関西線が時刻変更になっていた!

iga20120319.jpg伊賀にある企業の相談に乗るためにJR奈良駅から大和路線に乗って、加茂駅へ。ここらへんは聖武天皇が作った恭仁京跡。なにも残っていません。

加茂駅に着くと、いつも目の前に2両編成のディゼルカーが待っており、すぐ連絡しているはずが、今日は車両がない!同じように大和路線を降りた乗客もなんで車両がいないのという顔。そこへアナウンスがあり、次の亀山行きは20分ほど後のこと。エーッ!

3月17日(土)から時刻変更したそうです。駅に貼られていたポスターを見ると亀山駅の乗り継ぎを改善するための時刻変更なんだそうです。亀山駅
はJR東海、JR西日本の分岐点で、乗り継ぎが悪かったのですが、ようやく改善したんですねえ。それにしてもダイナミックに大幅な時刻変更をしていまし
た。

大和路線は本数が多いので加茂駅の連絡は問題ないのですが、もうちょっと関西一円でアナウンスしておいてよ!

尾鷲へ

owase20120305.jpg大阪から近鉄で松阪駅へ。三重県経営者協会の担当者の車に便乗させてもらって尾鷲の企業へ行ってきました。

厚生労働省に最低賃金中小企業相談支援事業というのがあって、三重県では三重県経営者協会が受託しています。県内4ケ所に相談所があり、南は尾鷲相談所からの依頼です。こんな事業があるとは、こないだまで知りませんでした。(笑)

IT相談を行ない、津へ戻ってきました。

尾鷲の手前に新しいインターができており、3月20日に開通すると大きく書かれていました。紀勢自動車道の海山インターチェンジで、海山から尾鷲北インターチェンジまでが結ばれます。利用は無料で、峠を超えなくても尾鷲に入ることができます。これは楽ですね。

東紀州地域は国道42号線しかなく、この道路に何かあると陸の孤島になってしまいます。2004年9月の大雨ではJR紀伊長島駅近くの鉄橋が流さ
れ、国道42号線が寸断。尾鷲の隣の相賀が大きな被害を受け、船で尾鷲に届いた救援物資を尾鷲の人が担いで、歩いて馬越峠(熊野古道)を越えて運びまし
た。緊急時tは熊野古道が生活道路になっていますが、ようやく代替えできる道路ができます。

尾鷲のはずれにあるのが中部電力の火力発電所。止まっていたのですが電力不足で再稼働しています。ただし老朽化しているため1基だけの運転です。写真で雲がかかっているのが馬越峠(熊野古道)。尾鷲は三方を山に囲まれ、もう一方は海という土地です。

梅田で同期会を開催

osaka201202.jpg1982年に大学を卒業し、株式会社SRAに入社。

システム開発の会社で当時は82年会という同期会を作っていました。あれから30年、私は9年ほど勤めて転職しその後、独立してしまいました、東
京から大阪へ異動してきたメンバーなどもいて久しぶりに梅田で集まって同期会を開催。中には20年ふりにあうメンバーもおりましたが、入社当時の失敗話な
どあっという間に当時に戻りますね。若かったなあ(笑)

同期会の後は奥さんの付き合いでバレンタインチョコレートの買い出しに大丸へ。15階に特設会場が設置されていましたが、チョコレートを求める女性だらけで浮いておりました(笑)

ボロに値打ちがある

ebisu201201.jpg伊賀上野の車坂商店街に古布の店があります。

古布「にしぐち」というお店で3年前に隣家からの出火で全焼してしまったのですが、お店を建てなおしてがんばっています。伊賀へ行くと時たま寄っているのですが古布の世界は奥深いですね。

木綿で昔の農作業で使った野良着がお店にあったんですが、片袖が落ちていて、どう見てもボロキレなんですがこれがウン万円!話を聞いてみると高いものでは70万円するそうです。ヒ~エ~!

どこの農家でも使っていましたが、すり切れてツギをあて、最後はボロ切れだと思って捨ててしまうので、ほとんど残っておらず古布市でも高価に取引されています。こんなボロキレがね~え。ビンテージ・ジーンズの世界とよく似ていますが、さっぱり分かりません。

古布「にしぐち」

http://kofunisiguti.goods.officelive.com/default.aspx

伊賀上野の町を歩いていたら茅町の恵比寿神社で初恵比寿で賑わっていました。大阪は十日戎なんですが伊賀は19日、20日なんですねえ。境内では恵比寿踊が奉納されていました。

御堂筋イルミネーション

midousuji201201.jpg昨日、梅田へ仕事に行く途中、大阪産業創造館へ寄って会場費の支払い。

知研関西3月セミナーは燃料電池のセミナーです。3月23日(金)に家庭用燃料電池エネファームの開発などにたずさわった田島さんに初心者向けにお話いただきます。

燃料電池が自動車などに搭載され新エネルギーとして脚光をあびているのは知っていたんですか、コンセントがないホテルに泊まっても大丈夫なようにビールでも充電可能な携帯型燃料電池まで登場しているんですね。

▼ビールでも充電可能な携帯型燃料電池

http://ow.ly/8xsAc

さて梅田へ移動するために堺筋本町から本町まで歩くと御堂筋がすごいことになっていました。「大阪・関西から元気を」をテーマに御堂筋イルミネー
ションが行われていたんですね。御堂筋1.9kmが光の道になっています。ちょうど本町で光の色が変わっていて、めちゃくちゃキレイですねえ。写真を撮り
ましたが、やっぱり本物の方がきれいですね。22日(日)まで開催されています。

▼御堂筋イルミネーション

http://www.pref.osaka.jp/toshimiryoku/illumi/

石切夢観音

yume201201.jpg近鉄電車から見ると石切駅に着く前に山に変なオブジェがあって前から気になっていたんですが、石切神社上之社のすぐ横にありました。その名も石切夢観音。

ネットで調べると毎月1日、日曜、祝日の昼間(10時から4時まで)しか開いていないそうで参拝するのがなかなか困難な観音さんなだそうです。参拝した方のいろいろなブログを見ると「なんじゃ~こりゃあ!」という感想ばかり(笑)

「日本で三番目 石切大佛」、「土地時価約壹億圓 東大阪市へ個人寄付 旧和歌山藩士勲五等正六位 四世 阪本昌胤」やらワケのわからない不思議なものが一杯の石切なんですので驚くにはあたりません。パワースポットでもありミステリースポットでもあります。

石切神社

ishikiri201201.jpg近くの石切神社に注連縄を置きに行ってきました。今日の夜、どんと焼きで燃やされます。

石切神社はでんぼ(腫物)の神さんで有名で、平日もお参りが多いのですが土日はかなり増えます。境内の入口と奥にお百度石が立っていて、そこをグ
ルグル回るのが石切神社のお百度参り。ざっと40人ほどが回っていて流れるプール状態です。日本にはたくさんの神社がありますが集団でお百度参りが行われ
ているのは石切神社ぐらいでしょうね。

石切神社の正式名称は石切劔箭神社で祭神は饒速日尊(にぎはやひのみこと)。神武天皇以前に天磐船で河内に降り立った天神で、この饒速日尊が物部氏の祖先になります。神武天皇を大和に迎え入れ大和朝廷を設立させます。

石切は大和朝廷の設立時代以前からあるパワースポットですので、神社近くの商店街には占いの館がずらっとあり他にはない異界になっています。道幅の狭い商店街を少し歩いてみましたが人が多かったですね。商店街のゆるキャラであるイシキリンはいませんでした。

どんと焼き

suwa201201.jpg四日市商工会議所へ行く途中、諏訪商店街の中にある諏訪神社に初詣。昔の東海道に面した神社で古社です。

境内にはどんと焼きの準備のため、注連縄やお守りが積み上がっていました。子供の頃、家から棹に網をつけ、餅を持って神社へ行っていました。どんと焼きで焼いたお餅を食べると無病息災で過ごせるという風習があり、よく焼いていましたね。

どんと焼きですが地方によって呼び方が違い、一般的には左義長と言うんですね。信長が安土の左義長で爆竹を鳴らしながら派手な行進をしたことが朝廷にも伝わり、京都で行われたのが馬揃えです。

さてウチの注連縄も明日、石切神社に持っていかなければ!

明治製菓の巨大看板

meiji201201.jpg昨日、摂津富田へ行ったついでに明治製菓の巨大看板を見てきました。

JR京都線に乗っている人にとってはおなじみの看板です。サイトを見ると高さ27.6メートル・幅165.9

メートルとあります。これがチョコレートの形をしているのでインパクトありますね。

高槻駅の1日あたりの乗降客数が14万人、摂津富田が5万4千人ですので、おそらくJR京都線で通過している人は1日100万人以上。毎日、ミル
クチョコレートを見て通勤、通学しますので、絶対に意識に刷り込まれてチョコレートを食べたくなることを想定したのかなあ。バレンタインに関西圏のミルク
チョコレートの売上が上がると効果大なんですが。(笑)

でも明治製菓の大阪工場がどこにあるか知名度はかなり高まりました。この看板、明治ミルクチョコレートの約38万枚分でビッグミルチと呼ばれています。もともと社内で明治ミルクチョコレートをミルチの愛称で呼んでいたそうです。

今城塚古墳

imaki201201.jpg午前は向日市でお仕事。午後は摂津富田で途中下車して今城塚古墳へ。いろいろと学説がありますが本当の継体天皇陵ではないかと言われている古墳です。

天皇陵に指定されていないので発掘が進んでいて、いろいろな発見につながりました。現在は公園として整備されています。周囲には円筒埴輪がずらっと並び、なかなか壮観ですね。前方後円墳そのものにも登れますが、大きすぎて全体をつかむのは難しく、まさしく山ですね。

周囲をめぐる堀の外に周濠がめぐっているのですが、一角が広くなっていて、家・大刀・盾・人物・動物などで190点近くの埴輪が並んでいました。その部分も復元されています。埴輪は全部で6千点ほどあったそうです。

戦国時代、古墳は二重に堀がめぐっていたこともあり織田信長が三好一族を攻めるための砦を築いていました。そこで今城という名前になったようです。

古墳のあるあたりは氷室町という名前で古い土地なんですなあ。