中小企業白書説明会

sougou201305.jpg地下鉄中央線でコスモスクエア駅へ出て、インテックス大阪の中小企業総合展へ行ってきました。 

以前の中小企業総合展は集客がいまいちで、閑散としていたんですが今回は初日から来場者が多かったですね。また出展企業も多く、一通り見てまわるだけで疲れました。IT系はウェブカメラを使った防犯システムなどが多かったです。 

昼から地下鉄で天満橋駅へ出て大阪府合同庁舎へ。中小企業白書説明会に参加してきました。こちらも満席。2013年版が50回目になります。面白かったのが新事業展開に関する調査。 

ずっと同じビジネスでは市場環境が変わるとジリ貧になってしまいます。常に新規事業展開を考えていかなければなりませんが、これがやる企業とやらない企業に2極分化しています。 

やらない企業では「有望な事業の見極めが困難」が理由の第一位。ところが新規事業を行う企業はこの理由を課題とは思っていません。自社の強みを分析、他社の研究をし、市場調査の収集・分析、支援機関等で相談と、自社でできることは事前にやって課題をクリアしています。要はやる気になれば、できるということで当たり前のことをやっていない企業が多いということですね。 

赤福2個入り

ise201305.jpg本日の午後は伊勢商工会議所でIT窓口相談 

お昼休みに伊勢商工会議所の近くにある外宮へお参りに行ってきました。連休が終わったので少ないかなと思ったら、けっこうな参拝客。さすがに拝殿に入るのに並ぶほどではありませんが団体客など多かったですね。 

今年のゴールデンウィークは遷宮効果のせいか伊勢神宮への参拝客が昨年の1.5倍になったそうです。期間中はごった返していたんでしょうね。 

写真は伊勢商工会議所においてあるお白石持行事用の山車。新しい御正殿の敷地に敷き詰める「お白石」を奉献する儀式で、特別神領民によって7月~8月に行われます。 

帰りに宇治山田駅の赤福のお店によると折り箱のほかに2個入りを売っていました。3個入りパックは知っていたんですが2個入りがあったんですね。ちゃんと赤福をすくうヘラも入っています。2個で220円。20個入りは1700円なので1.3倍ほど割高です。(笑) 

そんなに数は食べられないし2個ぐらいがいいですね。 

赤福のホームページを見ると銘々箱というそうで、平成16年10月から発売しているそうです。宇治山田駅、伊勢市駅の赤福売場で今まで見たことなかったんですが、気がつかなかっただけかなあ。 

▼銘々箱 
http://www.akafuku.co.jp/product/meimeibako/

ここが邪馬台国? 唐古・鍵遺跡

karako201304.jpg専門家派遣の帰りに田原本町へ寄ってきました。 

ここには弥生時代の環濠集落遺跡、唐古・鍵遺跡があり、楼閣が描かれた土器が見つかったことで有名です。 

「出雲と大和」(岩波書店)では田原本町を邪馬台国に比定しています。田原本町という場所は、まさにヤマトの中心地。 

都がおかれた飛鳥の地はヤマトの中心部ではなく、少し高地になっていて、中心部からかなり離れた土地です。なんでこんなところへ都を作ったのかなと不思議なんですが、当時、中心部は湿地帯だったという説もあります。 

もしくは、唐古・鍵遺跡あたりの部族と、なにかあったかもしれません。神武東征以前にヤマトにいた部族としてはナガスネヒコとニギハヤヒ(物部氏の先祖)ですので、根城にしていたのが田原本町だったのでしょうか。 

唐古・鍵遺跡には姫川のヒスイや尾張、吉備の土器も入ってきていて交易の中心地のようでした。この後にできる巻向遺跡も各地から土器が集まっていますので、唐古・鍵遺跡の経済面を継承したかもしれません。 

ミュージアムもあり、いろいろな土器が飾られていました。中には土器に犬の歯型がついていて、土器を焼く前に犬がいたずらしたようです。ネズミがひっかいた跡が残っている土器もありました。

伊勢美し国十二景

sinto201303.jpg埼玉県新座市にある立教大学・映像身体学科では大学生が映像制作を学んでいますが、伊勢や伊勢神宮を訪れてオムニバス形式の映像、「伊勢美し国十二景」がWebで公開されています。 

全部で十二景あるんですが、なかなかの秀作ですね。個人的によかったのが第六景の「かつて路面電車が走っていた」です。 

伊勢には神都線と言う路面電車が走っていました。伊勢市駅・宇治山田駅から内宮や二見浦を結んでいた路線。 

伊勢市駅から外宮へ続く、参詣道を路面電車が走っていたのは知っていたんですが、宇治山田駅は現在の伊勢うどん「ちとせ」のすぐ近くにあったんですね。伊勢商工会議所でIT窓口相談があると、大体「ちとせ」に寄って伊勢うどん定食(750円)を食べているんですが、狭い通りで、こんなところを路面電車が走っていたんですね。 

第八景が「伊勢うどんと伝統のタレ文化」で、山口屋の製麺風景が出てきます。お店に伊勢うどんを食べに来た人が特徴を説明しているのですが、よく見たら菱田建材の社長夫妻(笑)。ビデオ撮りに駆り出されたんですね。 

伊勢神宮に興味のある方は第一景から、ぜひどうぞ!伊勢をよく知っているという人にも楽しめる内容です。第五景「建物でめぐる伊勢の街」もなかなか貴重ですね。 

▼伊勢美し国十二景 
http://www.ise12kei.com/

お白石持行事

ise20130306.jpg昨日は伊勢商工会議所でIT窓口相談でしたが、商工会議所入口にお白石持行事で使う奉曳車のミニチュア版が置いてありました。 

お白石持行事は遷宮の行事の一つで、特別神領民が行います。新しい御正殿の敷地に敷き詰める「お白石」を奉献する 民俗行事で、宮川より拾い集めた「お白石」を奉曳車・ 木そりに乗せ、沿道や川を練り進みます。この時に木遣りが歌われます。 

特別神領民は、ふだん立ち入れない新しい御正殿の近くまで進み、持参した「お白石」を奉献する行事で、始まったのは550年以上前にさかのぼると言われています。 

特別神領民は基本的に地元、伊勢の人で本番前にいろいろ練習もあるそうで、知り合いも集まって、木遣りの練習などをしているそうです。 

伊勢市駅前はビルの建て替えや駅前広場の工事などリニューアル真っ最中。伊勢はいよいよ遷宮本番を迎えます。

物部神社(一志)

物部神社
物部神社は物部氏に由来する神社で日本の広い範囲にわたって分布しています。祭神の多くは、物部氏の初代とされる宇摩志麻遅命や祖神である饒速日命です。
東大阪や八尾は物部氏の根拠地だったので、そこらへんに物部の神社があります。ウチの近くにあるデンボの神様で有名な、石切神社は饒速日尊とその子供、可美真手命(うましまでのみこと)を祭っています。神主さんは代々、木積(こづみ)氏で、もともとは穂積氏という名前。饒速日尊の第七代目が穂積と名乗り始めました。つまり木積氏は物部氏そのもので、現在まで家系が続いています。出雲国造も延々と続いていますが、東大阪にもこんな一族がいるんですなあ。石切神社の神主も百何代目なので、めちゃくちゃ古い神社です。
八尾には物部守屋が聖徳太子や蘇我馬子と戦をした場所が大聖勝軍寺として残っています。
伊勢には飯高の伊勢寺神社(合祀)と一志の物部神社の2つがあり、一志の物部神社に行ってきました。場所は近鉄で名古屋から伊勢中川駅に向かう手前にあります。雲出川を渡ると大阪線への分岐があるのですが、川を渡る手前、住友電工の工場のすぐ横。電車が伊勢中川駅に向けて減速する頃に見ることができます。
社殿は建て替えられており、きれいになっていましたが古代からずっとあったんでしょうね。伊勢には伊勢津彦という出雲と同じ国譲りの神話が残っていますので、物部(出雲系)ですので、その頃から神社があったかもしれません。

楠正行ゆかりの井戸

kusunoki.jpg枚岡梅林近く(枚岡神社境内)にある「楠正行 縁の井戸」

楠正行は南朝方で戦った楠正成の息子。湊川(神戸)へ足利尊氏との最後の戦いに向かう楠正成と別れる「桜井の別れ」のシーンは有名で、当時は11歳でした。

「桜井の分かれ」と言うのは、奈良の桜井市ではなく、古代律令制度下の駅家の一つ「桜井駅」のこと。西国街道が通るJR京都線 島本駅前にあり公園になっています。

楠正行は正成がなくなった後、南朝側で戦い、最後の戦いとなったのが高師直と戦った四条畷の戦い。枚岡あたりを根城にしていた水走氏と共に戦いましたが敗れ、亡くなりました。本陣はもう少し南の往生院六萬寺にありましたので、この一帯も戦場になったのでしょう。

大阪平野が一望できるので大坂夏の陣では家康が最初の本陣を置いていました。

天下の城下町(大阪歴史博物館)

大阪歴史博物館
谷町四丁目にある大阪歴史博物館へ。エレベーターで10階まであがると奈良時代の難波宮の大極殿を原寸大に復元した空間へ。女官や侍従の等身大の人形が並んでいます。暗い中、モニターでは難波京のCGが映し出され、大極殿の前に官僚が整列。一番前に左大臣・橘諸兄が登場し、難波宮を都とする聖武天皇の勅命が宣せられます。
難波京・大極殿がだんだんと現代の姿に変わっていくと同時にブラインドが上がり、一気に明るくなります。眼下に広がるのは博物館前の難波宮史跡公園。全景が見られます。何回も見ているんですが、毎回、悠久の歴史が感じられます。
常設展を見てから、今回は特別展「天下の城下町 大坂と江戸」を見てきました。信長、秀吉、家康の城古地図などが展示されています。
信長-小牧城、岐阜城、安土城
秀吉-伏見城、名護屋城、聚楽第、大阪城
家康-江戸城
先日、岩波書店の「信長の城」を読んだばかりでしたので、小牧城の城下町図などは感激ものでした。聚楽第の黄金の瓦も展示。別に「大阪市の新指定文化財」というのをやっていて、難波京で見つかった日本最古の万葉仮名木簡が展示されていました。「はるくさのはじめのとし」という文字が書かれていますが、きっちり読めました。
信長、秀吉、家康と言えば、10年前に富士通ファミリ会東海支部のサイトに「郷土の三英傑に学ぶ」というのを連載していました。歴史モノを書いたのは初めてでしたね。

洲崎神社(名古屋)

suzaki201302.jpgプラネタリウムで有名な名古屋市科学館の近くにあるのが洲崎神社。 

場所は若宮大通(100m道路)が堀川を渡るところにある新洲崎橋のたもとにあります。名古屋駅からも割と近く、御園座がそばにあります。860年頃の創建なので、めちゃくちゃ古い神社です。応天門放火の罪で大納言伴善男が流罪となる応天門の変が起きた頃です。 

大昔、このあたりは入江で洲崎になっていました。つまり昔の海岸線。名古屋駅周辺には笹島、亀島などの地名が残り、少し離れたところには枇杷島、津島、長島があります。ですので大昔、名古屋駅も海の底。大雨が降ると洪水などで名古屋がボロボロになるのは必然ですね。 

戦国時代には那古野城今川氏の家臣だった、中村氏の廣井城が神社の北側にあり、織田家と争っていました。神社の入口に廣井城跡と書かれていました。 

名古屋城を築城する時に境内の一部が堀川になってしまいましたが、尾張藩御船手役所ができ、尾張、三河、伊勢、志摩の防備に尾張藩があたっていました。いまだとさしずめ海軍基地です。 

四日市商工会議所でIT窓口相談

yokkaiti201301.jpg午後は四日市商工会議所でIT窓口相談。相談は2件で、相談の後、2月に行うセミナーの打ち合わせをして帰ってきました。IT窓口相談は月に1回、伊勢商工会議所と四日市商工会議所で開催しています。 

もともとは3類型と言って、中小企業・ベンチャー総合支援センター、都道府県等中小企業支援センター、地域中小企業支援センターが、平成11年中小企業基本法の改正でできました。 

三重県の場合、中小企業・ベンチャー総合支援センターは名古屋にある中小企業基盤整備機構・中部支部で、都道府県等中小企業支援センターが三重県産業支援センター、地域中小企業支援センターが伊勢商工会議所、四日市商工会議所でした。地域中小企業支援センターはローカルセンターとも言っていました。 

当時、三重県産業支援センターからローカルセンターへ出向いてIT相談をしており、3類型がなくなっても何とか続けてほしいと依頼があり、10年近く続いています。予約制なので予約が入らないと行かないので2ケ月ぶりぐらいに四日市商工会議所へ行ったのですが、すぐ近くの国道1号線沿いにセブンイレブンが出来ていました。あっという間に作ったんですね。 

次回の四日市商工会議所のIT窓口相談は2月13日(水)ですので、お近くの方はぜひどうぞ!会員以外でも大丈夫です。