一休寺

午前は京都橘大学でWOC認定看護師の講座

現役看護師のお姉様方がほとんどですが、男性の看護師さんが2名混じっています。ITスキルは皆さんバラバラで、なかなか大変な講義です。

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今日も昼から予定をいれていなかったので、京都駅で乗り換えて近鉄で新田辺駅へ。このあたりは京都の南に、京田辺市で同社大学のキャンパスがあることで有名です。近鉄の新田辺駅からすこし歩くと、すぐにJR京田辺駅です。この駅近くに山城地域ビジネスセンターが京田辺市商工会館にあり、知り合いの経営指導員がいるので寄ってきました。
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商工会館から歩いて一休寺へ。トンチで有名なあの一休さんの寺です。木曜の午後、京都市内にある寺はありませんので、参拝者は3組だけでした。枯山水など見どころが多いですね。
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境内には一休さんの墓もありますが小松天皇の王子でしたので、廟所は宮内庁の管轄になっています。つまり天皇陵と同じ扱いになっています。境内には小さな橋があったのですがご丁寧に「このはしわたるな」と看板がかかっていました。もちろん真ん中を歩きました。

澪標(みおつくし)

大阪市のシンボルマークになっているのが澪標(みおつくし)。南港にもありました。

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江戸時代、河村瑞賢によって開削された安治川を通って、大阪へ物資が運ばれました。入口となる天保山や水深の深い安全な水路に澪標が建てられていましたが、歴史は古く平安時代以前からこの形だったようです。

当時の物流は船が中心で、関西から江戸へ物資が運ばれました。これが「下りもの」です。初荷となる綿と酒は番船というレースが行われていました。安治川の会所で「送り切手」という参加証を受け取り、小船で外で待っている菱垣廻船に乗り込みスピードを競います。江戸まで最短で50時間で着いたそうです。

月曜、雨の平城京

姫路で大雨だそうで、朝JRが20分ほど遅れていました。いつもの時間に大阪駅に着くとちょうど遅れた新快速が着きましたので、実際はオンタイム。京都へ出て、大学での講義の後、近鉄で西大寺へ。

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雨が降るしかも月曜日。さすがに平城京はすいているだろうと思い西大寺へ。西大寺からジャスコ方面にまわって北側から平城京へ、ルートにあまりのっていませんが平城宮跡資料館に一番近い道です。やっぱり遺構展示館、東院庭園には、ほとんど人はいませんでした。さすがに大極殿と朱雀門あたりは人出がありました。

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遺構展示館は久しく行かなかったのですあ、展示物はけっこう変わっていました。木簡を見るのが好きで、今回も面白いものがありました。役所に借金した借用書で裏にはご丁寧に保証人の裏書があり、今も昔も変わりませんね。そうそう長屋王の名前が入った木簡もありました。

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平城京の東院庭園に目の前にイトーヨーカー堂が見えるのですが、元は奈良そごう。長屋王の邸宅の上に建てたので、そごうがつぶれたのは長屋王の呪いだろうと言われましたが、さもありなん。

よく歩いたのでビールがうまい!

相賀へ

大阪から近鉄で松阪へ出て、JRに乗り換えて一つ手前の相賀へ。峠とお茶畑が拡がる車窓を見ながら、ようやく到着。なんせ各駅停車しか止まらない駅ですので時間がかかります。
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まあ、せっかく相賀まで来ているのでお昼は刺身です。地元の人に連れていってもらったのですが「ここはうまいよ」と最初に行ったお寿司屋さんは定休日。少し離れたお店へ、でもここの刺身もおいしかった。

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ホームページや検索エンジンなどについてのセミナーなどをして、またのんびり列車に揺られて帰ってきました。

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石川年足の墓誌

今日は大阪でお仕事。
お仕事の後、堺筋本町の大阪産業創造館へ。6月23日(水)に知的生産の技術研究会・関西セミナーを開催するので、その会場申込。

そのまま谷四まで歩いて、久しぶりに大阪歴史博物館へ。展示のスタートは10階で、難波京の大極殿からです。ここのイベントがけっこう好きです。

大極殿の柱の中で唐、新羅、日本へと流れる映像が流れます。やがてCGの難波京の大極殿が映り、朝庭にいならぶ官僚にむかい橘諸兄が難波京を都にする宣告をします。そうすると暗かった大極殿の扉が開き、見下ろすと現在の難波京が映ります。都会のど真ん中によくこんな遺跡が残っていました。
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また大阪歴史博物館周辺には大きな倉庫が並んでいて、復元されています。さて展示内容ですが、古代はけっこう新しい展示に変わっていました。また「遺跡から見た奈良時代の大阪」という特集展示をやっていて、高槻で発掘された石川年足墓誌(国宝)が展示されていました。

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この石川年足って、蘇我一族です。
蘇我馬子-蘇我倉麻呂-蘇我連子-蘇我安麻呂-石川石足-石川年足
となっていて、藤原仲麻呂や道鏡の時代に活躍した人物です。

電車の鳩で大騒ぎ

鳥羽から志摩方面に入って志摩磯部駅へ。

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志摩磯部駅は以前は志摩スペイン村の玄関駅でしたが、今は少し先の鵜方駅に移ったので、だいぶ寂れています。駅舎はスペイン風に作ったのですが人がいませんね。エレベーターも止まっていました。駅の周りには田園が拡がっています。

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さて企業訪問が終わって志摩磯部駅から普通で鳥羽へ出て、宇治山田駅で急行に乗り換え。宇治山田駅の次の伊勢駅から鳩が乗り込んできました。次の停車駅は松阪ですので、けっこう時間があります。鳩が外へ出ようと車内を飛び回るので、大変な騒ぎに。車掌もやってきて、鳩の捕獲に乗りだします。ようやく乗客の一人が飛び回る鳩をつかまえて窓から出しました。拍手が起こっていました(笑)

すっかり田植えが終わった三重の田んぼ

朝、大阪から三重へ移動。

近鉄で大阪から奈良を通り伊賀をぬけて津へむかいます。伊賀は盆地のため平野に比べると温度が低いこともあり少し田植えが遅くなります。ですが、ゴールデンウィーク中にはほとんど終わってしまいます。

早場米の産地ですので奈良なんかよりは1ケ月早いですね。和歌山との県境の紀宝町は超早場米で、田植えは3月末に行っています。

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写真の田んぼは伊賀上津駅(いがこうづ)近くにある大阪天満宮の田んぼです。神社に備えるお米を作るのでしょうが、なぜ伊賀なんでしょうね。

安岡正篤 旧宅

安岡正篤って、ご存知ですか?

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多くの政治家や財界人の精神的指導者で、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳などが薫陶をうけていました。今、我々が使っている「平成」の元号の発案者でもありますし、もっと前には玉音放送の原案を起草したのが安岡正篤です。

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大阪生まれで、小さい時に住んでいたのが東大阪の善根寺。今もその家は残っています。自転車で15分ほどのところですので、行ってみました。って、中には入れません。

東大阪の旭町図書館には司馬遼太郎コーナーに並んで安岡正篤コーナーがあります。

三瀬谷へ

松阪から国道42号線をずっと尾鷲へ向かう途中にあるのが三瀬谷です。

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こんな山間にある企業さんへ行っておりました。会議室からは日本一の清流・宮川が見えています。この川がずっと伊勢まで続いて伊勢神宮・外宮の禊川となります。なんとも風光明美なところですね。

川に向かって木が生えているところに小さな石があって、宮川の対岸から逃げてきた平家がここで切られたんだそうで、こんなところまで平家伝説が残っているんですね。

まあ平清盛のお父さんの忠盛は津市が出身地で、伊勢の国は平家の本拠地ですので、まあありそうな話ですね。

世界一古い会社

四天王寺の境内を出て谷町通りを歩いていたら金剛組の看板を発見。

これが金剛組かあ!と思わず入口の写真を撮りました。(笑)

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金剛組とは皆さん、よくご存じの世界一古い会社です。創業は578年。奈良で平城京遷都1300年をやっていますが、それよりも古く飛鳥に都があった敏達天皇時代です。

聖徳太子が百済から3人の宮大工を招いた一人が金剛さんで、この人が創業者になります。四天王寺や法隆寺を作りました。現在まで脈々と続き、宮大工専門の建設業です。

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日本は老舗企業の多い国で創業200年以上の企業が世界に7,200社ほどありますが、43%を日本の企業が占めています。また1000年以上続く企業が19社あります。

三重に漢方薬を作っている会社があるのですが、創業を聞いてみたら1570年でした。信長が姉川の戦いをしている年です。これでも440年前で金剛組に比べたらまだまだですねえ。