宣長ってどんな人?

motoori201210.jpg松阪にある「オーダシャツのHashimoto」へ寄った時に「宣長ってどんな人?」という冊子をもらってきました。橋本さん、ありがとうございます。 

宣長とは本居宣長のことで、今年は古事記編さん1300年ですので、注目はやっぱり本居宣長でしょうね。古事記は712年にまとめられましたが、伝わっている古事記は1371年に書き写された「真福寺本古事記」が一番古いものになります。と言うことは原本に何が書かれていたかは定かではありません。他の話が入ったり、間違った字で写していることもあります。 

そこで本居宣長が始めたのは古事記と同時期に出来た万葉集の研究。古い言葉を正しく読めるところから始めました。そして35年かけて出来たのが「古事記伝全44巻」、古事記の解説書です。現在の古事記の基本はこの解説書から始まっています。 

■酒は3杯まで 
この本居宣長ですが、筆まめで死ぬまで細かく記録をつけています。家計簿まで残っているので、いつ何をしたかが、よく分かります。若いころはいろいろと羽目をはずしていたようで京都へ遊学していた頃は、よく酒を飲んでいたようで。噂を聞いた母親から、「この手紙が届いた後は、3杯以上のお酒を飲んではダメ」とダメ出しを受けています。 

■参宮幸便 
江戸時代、手紙は飛脚が運んでいましたが、小さな村などに届けるのは日数もかかり大変。そこで全国にいた宣長の弟子が考えたのが参宮幸便。本居宣長の家は参宮街道から一本入ったところにありましたので、伊勢神宮へお参りする人に届けてくださいと預けていました。また伊勢参りの後にできたら返事ももらってくださいと頼んだそうです。 

写真は本居宣長の家の跡地。家そのものは松阪城に移転し、本居宣長記念館になっています。ここからは松坂城が目の前に見えました。 

■松阪の一夜 
師である賀茂真淵と会ったの生涯たった一度。昔の教科書に載っていた逸話ですので年配の方はよくご存知ですね。賀茂真淵は伊勢参りの途中、松阪の新上屋に泊まり、宿から連絡を受けて本居宣長と会っています。この新上屋って、商店街の真ん中にあったんですね。知らなかった、今度、松阪へ行った時に探してみます。