で行っていたのですが伊勢市役所でバッタリ会ったのが伊勢くすり本舗の加藤さん。 

伊勢くすり本舗さんは、おかげ横丁の屋台で萬金丹(胃腸薬 600年の歴史があります)や萬金飴を売っています。先日、フジテレビのおじゃマップという番組(香取慎吾と山崎弘也が各地を訪ねる番組)の取材がおかげ横丁を舞台にあり、食べ過ぎを解消するために萬金丹を買いに来られたそうです。 

大阪や東京では,今週水曜に放映があり翌日、メールや電話がけっこうあったそうです。。テレビの効果は大きいですね。 

ただ、三重では放映が1週間遅れなので、本人はまだ見ていないそうです。やっぱり三重は田舎だなあ。
▼伊勢くすり本舗
http://www.mankintan.net/