枚岡神社 秋郷祭り

枚岡神社 秋郷祭り
枚岡神社 秋郷祭り

枚岡神社・秋郷祭りは毎年10月14日、15日と固定になっています。今年は1日がちょうど祝日にあたりました。まあ地域の中小企業は祭りの時は休みになるし、小学校などは「先生、太鼓たたくんで休みます」と黙認です。(笑)

東高野街道にある鳥居から山の中腹にある枚岡神社へ23基の太鼓台が担ぎ上げられます。難関は近鉄枚岡駅の踏切超え。宮入や中担(なかがき)もいいいんですけども、この踏切超えが一番おもしろいですね。線路を超えた後に急坂がまっていて、ここを一気に担ぎ上げます。

今年も線路脇から出雲井の太鼓台から最後の四条の太鼓台まで通り過ぎるのを見ていました。宮入の時間と電車の間隔をぬって、各町の太鼓台を通していきます。近鉄の各列車も徐行運転になるんで、乗客はなんだこの人だかりはと驚いています。

リノアス

リノアス
リノアス

昔、高安駅近くに住んでいた頃、西部八尾に時たま行っておりました。2017年2月に閉店となりましたが、その後にできたのが「リノアス」という商業施設。
昨日、八尾へ行く機会があったので中に入ってみましたが、けっこう賑わっていました。隣にあるアリオ八尾への渡り廊下も西部八尾時代と応用に健在でした。
リノアスは八尾しかなく、はハワイ語のリノ(輝く)と日本語の明日を組み合わせた造語なんだそうです。

メーリングリストの引越

freeML
freeML

メーリングリストでよく使っていたFreeMLですが、12月でサービス終了するので管理しているメーリングリストをせっせとGoogleグループへ引越しています。まあまあの数のグループを管理しているので、引越作業が大変です。おまけにGoogleグループは1日あたり100名を超える追加ができないなんて制約もありました。

無料サービスなんで告知しての終了は問題ないですが、FreeMLの収益モデル(広告)が大変だったんですかねえ。1998年頃、eGroupというメーリングリストがアメリカで生まれ、Yahoo!が買収して、Yahoo!グループとして2004年にスタートしましたが、10年経過した2014年にサービスが終了しました。当時、メーリングリストにYahoo!グループを使っていて、サービス終了に伴ってFreeMLに移行したので2回目の引越です。

阿保神社

阿保神社
阿保神社

河内松原にあるのが阿保神社。

阿保は「アホ」ではなく「アオ」と読みます。平城天皇(桓武天皇の息子)の皇子が阿保親王で、プレイボーイで有名な在原業平のお父さんです。この周辺に別荘があったため阿保という地名となりました。

阿保親王ですが日本史で習った”薬子の変”に連座して大宰権帥として左遷されましたが、後に許されてこのあたりに別荘を作りました。別荘の場所は阿保から田井城のあたりにあったようです。菅原道真が阿保親王と同じように大宰府に左遷される時、ここで休憩したことから阿保神社が作られたそうです。祭神は菅原道真で神社の紋は梅鉢でした。

河内松原に阿保親王の別荘があるのは、お母さんが百済系渡来氏族の葛井氏出身で、このあたりが葛井氏の本拠地だったからです。葛井氏の氏寺が葛井寺(フジイデラ)で、今の藤井寺となります。

■伊賀の阿保
伊賀にも阿保という土地があります。大阪と三重の真ん中あたりに近鉄・青山町という駅がありますが、もともとの名前は阿保(あお)駅でした。こちらは垂仁天皇(実在した?)の後裔氏族である阿保氏という豪族が住んでいたあたりで伊賀国造の一族でもありました。阿保宿には阿保親王墓がありますが、垂仁天皇皇子(息速別命)の墓で河内松原の阿保親王とは別人です。

田井城

田井城
田井城

河内松原にある松原商工会議所でお仕事でしたが、近くにあったのが「田井城」という地名!

「城がある!」と行ってみると何も残っていませんが、水路が周りを囲み、しかも出入口が4ケ所しかなく虎口のような道になっていました。

どう見ても環濠集落跡だ~あ!

ところがネットで調べても条里制跡の話は出てきますが、城跡の話は出てこない。ウ~ン、どうなんだろうなあ。じっくり調べよう。

枚岡神社 太鼓台の練習

この時期、夜になると枚岡の街にドーン、ドーンという太鼓の音が響きます。枚岡神社の秋郷祭が14日、15日と開催されるために各町で太鼓台をたたく練習がはじまっています。たたくのは子供たちでウチの子供も小さい頃は毎年、太鼓台をたたいておりました。

枚岡地域、秋の風物詩ですねえ。今年は14日が祝日にあたるので宵宮はけっこうな人出になりそうです。

クジラ橋

クジラ橋
クジラ橋

阪急・上新庄駅から少し行ったところに瑞光寺があります。ここの池にかかる橋がクジラ橋。正式には雪鯨橋といいますが欄干が鯨の骨でできている橋は世界でここだけでしょう。

時代は第9代将軍・徳川家重の頃で、田沼意次が活躍するちょっと前になります。木曽三川では幕府に命じられた薩摩が多大な犠牲を払って輪中の治水工事をしていた頃です。

瑞光寺の住職が修行の旅をしており捕鯨で有名な太地町を訪れたところ、不漁で食べ物にも困っている状態でした。村の代表が和尚に豊漁祈願を頼まれましたが、殺生は仏の道にそむくと断りましたが、困窮する生活を見かねて豊漁祈願をしたところ、豊漁となり困窮生活を脱することができました。

後日、太地町の村人が瑞光寺のお礼として寄進したなかに鯨の骨がありました。そこで和尚が鯨の供養のために造ったのが雪鯨橋です。以来、風雨で劣化する橋の欄干は50年前後の間隔で付け替えられています。

真田丸へ

真田丸
真田丸

午後から鶴橋で仕事でしたので、ちょっと歩いて真田丸跡へ。

大坂冬の陣で真田信繁が活躍した出城です。一緒に戦った兵は大坂城に入った浪人でしたので、それほど時間もないなか、どうやって教育したんでしょね。赤備えで統一し、帰属意識を明確にするなどいろいろな手をうちました。武田以来の赤備えですので徳川軍に与える心理的影響は大きかったでしょう。

写真は大坂城と真田丸との間にあった堀跡で、以前は大坂城と真田丸はつながっていたと考えられていましたが、今は明確に切り離された出城だったことが判明しています。遺構は残っていませんが高低差が往時のまま残っています。

この後、スコールのような雨に遭遇してしましました(泣)

AIの神様はどこ?

勝速日神社
勝早日神社

近鉄・白子駅近くにあるのが勝速日(かつはやひ)神社。勝つ、速い、日の丸ということでF1や八耐の必勝祈願で有名な神社です。社伝では文明年間(1469~1486)に出来たそうで応仁の乱の頃になります。神様の名前はすごく長く正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊です。

サッカーの神様といえば京都の白峯神宮で、蹴鞠の家系だった飛鳥井家の跡地に建てられたことから球技の神様になりました。日本サッカー協会のシンボルマークである八咫烏から熊野本宮大社もサッカーの神様になっています。盛り上がったラグビーの神様は下鴨神社に復活した「さわた社」で、はじめてラグビーが蹴られたことに由来しています。

ちなみにITの神様は嵐山にちかい法輪寺にある電電宮です。ドローンは飛行神社の範疇だし、これからだとAIの神様がよさそうですけど、学問なんで北野天満宮になるのかなあ。

薬師寺は藤原京からの移築ではなかった

本薬師寺
本薬師寺

平城京跡で太政官跡(首相官邸のようなもの)とみられる建物の土台が見つかるなど考古学のニュースが届いています。藤原京跡では本薬師寺で東西幅約15メートルという巨大南門の跡が見つかりました。

本薬師寺は聖武天皇が奥さんの鵜野讚良(持統天皇)の病気平癒を願って作ったお寺で本尊は薬師如来です。本薬師寺の伽藍配置は西ノ京の薬師寺とまったく同じで藤原京から平城京へ遷都した時に西ノ京へ薬師寺を移築したという説があります。今回の発掘では2つの南門の構造が全然、違うことが分かり、西ノ京の薬師寺は移築ではなく新築説が有望になりそうです。当時、部材はよくリサイクルされており長岡京遷都の時は難波京の大極殿などが長岡京に移築されました。

本薬師寺は武士が台頭する11世紀頃までは存続したようですが、そのあとは廃れたようで金堂などの礎石だけ残っています。となると藤原京と平城京の2つで薬師寺を管理していたので経費がかかりますがお金はどうしたんだろう。本薬師寺は近鉄・畝傍御陵前駅から東に歩いた集落近くの田んぼにあり、少し南へ歩くと飛鳥です。