受講生からの手紙

letter201212.jpg毎年、この時期に届くのが認定看護師教育課程の受講生からの手紙。しかも自筆です!

京都橘大学・看護教育研修センターで認定看護師を養成しています。認定看護師認とは、ある特定の看護分野において、熟練した看護技術と知識を有することを認められた看護師を言い、京都橘大学では皮膚・排泄ケア分野の認定看護師を養成しています。

受講生は経験をつんだ現役の看護師さん。6月に入学し、6ケ月間学んだあと、試験に合格しなければなりません。

教育課程には情報処理があり毎年6月に担当しています。受講生は現役の看護師さんなので20代から50代まで年齢もバラバラ。一人、二人ですが男性の看護師さんもいます。

6月から半年たち12月の講座修了になると、講座に関わった各講師に自筆の手紙を出しており、毎年届きます。今回が第6期生。

受講生の皆さん、半年間お疲れ様でした。来年の試験、がんばってください!

お酒の飲みすぎで、みなさんのお世話にならないよう気をつけます(笑)

中小企業診断士制度のアンケート

ankete201212.jpgLECから封書が送られてきたので、新しいパンフレットかなと開けたら、中に入っていたのは「平成24年度 中小企業診断士制度に関する実態調査」というアンケート調査。 

中小企業庁の委託を受けてLECがアンケートを行いますという案内文も入っていました。アンケートですのでチェック項目が多いのですが、なかには、うまくいった支援事例やうまくいかなかった支援事例を書けという記述式もあって、回答するのはけっこう大変。 

■背景にあるのが中小企業診断士の専門性強化 
中小企業庁の入札情報を見ると9月下旬に入札説明会が行われ、10月中旬に委託事業者を決定したようで、これをLECが落札したんですね。 

入札の要件もネットに出ていて、「中小企業500社以上(有効回答250社を想定)及び中小企業診断士300名以上(有効回答150名を想定)に対してアンケート調査を行う。調査対象の中小企業は、業種、事業規模、従業員数、地域のバランスを考慮すること。」とありました。 

また「上記アンケート調査の結果を踏まえ、中小企業及び中小企業診断士に対して30件程度のヒアリングを行う。」とあり、それで最後にヒアリングさせてもらってもいいですかというアンケート項目があったんですね。 

ちょっと時間がかかるアンケートですので中小企業診断士150名以上の有効回答を集めるのが大変。LECの講師なら協力するだろうと私のところへ送ってきたんですかね(笑)。アンケートの内容は中小企業支援の項目ばかりですので、個人事業か法人化している中小企業診断士を選んで送っているのでしょう。他の士業とのコンサルティングファームのような形態を問う設問もありました。 

このアンケートの背景にあるのが、”ちいさな企業”未来会議の検討項目。いろいろあるのですが項目の中に「中小企業診断士の専門性強化」や「中小企業診断士の専門分野を明示し、選択しやすい制度にする」というのがあり、そのためのアンケートでしょう。 

■株式会社を作る時の登録免許税・印紙税、事業所税がなくなる!? 
中小企業庁の入札情報を見ていると10月ぐらいから、他にもいろいろと中小企業の実態調査に関わる委託事業がありました。テーマは事業承継、経営課題、個人保証制度など。 

起業環境に関する調査もあり、おそらく”ちいさな企業”未来会議で、資本金2000万円未満の株式会社の設立時の登録免許税、印紙税の免除を考えていますので、その理由づけに使うのでしょう。現行では株式会社を作る時に登録免許税(15万円)+印紙税(4万円)+認証費用(5万円)の計24万円かかりますが、5万円で法人を作れることになります。 

ネットで調べると「平成25年度税制改正に関する経済産業省要望」があり、中にに登録免許税、印紙税免除の要望が入っていました。 

■事業所税もなくなる!? 
他にも要望を見ていると人口30万人以上の市において課税されている事業所税の見直しが入っていました。(県税の事業税ではありません)市町村合併などで人口が30万人以上になると、急に税金が増えることになり企業にとってはたまりません。 

合併後、5年間は課税猶予期間がありますが、楠町と合併して人口30万人以上となった四日市市はこの期間が切れ去年から課税が始まっています。市町村合併によって新たに事業所税がかかることを知らなかった企業からは当然、「なんで楠町と合併したんだ、元へ戻せ」などという声が出てきます。私も四日市市内のいろんな事業者から聞きました。 

そんな声が多いため、四日市市では条例を決め、全国で初めて事業所税を5年間段階的に減免しています。こんなことをせずとも、抜本的に見直すべきでしょうね。 

伊勢志摩のパソコン女将

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【伊勢志摩のパソコン女将】
前田 千恵子著(静岡学術出版) 
偶然のきっかけから志摩で地域おこしに取り組む志摩の女将会と出会い、情報発をしたいという願いからパソコンを教えることになった著者。電源の入れ方から説明するところから始まりますが、次の難関はキーボードの配置を覚えること。そんなん無理と言いながら、紙に書いたキーボードで必至に練習に取り組むなど女将さんも実に熱心。 
教室で「メモ帳を出して」と言うとカバンから本物のメモ帳を出す受講生に対して、ドラッグをズルズルと表現するなど懇切丁寧に教えた成果からブログ開設やホームページによる「てこね寿司」レシピなどの情報発信が実現。情報発信が実り、いろいろな問い合わせが増え、テレビ取材を受けたり、「食と地域の絆づくり」選定証を総理官邸で贈呈されるまでになりました。 
地域の情報は自らの手で発信する姿勢が大切です。 その次に必要なのは儲ける仕組みを作ること。
■生産年齢人口が減り、地域活性化は待ったなし 
今から100年前といえば司馬遼太郎『坂の上の雲』の舞台となった日露戦争の頃、日本人口は4,385万人でした。この100年間、人口が3倍に増えるという外部環境で全ての商売を行ってきました。すでに人口のピークは過ぎており減り始めています。 
実は1995年、生産年齢人口(15~64歳の人口)が先にピークを迎え、この17年間減り続けています。生産年齢人口が減ったためお酒が売れなくなりました。若者がお酒を飲まなくなった以上に人口減の影響が大きく響いています。生産年齢人口が減るということは生産に伴う所得税が減るということです。国も地域も税金が減っていきますので、地域は地域なりに工夫してお金を集めなければなりません。 
■農作業を外注して、しかも儲ける仕組みを作る 
地域で高齢化がすすむと重労働である田んぼの世話ができなくなります。ただ、先祖伝来の田畑を自分の代で手放なすわけにもいきません。そこで農作業を外注するのですが、田植えを頼むと手間賃がかかります。田植えをするための種苗代もかかります。雑草を抜くのは自分でやるにしても稲刈りや脱穀を頼むとまたお金がかかります。結局、お米を作らずに買った方が安いことになり、ますます耕作放棄地が増えます。 
この田植えなどの農作業を何とかできないかと考え知恵をしぼったのが飯田市です。飯田市では農家450戸を組織して農家に泊まる農家民泊の修学旅行を誘致しています。修学旅行生を市町村や地元企業などが出資して作った株式会社南信州観光公社が受け入れています。しっかりとしたホームページを作り、都会の中学校などから集客しています。 
都会の中学生にとって、もちろん田植えは初めて。最初は田んぼに入るのもおぼつかない様子です。泥に足をとられキャーキャー言いながらやっていますが、さすがに若いのですぐに慣れて植えられるようになります。田んぼの中の色々な生き物が見ながら田植えを経験します。日本国中、機械植えが当たり前ですが、飯田市には今も手植えの田んぼが残ります。この田植えですが、農林業体験ということでしっかりお金を取っています。農家にとっては田植えの重労働から解放され、しかも潤う仕組みになっています。 
飯田市では農家民宿という体験もできます。農家に宿泊しながら農作業を手伝う体験で、ヨーロッパではグリーンツーリズムと言っています。やったことがない薪割りなどを体験し、囲炉裏端を囲んで農家のおじいちゃんから話を聞きます。家族にとっては、また同じ話をしているわとなり、誰も聞いてくれませんが、中学生にとっては初めての話で興味津津。おじいちゃんにとっては家族が聞いてくれない話を毎回しても大丈夫です。 
「田舎の人は純朴だ」と言っている時代ではありません。税金が減る中、しっかり地域へお金が落ちる仕組みを作らなければなりません。飯田市では農林業体験というコンテンツを整備し、都会から地域へお金が流れる仕組みを作りあげてきました。 
しかも、この成功体験を伝えるための出張講演や視察受け入れによる有償研修プログラムを用意して、さらにお金が地域へ回る仕組みを作っているのは葉っぱビジネスの上勝町や伊賀のモクモクと同様です。田舎ならばこそ、したたかに稼ぐ仕組み作りが重要です。 
▼南信州観光公社 
http://www.mstb.jp/

生前贈与するなら120万円贈与するのがコツ

itcmie201212.jpgITC三重の定例会&忘年会 

定例会のメインコンテンツは時節柄、年末調整や控除の話を税理士法人あおぞらの岡山所長(ITC)にしていただきました。その中で出てきたのが相続税。都会に家があると路線価がけっこうしますので、ひっかかるケースがあります。 

■120万円を生前贈与する 
そこで有効なのが生前贈与。ただし亡くなった年から遡って3年間の贈与は相続税の計算上、相続財産に加算して計算されます。余命3年と宣告されてからバタバタせず、その前から準備しておいた方がよさそうです。 

生前贈与は110万円が基礎控除額になるので無税なのですが、通帳に毎年110万円振り込まれたとしても本当に贈与なのかどうかは分かりません、時たま税務署にとやかく言われます。特に孫などに生前贈与した場合、孫は本当に贈与されたことを認識しているのかつっこまれます。そこで有効なのが120万円を贈与します。贈与税は基礎控除を引いた10万円の10%になるので1万円です。 

確定申告で、この贈与税1万円を申告しておくと、いわば税務署が贈与されたことを第三者保証したことになるので、後で税務署にとやかく言われることはありません。1万円がもったいないなら111万円にして1000円の贈与税を払ってもかまいません。なるほど! 

■忘年会 
定例会が終わってからアスト津地下にある萬力屋で忘年会。3,990円で飲み放題、食べ放題のお店です。店にあるメニューは何を頼んでもOKという剛毅な店です。 

三重県は車社会ですので、会が終わってから飲み会があるのは忘年会ぐらいですね。皆さん、気合をいれて参加されています。(笑) 

食べ放題はいいのですが日本一辛い担担麺を頼んだ御仁がいて、えらい目にあいました。ほんまに激辛でした。

ICカードの全国相互利用サービスがまもなくスタート

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ICカードの全国相互利用サービスが2013年3月23日からスタート。1枚のICカードがあれば鉄道52事業者4275駅やバス96事業者に乗ることができ、今までのように地域ごとにICカードを買わなくてもすみます。便利になりますが関西ではICカードの集約はあまり起きないでしょう。理由は割引です。
現在、イコカ(ICOCA:JR西日本)、ピタパ(PiTaPa:スルッとKANSAI 関西の私鉄、地下鉄)、マナカ(manaca:名古屋地下鉄、バス、JR東海)の3枚のICカードを持っていますが、なくすとするとイコカですね。
イコカとマナカは駅の券売機ですぐにICカードを発行でき使えます。プリペイド方式になっており電車に乗る前に料金をICカードにチャージしておかなければなりません。これは東京のスイカも同じです。
■ピタパは関西独特のICカード
ピタパは関西ならではのICカード。基本的に銀行引き落としなので申込手続きが大変で、信用調査もあり発行まで時間がかかり面倒です。ですので京都や大阪へ旅行に来るような人にとっては不向きです。
ピタパは、後払い(ポストペイ)ですからチャージの必要がなく、残額を気にする必要がありません。イラチな関西人が面倒な手続きをしてまでピタパを申し込みするのは、ひとえに割引制度があるからです。鉄道会社によって割引率などは違いますが、乗れば乗るほど割引されます。割引された金額が銀行から引き落としされます。関西の私鉄や地下鉄をよく利用するならピタパですね。イコカとピタパの相互利用が既に始まっていてイコカで関西の私鉄にも乗れますが、割引がないためはっきり言って損。
移動はJR西日本がほとんどで、関西の私鉄にほとんど乗らないのならイコカですが、反対のケースなら断然、ピタパです。ピタパでJR西日本に乗るには、事前にチャージするかオートチャージ契約をしておく必要があります。(ピタパはプリペイドとしても使えます)ところが関西人はピタパに慣れていてチャージする習慣がないので、駅でとまどうことが多々あります。ICカードの相互利用が始まっても関西ではプリペイド方式とポストペイ方式の2枚のICカードを使い分けするか、JR西日本ではピタパを使わず券売機で切符を買うでしょう。
■マナカはプリペイド方式なのに割引がある
イコカやスイカには割引がありませんが、名古屋のマナカにはあります。乗れば乗るほどお得なシステムで「がめつい大阪」と同様「ケチな名古屋人」と言われている風土にあっています。ただしプリペイド方式なので仕組みは少々やっかい。地下鉄などに乗るとICカードからは正規料金が引き落としされ、その分ポイントが加算されます。翌月、券売機でICカードにこのポイントをチャージすることができます。チャージした後、地下鉄に乗ると、このポイント分が料金として引き落とされます。つまり実質的な割引制度。
ただしポイントの取得期限は1年間で自分でポイントをICカードに入れなければなりません。ここらへんが同じ割引制度ながら「割引するなら、そくせんかい!」という関西人の風土にあわずピタパがポストペイ方式になった理由でしょう。
イコカとマナカは同じプリペイドながら、マナカには割引制度があるのでICカードの全国相互利用サービスが始まったら、まずなくのはイコカですね。

B言語の後にできたからC言語と名づけられた

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C言語という言葉を聞いたことはありませんか。システムを作るにはプログラムが必要。プログラムはプログラミング言語を使って作ります。C言語はプログラミング言語のひとつです。 

■中学でプログラミングが必修に

学習指導要領が改訂され、2013年度から中学の技術・家庭ではプログラミングが必修になりました。今年度から中学の保健体育でダンスが必修になり、”ヒップホップなんてやったことない”という先生がダンススクールに通う羽目となりましたが、今は、”机は作れるがプログラムなんか作ったことがない”という技術の先生が頭をかかえています。いずれにしても数年後にはプログラミングを習った世代が社会に出てくることになります。

プログラミング言語にはそれぞれ得意・不得意があります。例えば蓮舫議員の”2位じゃダメなんですか”で有名になったスーパーコンピュータ「京」では科学技術計算が得意なFORTRANというプログラミング言語が使われています。事務処理が得意なプログラミング言語はCOBOLです。50年以上も前に作られやプログラミング言語ですが、いまだに現役で家電通販最大手のジャパネットたかたの販売管理システムはCOBOLで作られています。

■B言語の次に開発されたのでC言語と名づけられた

学生でもプログラミング言語を作ることができるので星の数ほどのプログラミング言語が生まれます。しかしプログラマが実際に使い、生き残っているプログラミング言語はそれほど多くありません。よく使われるプログラミング言語のひとつがC言語。AT&Tベル研究所のケン・トンプソンが開発したB言語を改良して作られたのでC言語と名づけられました。C言語が普及したためB言語は絶滅してしまいます。

B言語の前にA言語があると話が面白いのですが、実はBCPLという言語が元になり、先頭のBをとってB言語と名づけられました。C言語の命名は、アルファベット順でなく、「BCPL」の2文字目だという説もあります。

A言語はありませんがD言語はあります。C言語の後継を目指した言語ですが、あまり普及していません。アルファベットとしては、かなり飛んでQ言語(日立の汎用機で使われた簡易言語)、R言語(統計解析向け言語)があります。

■JaveはC言語から生まれた

C言語はOSを作るために開発された経緯もあり、プログラマの多種多様な要求に応え、何でもできるプログラミング言語となっています。この何でもできるというのがクセモノで、ポインタを使ってメモリー上の特定の番地にアクセスできます。便利な機能なのですがプログラムミスをすると簡単にメモリー上にあるシステムを破壊できます。

Javaというプログラミング言語はこの危険な「ポインタ演算」をできなくした言語で、C言語などを元にして生まれましたのでC言語の親戚です。

Javaは開発メンバーがよく出入りしていた近くのコーヒーショップのJavaコーヒーから名づけられました。プログラマはコーヒー好きということもあり、プログラマに好まれるようなプログラミング言語にしようという願いからです。そしてJavaのマークはコーヒカップになりました。

黒門市場で忘年会

kuromon201212.jpg午前中はLEC梅田でお仕事。 

お昼に仕事が終わったのでミナミへ出て、黒門市場へ。年末になると東京のアメ横と並んで必ず中継される大阪の台所です。今日も人が多かったですね。忘年会の会場は黒門場にあるお寿司屋さん「すし処 黒門 寿恵廣(すえひろ)」。ネタは黒門市場から仕入れていますので新鮮で豊富。定番メニュー以外にその日、おすすめの手書きメニューがあります。 

14時から中小企業診断士の集まりであるファイティング・コンサルタンツの忘年会を開催。毎年、このお店で開催しています。2階の座敷でブリしゃぶを中心にいただきましたが、おすすめが半熟卵が入った赤だしで、これは他のお店で見たことがなく絶品です。 

結局、18時頃まで飲んでおりました。

長久手古戦場

nagakute201212.jpg午前中に仕事が終わったので、以前から気になっていた長久手古戦場に出かけてきました。歴史で学んだ小牧・長久手の合戦の舞台です。 

地下鉄東山線の終点「藤が丘駅」から愛知万博で有名になったリニモに乗り長久手古戦場駅へ。3つ目の駅が長久手古戦場駅。それにしてもすごい駅名をつけましたね。分かりやすくっていいんですが。 

駅のすぐ近くに古戦場公園があります。ここが池田恒興や森長可が戦死した場所で、塚が残っています。公園内には郷土資料館があって小牧・長久手の戦いの展示があるのですが、展示を見ると戦は広範囲に行われていました。藤が丘駅からリニモ沿線が全部、戦場だったんですね。 

長く陣がのびた秀吉軍は家康軍から攻撃を受け、各個撃破されてしまいました。第3隊の堀秀政だけは、いち早く丘の上に陣地を家康軍を蹴散らし、これが唯一の勝ち戦になりました。 

桶狭間と同じで、当時のものは何も残っていませんが、歩くと実に起伏の多い土地だと分かります。少し高い丘などは、両軍どちらかの陣地で御旗山という家康が陣を置いた山に登ると長久手が一望できました。それにしても古戦場なので香桶や血の池公園などと物騒な地名も残っています。

名古屋大学・食堂

nagoya20121213.jpg名古屋大学へ 

名古屋市新事業支援センターで来年1月25日(金)に大学発ベンチャー ビジネスプラン・グランプリ発表会を行いますので、名古屋大学へ打ち合わせに行ってきました。発表会の場所は名古屋市中小企業振興会館(吹上)。 

名古屋大学ですが台地の上にあるので、けっこう起伏があり、いたるところに坂があります。打ち合わせが終わったら、ちょうどお昼前でしたので、そのまま学食へ。入ったのは丼、麺専門のこじんまりとした学食。広いキャンパスなので、食堂もいろいろな所へ分散しているようです。頼んだのはから揚げネギ丼(380円)+サラダ(84円)。おいしゅう、いただきました。

岩田川の戦い

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ウチの実家があるのが津市の岩田という土地。私が子供の時は弓屋敷と呼んでいたので江戸時代、藤堂藩の弓屋敷が並んでいたようです。伊勢は昔から南朝の牙城です。津市には垂れ梅で有名な結城神社があり、北畠親房と一緒に戦った結城宗広をまつっています。
津市の中心街を流れるのが岩田川。いたってふつうの川で海が近いため大潮には川の水位がかなり上がります。このへんてつもない川の名前をつけた「岩田川の戦い」というのがありました。戦いがあったのは室町時代。
長い間、南北朝に分かれて争っていましたが和解し、双方から順番に天皇になるという約束ができました。ところが足利幕府が約束を反故にしてしまいます。そこで伊勢国司北畠家の第3代当主だった北畠 満雅(きたばたけ みつまさ)が挙兵し、幕府軍とぶつかります。北畠満雅は津市の南にある雲出川において幕府軍を大敗させますが、その後、「岩田川での戦い」で敗れ、北畠満雅は戦死してしまいます。
当時、幕府は鎌倉公方足利持氏と争っていたこともあり北畠と和解。北畠の居城のあった美杉村は多気御所と呼ばれ栄華を誇りました。多気という名前がついていますがシャープの多気工場よりもはるかに山奥。当時は伊勢国と大和国を結ぶ初瀬街道沿いにある交通の要所でした。
繁栄した北畠家に隣の尾張から攻め込んできたのが織田信長。北畠は結局、信長に滅ぼされてしまいます。あまり知られていませんが北畠家の城主の妻が松永久秀の娘です。また大和の兵も多数派遣されていて信長の北畠家攻撃で全員玉砕してしまいます。翌年、松永久秀が織田信長を裏切り、信貴山城で名器・平蜘蛛茶釜と一緒に爆死しますが、こんなところに伏線があったんですね。
この岩田川周辺ではもう一度、大きな戦いがありました。関ヶ原の戦いの前哨戦となった安濃津城の戦いです。東軍についた富田氏を攻めるために西軍の毛利秀元・吉川広家・長束正家・安国寺恵瓊・長宗我部盛親・鍋島勝茂が3万の兵を率いて包囲。富田氏は西軍の猛攻を持ちこたえ結局、和睦に。西軍はこの後、関ヶ原に向かいます。