なかなか便利なクリックポスト

クリックポスト
新刊書店で面白そうな本を見つければ買い、古書店でも買い、ツン読が増殖中。現在は3本の本の柱になっています。(笑)
せっせと読んで処分するようにしていますが、買うスピードと読むスピードが追いついていません。以前は駅近くに古本屋さんがあったので、せっせと持ち込んでいましたが店舗を閉めてネット専業になってしまいました。しょうがないのでアマゾンで販売しています。
本を送るのによく使ったいたのがメール便。コンビニに持ちこんでいたんですが、日本郵便がクリックポストというのを始めたというので使ってみました。これ、いいですね。メール便はコンビニに持ち込まないといけないので、朝や昼の混雑時は躊躇しますが、クリックポストはプリンターで印刷して、貼ってポストへ入れるだけなので、とってもお手軽。日本全国一律164円で、荷物の追跡ができます。ステマではありませんので(笑)

伊賀上野でセミナーを開催

メーテル&哲郎
伊賀神戸駅から伊賀鉄道に乗り換えて伊賀へ。
昔、西岡たかしの上野市(うえのまち)という歌がありました。
♪ 茅町 桑町 広小路 もひとつ揺られて上野市(うえのまち)
上野市駅で降りると駅前にあるのがメーテルと哲郎の銅像。工業団地&住宅団地「ゆめぽりす」の街開」と、松本零士デザインの「忍者列車」のデビューを記念して作られました。以前は「ゆめがおか」にありましたが、上野市駅前に移設されました。、松本零士デザインの忍者列車は今も走っていて、今日も乗りました。
上野市駅前にあるハイトピア伊賀 で「よろず支援拠点」のセミナー。四日市に続いて伊賀でも「よろず支援拠点」に駆り出されています。(笑)「ネット販売における商売の勘所」というタイトルでしゃべってきました。とりあえず、これでノルマは終了。
伊賀上野と言えば松尾芭蕉の生まれたところですが、商店街には生誕370年のノボリがひるがえっていました。

ジュンク堂サンパル方式

サンパル
ジュンク堂といえば天井まで届くような書棚とびっしりと並べられた本の列が特徴ですが、これってサンパル方式と言うんですね。
ひょうご産業活性化センターが入居しているのが三ノ宮にあるサンパル。戦後、国際マーケットという闇市があったところを都市整備公社が再開発し1981年にサンパルを建てました。現在は人通りが多く賑やかですが、当時は三宮から少し入った裏通りということもあり、夜ともなると、周囲に怪しげな女がたつような場所。ジュンク堂工藤社長の友人が都市整備公社に勤めていて、サンパルへジュンク堂が入居してくれないかと泣きついてきました。聞けば紀伊國屋や旭屋には断られての依頼。
■サンパルに大型書店を作る
工藤社長はアムステルダムに行った時、商店街の本屋で高い棚に整然と並べられた本の列を見て、図書館みたいやなと感動したことを思い出します。西宮に1号店を出していましたが、スペースの関係上、専門書をそう置けません。客からの問い合わせに「ありません」と答えると、「じゃあ、紀伊国屋へ行くか」といって去っていくお客を悔しく思っていました。そこで専門店を充実した本屋を目指します。これがジュンク堂で初めての大型書店になります。
サンパルの3フロアに出ますので、大店法の商業調整協議会の審議を受け、書店組合と話をつけなければならなくなりました。書店組合の条件は「フロアーを20坪けずれ」で、けずったところを喫茶店にしました。ジュンク堂に喫茶コーナーが誕生したのは、こんな理由だったんですね。
■ベストセラーに頼らない書店コンセプト
ジュンク堂サンパル店は3001982年坪で3月20日に開店。定番の週刊誌が売れるだろうと置いてみたらサッパリ売れません。週刊誌は駅や通勤途中の町の本屋で買い、わざわざ三宮の奥にあるサンパルで購入しません。そこでベストセラーなどに頼らない書店コンセプトがサンパルで生まれました。仏典コーナーへ行くといったい誰が買うんだという阿含経典や南伝大蔵経などがずらっと並んでいます。
サンパル店は1991年に500坪に増床し、2001年に隣のダイエー7階へ移転。550坪に増床となり現在に続いています。そうかジュンク堂の原点はサンパルだったんですね。

BLAST研究会

京都100年企業に学ぶ 商いのイロハ
2002年度にスタートした中小企業診断士の研究会。
メーリングリストでの情報交換が主ですが、年に3回、大阪産業創造館を会場に研究会を開催しています。もう12年になります。昨日は第41回目。
コンテンツは
『噺家のマーケティング』  玉島さん
『リスク管理』影 山さん
『京都100年企業に学ぶ 商いのイロハ』 林さん
の3本。
林さんはコミニケ出版から上梓された、「京都100年企業に学ぶ 商いのイロハ」を元にした話でしたが、たった4枚のスライドだけで40分しゃべっておられました(笑)
老舗にとって残すべきものと変わっていかないといけないものがありますが、スキヤキの三嶋亭(三条寺町)で残すべきものの一つが創業当時から変わらない佇まい。新婚旅行で京都を訪れたカップルが、25年後の銀婚式に子供と一緒にまた京都へ。三嶋亭を訪れた時に昔と変わらないお店に新婚時代のことを思い出します。
これこそが老舗の価値ですが、裏では木造建築を維持するのになみなみならぬ努力をしているのが老舗です。

大阪の高安と関係があった紀伊・亀山城

かえる橋
和歌山市からはるか向こうにある印南まで専門家派遣に行ってきました。遠かった!印南と言えば有名なのが「かえる橋」です。JRからよく見えます。
帰りは御坊で途中下車。紀伊・亀山城へ登ってきました。御坊駅の裏側(北側)にある山が亀山城跡。舗装された小道が頂上まで続いているのでスーツでも大丈夫。ただし汗だくになります。(笑)
頂上は公園になっていますが郭や腰曲輪が残っていて土塁もしっかりありました。城跡からは御坊の町船体から海上を行く船も見えて、なかなか絶景です。代々湯川氏の居城でしたが、秀吉の紀州進攻で湯川氏は城を焼き払って退去しゲリラ戦を展開。秀吉は手を焼いたようで後に和睦します。湯川氏の子孫はそのまま続いたようで城跡には子孫が建てた供養塔がありました。
信長が登場する前に三好長慶の軍勢と畠山高政の軍勢がぶつかった教興寺の戦いがあり湯川直光が畠山軍として出陣し亡くなっています。教興寺って、近鉄・高安駅の近くにあり、高安に住んでいた時に教興寺へ行ってきました。境内に湯川直光公勇戦の地碑が建っていたんですが、調べてみると昭和63年に御坊市民が建てたんだそうです。そうか、この亀山城の城主だったんですが、大阪の高安の地で亡くなったんですねえ。

郭が見事に残る安濃城

安濃城
専門家派遣で津の田舎にある安濃へ。
専門家派遣は昼からでしたので、少し早く出て、安濃城へ登ってきました。主郭跡には阿由多神社が建っていますが周りの土塁や空堀も見事に残っています。色んな郭も残っていて見応えがある山城でした。藪もなくきちんと整備されていて汗だくにはなりますがスーツ姿で登れます。
安濃城を守っていたのは名門・長野氏の一族である細野藤敦。織田信長の伊勢攻めがはじまり滝川一益が攻め寄せますが、はね返し落とせませんでした。結局は、織田信長の弟・信包を長野家の養子に迎えて和議を結ぶことになります。
ただ信包は信長の命令でしょうが、長野氏の排除に動きます。北伊勢の神戸氏、多気の北畠氏も同じようにやられてしまいましたので信長の常套手段ですね。城を追い出された細野藤敦は京都に逃れ、江戸時代に豪商・荒木家となり、郷里の阿由多神社に大般若経を奉納します。
織田信包は三谷幸喜監督の映画『清須会議』では伊勢谷友介が演じていました。安濃城を落城させた後に伊勢上野城の城主になりましたが、小谷城が落ちた後のお市や茶々、初、江をかくまっていました。伊勢上野城の次に津城へ移りますが、本能寺の変後に信長のお母さんである土田御前をかくまい。土田御前は津で亡くなっています。

関西商法に学ぶ商売繁盛のヒント

中森勇人
大阪産業創造館で知的生産の技術研究会・関西を開催。
テーマは「関西商法に学ぶ商売繁盛のヒント」で、講師は作家・ジャーナリスト 中森 勇人氏。
関西ならではの商法、笑法、逆張り商法、ニコイチ商法、むちゃぶり商法、牛のよだれ商法の5つと具体例を紹介いただきました。
ニコイチ商法とは戦後壊れた自動車2台から部品どりして1台の動く車を作って販売するような商法。まさかのコラボで例えばチキンラーメンはラーメン+天ぷらのコラボ。
泉州に本社がある東進というタオルメーカーが作ったのが1000円の高級タオル。安いタオルが市場を席巻するなか、値段が高すぎて売れません。そんな時に社長が見たのが冬の工事現場で防寒着の上にタオルを巻いているおっちゃん。聞いてみたら、マフラー代わりにしているそうで、これを聞いて考えたのがタオル素材のマフラー。カラーのバリエーションを増やしタフラー(タオル+マフラー)と名付けて売り出したら3年間で100万枚を突破。いろいろな商売のやり方を紹介いただきましたが、東進はタオルを地元に残すために知恵を絞っています。
そんな頑張っている中小企業のオンパレードでした。
日本一低い山「天保山」の登頂証明書を近くの喫茶「山小屋」が発行しるのは有名ですが、発行手数料が200円。これが1万枚も出ているので単なる紙で200万円も売上ているんですね!

ITC三重 定例会

ITC三重
ITC三重の定例会
三重県内のITコーディネータで組織している団体で、2ケ月に1回、三重県産業支援センターの会議室で定例会を開催しています。会員は20名で出席率は毎回よく今日も13名が参加していました。一番、出席率がよいのは12月の定例会で、終わってから忘年会があります。(笑)
今回はセミナー2本。
■医療系システムとITC ITC中部 伊藤さん
■企業(ITベンダ)内ITコーディネータ(ITC)最新事情
 東京におけるIT市場動向と企業内ITCが目指すべき役割~
  三菱電機インフォメーションシステムズ(株) 名山さん
東京はオリンピックの影響もあるのかITベンダーへの引き合いがすごくあり、案件を断っている状況なんだそうです。三重県とは違って東京は別世界なんですなあ。

中古車のベストマイカー

ベストマイカー
名古屋市新事業支援センターのある吹上ホールの隣が吹上公園。小さな公園ですが、緑が多く都会のオアシスになっていて、朝夕によく通っています。
朝、吹上公園を歩くと鳥の声が聞こえますが、時たまカッコウの声まで聞こえ、癒されます。すごいなあ、こんな小さな公園にまでカッコウがいるんだと思っていたら、実は隣にある中古車のベストマイカーが流しているBGMの音。
夕方には洋楽がかかっていますが、最近、流れているのは高校野球のラジオ放送。どっちが勝っているのかよく分かります。
ベストマイカーですが、展示されている中古車には値札はついておらず、フロントガラスにペンキで金額やエアコンの有無、走行距離などが直接書かれています。「今から48年前の車」というのもありますが、10年前に見た時も同じ文句じゃなかったけ?
平日の朝、夕しか店の前を通らないので、日中は知らないのですが中古車を売買する人は来ているんですかねえ。買ったらあのペンキは店で落とすのかなあ。

三重県の百貨店事情

松菱
三重県産業支援センターへ行く時によく松菱の前を通っています。私が小さい頃からある百貨店です。三重県内には百貨店が3つしかなく近鉄百貨店が四日市駅前と名張(桔梗が丘駅前)に、津に松菱があるだけです。
近鉄百貨店・桔梗が丘は2012年に全てテナント貸しという業態になりましたので百貨店でなく、実質的に百貨店と呼べるものは2つだけ。昔は松阪駅前と伊勢市駅前に三交百貨店がありましたが明和ジャスコなど、ショッピングモールの登場などで百貨店は衰退し、なくなりました。三重県北部(北勢)では名古屋駅まですぐなので、駅前にある高島屋、名鉄百貨店、近鉄百貨店の3店舗にもお客さんをとられています。松阪の三交百貨店は、松阪駅の陸橋からそのまま店内に入れ便利でしたが2006年に閉店。
津の松菱は津の南北にサンバレー、サティという2つのショッピングモールができサンドウィッチのような形になった影響が大きかったようです。松菱は1店舗だけの運営で、もともとは大門にあった大門百貨店が前身。昭和38年に現在の岩田橋の横に移転、店舗を拡げてきましたが業績悪化から2003年に産業再生機構による支援を受け、再建されました。北海道物産展などが催しものがあるとかなり集客しているようですが、ふだんはそうでもなさそうです、と言うほど中には入らないのですが。四日市の近鉄百貨店は地下1階が全フロア、MARUZENなので四日市商工会議所へ行く時などによく寄っています。
津新町駅は昔、駅ビルになっていて近鉄東海ストアが入っていました。駅前に津東映があった時代で、よく「スガキヤ」のラーメンを食べに学校帰りなどに寄っていました。