源頼朝が生まれたのは名古屋

yoritomo201209.jpg今日は日曜なので大河ドラマ「平清盛」ですなあ。 
あまり知られていませんが源頼朝が誕生したのは名古屋です。 

源義朝の正室は藤原季範の娘・由良御前で、この藤原氏は熱田大宮司。熱田神宮の目の前に平安時代、別邸がありました。由良御前は身ごもった後、実家(熱田)へ戻り、ここで源頼朝を産んだそうです。現在は誓願寺というお寺になっています。最寄駅は地下鉄・神宮西駅です。 

寺の前に右大将頼朝公誕生舊地の碑があります。頼朝のお父さんふだった源義朝は平治の乱で敗軍の将となり、亡くなったのは尾張国野間(愛知県知多郡美浜町)で裏切りが原因でした。源氏は愛知県と深い縁があるんですね。 

源頼朝、織田信長、豊臣秀吉は3人とも名古屋生まれながら、鎌倉、安土、伏見を本拠地にし、名古屋とはあまり縁がないですね。

全国でただひとつ超宗派のお寺 覚王山日泰寺

nitaiji201209.jpg覚王山日泰寺へ。 

名古屋市営地下鉄・東山線の覚王山駅から、参道を上がると覚王山日泰寺です。全国でここだけという超宗派のお寺です。昨日は弘法の日(21日)ですので、参道には屋台があふれていました。 

事の発端は明治31年にお釈迦さんの遺骨である仏舎利が発見されたことにさかのぼります。インドで、骨壷が英国の手で発掘され、古代文字を解読したところ本物の仏舎利だったことが判明しました。この仏舎利が、英国からシャム国(現在のタイ王国)へ譲渡されています。 

明治33年にこの仏舎利の一部が、シャム国王ラーマ5世から日本へ贈られました。受け取った日本では大騒ぎ。どこかのお寺に収めると、それぞれ宗派があるので角が立ちます。そこで超宗派の寺として仏舎利を安置するために作られたのが覚王山日泰寺です。 

日泰寺の泰は仏舎利を贈ったタイ王国をあらわします。また覚王山の覚王とは、釈迦の別名。本堂にはタイ語の扁額がかかっていました。また参道の商店街にはエスニックで個性的なお店が並ぶことで有名です。ただし弘法の日は年配層が多かったですねえ。

尾張の物部氏

mononobe201209.jpg午後、名古屋の企業へ専門家派遣へ。午前中に前から気になっていた物部神社へ出かけてきました。物部神社は地下鉄桜通線・車道駅を降りてすぐの所にあります。祭神は物部氏の祖である宇摩志麻遅命。式内社ですので古代からあり、都会の一角によく残りましたね。 

またここから歩いてすぐのところに高牟神社があります。JR千種駅のすぐそば。ここは物部氏の集落の一郭で、武器を納めた倉があり、現在の高室神社になっています。高室神社のあたりは常世の草香島(くさかじま)と呼ばれ清泉が湧き出ていました。今も境内に応神天皇に水を献上したと言われる古井が残っています。 

私が住んでいる東大阪や八尾も物部の土地で、神社の神様と言うと決まって物部系です。おまけに八尾には大聖勝軍寺という寺があり、ここが物部守屋の稲城址。蘇我馬子、聖徳太子連合軍に敗れた場所で、近くには物部守屋の墓まであります。ほんまかいな(笑) 

東大阪や八尾は今は大阪の東部ですが当時は海岸沿いで草香津から神武天皇が攻め入り敗れた場所でもあります。名古屋も古代の平野部は海で、名古屋城から熱田神宮あたりが海岸近くの高台でした。大阪も尾張も物部の土地で、不思議なご縁がありますねえ。 

学食運営は難しい

lunch201209.jpg昨日のお昼は名古屋市新事業支援センターのマネージャ達と名古屋大学・医学部の学食へ。なかなかリーズナブルで品数も豊富な学食でした。定食は麦ご飯を選ぶこともできます。 

学食の経営は学生相手なので楽かと思えば、なかなか大変。大学の場合、長い夏休み・春休みがあるため雇用の問題が出てきます。子供が夏休みや春休みの時は休みたいというお母さん方をうまく見つけて雇わなければなりません。 

会社としては夏休み、春休みの学食の売上がありませんので、他で商売をしていなければ会社がもちません。ただずっと休みかと言えば、そんなことはなくオープンキャンパスが行われると、見学者に対して学食をアピールするため大学から営業するように頼まれます。 

オープンキャンパスは土日などに開催されますので、休日出勤してくれるパートさんを見つけてシフトを組まなくてはなりません。人のやりくりが大変なのは外食産業の宿命ですね。 

たまにおいしい話もあります。学内で行われる会議や大会などの後のパーティ需要。バイキングスタイルのパーティですので、まあまあ粗利をとることができます。そんなこんなで学食運営しているところが多いですね。基本的には生協運営ですが、直接、大学と事業者が契約しているケースもあります。 

ビジネスプラン発表会2012

bisiness201209.jpg名古屋駅前にある「ウィンクあいち」でビジネスプラン発表会2012を開催。あいち産業振興機構との共同開催で6社のビジネスプラン発表会を行いました。 

名古屋市新事業支援センターの場合、応募で出てきたビジネスプランを書類審査や事業可能性評価委員会のプレゼン審査で絞込み、3社を選抜して発表してもらいました。名古屋の3社は事前に聞いているので、新鮮さはなかったのですが3社ともギリギリまで内容に手に入れて分かりやすく工夫していました。 

面白かったのが最後に発表したアピュアン株式会社(あいち産業振興機構)。名古屋では珍しいベランメー調の社長で、実に楽しめるプレゼンでした。 

静音・低振動のエアハンマーの開発・販売をしています。元々は土木の仕事をしていた友人が土を突き固めるランマーの振動で白蝋病(血管性運動神経障害)になってしまったのがキッカケ。調べると腱鞘炎や難聴で苦しむ作業員が多く、そこで振動や騒音を減らす器具を開発。振動は1/10に削減できたと言うことで、後で試させてもらいましたが全然、違いました。 

既存のものに比べると高いのですが、エンジンの組立でもエアハンマーが使われており、自動車会社などが従業員の安全対策の意味もある導入しています。

建設業診断研究会

朝から三重県産業支援センターへ、さすがにこれだけ雨が降ると相談はなく平穏無事に過ごしておりました。 

夕方、本屋でも寄って帰ろうかなと思っていたら支援センターに間借りしている三重県中小企業診断協会の職員がコピーをとりに私の近くに。私の机の隣に大きな複合機があります。 

職員の顔を見た瞬間、「あれ、今晩って、何かなかったけ?」「今日は建設業診断研究会の初日ですよ。申込していたじゃないですか!」完璧に忘れておりました。(笑) 

津駅前のアスト津の会議室で建設業診断研究会がスタート。三重県中小企業診断協会には企業診断研究会という定例の研究会しかなかったのですが、今年度から新しく立ち上がる研究会です。 

今日は建設業の現況や入札についての勉強。 

建設投資は公共・民間を含めピーク時から半減していますが、事業者数、従業員数は20%ほどの減で過当競争になっている業界です。 

そのためダンピングも多く、品質を守れない事業者などの問題もあり、入札では最低制限価格を導入しています。三重県では工事予定価格を事前公表してしまっているので、最低制限価格は大体類推できます。結局、入札価格が最低制限価格近辺に張り付いてしまい、結果的にクジで落札者が決まるように大変な業界です。

BLAST研究会

blast2012009.jpg昨日は大阪産業創造館でBLAST研究会を開催。第35回目です。 

中小企業診断士の集まりで、もともとは2002年に試験制度が変わった時、実務補習を大阪で受講したメンバーを中心に組織しています。最近は年に3回ほど開催。 

15日間の実務補習が無事に終わり、中小企業診断協会の主催で打ち上げパーティがあった時にBLAST研究会を作りませんかと呼びかけていたのが和歌山の濱田さん。これがきっかけで生まれた研究会。実務補習をしていた仲間とはあう機会がありますが、他の班との交流はほとんどないので、なかなかえがたい会です。よく10年続きました。 

毎回とはいきませんが参加できる時は参加しています。昨日、大阪産業創造館の対面で研修室で同じ時間帯にやっていたのが情報診断士の会。中小企業診断士には勉強好きが多いんですなあ。(笑)

ずっと飲んでいた新幹線0系食堂車

syokoudou201209.jpgあおなみ線の終点が金城ふ頭駅。見本市などが行われるポートメッセ名古屋があります。反対側にあるのがリニア鉄道館。 

軽便鉄道で使われていた蒸気機関車から超電導リニアまで展示されています。懐かしいのが新幹線0系。車両が二両展示されていて、1両は今と基本的に変わらない3列、2列の座席の車両ですが、もう1両が食堂車。4人席テーブル、2人席テーブルが並んでいました。 

食堂車の外側に乗客が通れる通路があるのですが狭く、人がすれ違うのも一苦労。こんなに狭かったんですねえ。 

新人で入社したITベンダーの本社が東京でしたので、研修などで時たま東京へ行く機会があり、出張では新幹線を使っていました。今みたいに日帰り出張という時代ではなく、1泊するのが基本でした。 

利用は自由席が多かったのですが、同僚と東京から新大阪へ帰る時には、東京駅を出発すると、まず食堂車に行って、結局、京都をすぎるあたりまで延々と飲んでいましたね。いい時代でした。

前田利家の生誕地(荒子城)

arako201209.jpg午後から「あおなみ線」沿いの企業さんに専門家派遣で行く用事がありましたので、午前中に前から気になっていた荒子へ行ってきました。 

前田利家が生まれた荒子城。城といっても戦国時代ですので堀で囲まれた館のようなもの。現在、城跡はなにも残っておらず、天満天神宮になっています。この天満天神宮は荒子城の中にありました。今は住宅街に囲まれた中にポツンと残っています。 

すぐ近くにある近鉄・伏屋駅に前田という地名があり、こちらに前田城がありました。この前田城で前田利家が生まれたという説もありますが、中心になったのは荒子城でした。信長の清須城からもそれほど離れておらず、そばを流れている川沿いに清須まで移動することもできました。当時、海岸線がずっと内陸部でしたので、荒子城は海を守る南の拠点にもなっていたのでしょう。 

前田利家は信長の命で越前(石川県)に移り、城を守っていた前田利長も越前に移ることtなり荒子城は廃城になりました。尾張荒子から前田利家に従って移住した人が住んだことから金沢に尾張町ができています。 

英語の相談申込書

nagoyasien201209.jpg公的機関で窓口相談をしていると、時たま国際的な相談があります。 

相談の多くは日本の商品を海外で売りたいという販路開拓や現地で販売代理店を見つけたいといった相談。そんな中、たまにですが外国人の創業相談があります。 

外国人の場合はビザの問題があり、起業するには投資経営者ビザに切り替えなければなりませんので、けっこうハードルが高くなります。ビザの問題もあって外国人の相談はほとんどありません。かなり前にペルー人や中国人の創業相談に関わったことがあるぐらいです。 

本日、相談申込があったのはインド人。名古屋市新事業支援センターでは事前に相談申込書を送ってもらっているのですが、申込書を見たら英語で書かれていました。「エー、英語で相談しないといけないの!」と暗い気分でしたが、話をしてみたら流暢な日本語で、助かりました。