四日市商工会議所でIT窓口相談

yokkaiti201301.jpg午後は四日市商工会議所でIT窓口相談。相談は2件で、相談の後、2月に行うセミナーの打ち合わせをして帰ってきました。IT窓口相談は月に1回、伊勢商工会議所と四日市商工会議所で開催しています。 

もともとは3類型と言って、中小企業・ベンチャー総合支援センター、都道府県等中小企業支援センター、地域中小企業支援センターが、平成11年中小企業基本法の改正でできました。 

三重県の場合、中小企業・ベンチャー総合支援センターは名古屋にある中小企業基盤整備機構・中部支部で、都道府県等中小企業支援センターが三重県産業支援センター、地域中小企業支援センターが伊勢商工会議所、四日市商工会議所でした。地域中小企業支援センターはローカルセンターとも言っていました。 

当時、三重県産業支援センターからローカルセンターへ出向いてIT相談をしており、3類型がなくなっても何とか続けてほしいと依頼があり、10年近く続いています。予約制なので予約が入らないと行かないので2ケ月ぶりぐらいに四日市商工会議所へ行ったのですが、すぐ近くの国道1号線沿いにセブンイレブンが出来ていました。あっという間に作ったんですね。 

次回の四日市商工会議所のIT窓口相談は2月13日(水)ですので、お近くの方はぜひどうぞ!会員以外でも大丈夫です。 

別所書店・本店

honya201301.jpg津市(三重県)を中心に6店舗ほどを展開する新刊書店が別所書店。地域密着の本屋さんです。 

本店が中心市街地にあり、中学校・高校時代によく利用していました。店の間口は大きくないのですが、奥が深く、3階建てになっていて1階は文庫や文学関係、2階は何だったかなあ、3階には参考書などが並んでいました。ここで初めて買った本が星新一の「ノックの音が」で、しばらく星新一にはまっていました。 

津市内に他に大きな本屋はなく、参考書などを買いにいくなら別所書店でした。当時、三重県で一番大きかったのが四日市の諏訪商店街にあった白楊書店。 

モータリゼーション時代となり、ロードサイトの大型書店が登場し始めます。中心市街地への集客が落ちたため別所書店も修成店のような大きな駐車場付きの大型店を展開しだします。いつしか本店も閉店。小売はやめたのですが倉庫代わりには使われていましたが、とうとうビルごとなくなってしまいました。 

津が発祥の岡三証券が創業90周年で、ここに新しい津支店を建てるそうで、現在工事中です。昔、よく行っていた本屋や映画館がなくなると寂しいものがありますね。

桜町中将城

sakuramati201301.jpg滝川氏城のすぐ隣にあるのが桜町中将城

天正伊賀の乱で伊賀勢・最後の拠点となった名張の柏原城がなかなか落ちず、長期戦になりそうなため織田信雄が家臣の滝川雄利に命じて造らせた城。伊賀攻めの際に、織田信長は信忠を伴って織田信雄の陣所を訪れた記録が信長公記に残っており、この桜町中将城だったようです。

伊賀平定後は伊賀をおさめる拠点となりましたが本能寺の変後に使われなくなりました。織田信雄は、京都の屋敷が桜町にあったことから桜町中将と呼ばれ、これが城の名前になりました。

入口が分かりにくい城で、城の中は雑木林状態。土塁や堀跡ははっきり分かり、主郭は滝川氏城に比べると小さく、殿様の館として用いられたのでしょう。最寄駅は近鉄・美旗駅です。

真因は何?

kintetu201301.jpg朝から津へ行っていたのですが夜、津から大阪へ近鉄急行に乗って戻ってきました。

伊賀上野へ行く伊賀鉄道と連絡している伊賀神戸駅(三重県)に到着すると伊賀鉄道が遅れていたため停車時間が伸び、4分遅れて出発。結局、八木駅(奈良県)まで遅れは解消しませんでした。「伊賀鉄道が遅れたため4分遅れて到着します」と車内アナウンス。 

八木駅で降りると、連絡している京都行き急行が発車時間を遅らせて待っていました。西大寺駅に着くまで遅れは解消せず、「大阪線の列車が遅れたため、4分遅れて到着します」と車内アナウンス。 

西大寺駅(奈良県)では奈良線と連絡しているので、こちらの電車も連鎖して遅れます。「京都線の列車が遅れたため、各駅の到着が遅れます」と車内アナウンス。 

近鉄は関西一円に電車を走らせていますので、伊賀での遅れが遠く京都や大阪にまで影響が波及します。さて西大寺駅から乗った乗客にとって遅延の原因は京都線の遅れです。ですが、その前は大阪線の遅延であり、大元は伊賀鉄道の遅延でした。 

直近の現象(京都線の遅延)だけ見ていては真因(伊賀鉄道の遅延)には至らないわけです。真因もひょっとすると伊賀鉄道の遅延ではなく伊賀上野駅で連絡しているJR関西本線が遅延していたのが原因かもしれません。 

トヨタでは「なぜなぜ5回」ということで「なぜ」を5回続け真因を探ることを行っています。私たちの日々の生活でも、本当に隠れた原因は何なのか探る心構えが必要ですね。

結局、10分ほど遅れて新石切駅にたどりつきました。

大阪府中小企業診断協会 新年互礼会

osaka20130119.jpg昨日、大阪府中小企業診断協会の新年互礼会&創立55周年記念パーティーがあり参加してきました。 

会場は西梅田にある「ホテル ザ・リッツ・カールトン大阪」。仕事で平野の企業へ行っておりましたので、少し遅れての参加しました。既に会場は満席で後ろに設けられた席に着席。士会理事によるパネル・ディスカッションなどが面白かったですね。 

ザ・リッツ・カールトン大阪、はじめて入りましたが何とも重厚なホテルです。入口が重たいドアで、入ってからどこへ行けばよいか、よう分かりません。なんとも迷路のようなホテルです。会場は2階でしたのでエレベータで上がると、そこには大きな書棚のようなものがボーンと置かれていました。 

トイレもすごく、入ってからまたトイレ本体に入るためのドアがあるという、実に贅沢な造り。なんともすごいホテルでした。 

セミナーの後は立食パーティ。あれよという間に食べ物がなくなったので、ひたすら飲んでおりました。(笑)

柏原城(名張)

kasihara201301.jpg午前中、津での仕事が終わり、夜まで時間があったので大阪へ向かう途中の赤目口駅で途中下車して柏原城を見てきました。 

近鉄・赤目口駅から南側(赤目四十八滝方面)に少し行くと柏原という土地に出ます。ここに勝手神社があるのですが、柏原城の城主(滝野氏)が勧請したものです。勝手神社の北側に小さな道があり、100メートルほど上がると東側に水田が見え、水田の向こう側の丘の上に柏原城があります。水田の向こう側に城の案内板が建っていました。 

ここは天正伊賀の乱が終結を迎えた場所です。伊賀に攻め込んだ織田信長軍に対して、伊賀の土豪が最後の決戦地に選んだ場所。先日、行った織田方の滝川城から攻めた城です。織田軍3万に対し伊賀の土豪は1600人ほど。玉砕覚悟の戦いでしたが、最後に織田軍と伊賀勢の和議が成立し柏原城は開城されました。 

ネットで調べると城は藪だらけと書いてありましたが、最近、きれいに整備されたようで主郭まで簡単に登れ、土塁の中の木もきれいに切り取られ周囲の土塁や、当時から残る井戸もしっかり見ることができました。土塁に登ると堀切がありますが、高さは10メートル近く。この城を攻めるのは大変だったでしょうね。 

柏原城へ向かう水田の道には昨日の雪が積もっていましたが、見ると足跡がついていました。こんな田舎の山城を見に来る酔狂な人間が他にもいるんですね(笑)

中京テレビの取材

cyukyou201301.jpg中京テレビで土曜17:25~17:30に「知っ得!なごや」という名古屋市が提供している番組があります。2月の放映で名古屋市新事業支援センターが紹介されることになり本日、収録がありました。 

名古屋市新事業支援センターが行っている専門家派遣と窓口相談の紹介です。朝から実際に専門家派遣をしている企業へテレビクルーが行って、社長インタビューなどを撮影。 

11時頃に名古屋市新事業支援センターにテレビクルーが到着。たまたま今日は支援センターへ出る日でして窓口相談シーンを担当。 

相談者役の課長と相談室でだべっているところを撮影してもらいました。(笑)窓口相談シーンの音声は入らず番組ではナレータの解説が画面に重なります。他はプロジェクトマネージャーの説明シーンなどを撮影。写真は支援センターにかかってきた相談電話に応対しているシーンです。 

放映時間は2分30秒と短いのですが、収録は半日がかりでした。おまけに台本まであります。(笑)プロジェクトマネージャーはセリフがあったのですが、私はなかったので助かりました。 

放映は2月9日(土)17:25~17:30 中京テレビ 
残念ながら大阪では映りません。 

雪の滝川氏城(名張)

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月曜日、東京は大雪でしたが関西でも榛原~伊賀にかけて積雪がありました。翌日の火曜日、名張の企業へ行く前に滝川氏城によってきました。 
天正伊賀の乱での織田側の拠点となった城です。主郭と周りを囲む土塁がきれいに残っているんですが、主郭が三重県内最大の大きさで70m四方もあります。広いので主郭内はグランドとして整備されていて野球などができるようなっています。でも中世の城跡で野球をしていると子供は知らないでしょうね。もっとも昨日はそのグランドも雪で埋もれていました。(笑) 
■負け組だったのに最後は大名にまでなった滝川雄利 
城を作ったのは滝川 雄利(たきがわ かつとし)という人物。伊勢国司・北畠の一族である木造氏の出身なんですが、昔から木造氏は北畠と仲が悪く、織田信長に味方して伊勢進攻を手助けしました。伊勢進攻の指揮をした滝川一益に気に入られ娘婿になっています。それで滝川になりました。 
やがて北畠を滅ぼし伊勢を支配した織田信雄の付家老になります。伊勢を支配下においた織田信雄が次に目を向けたのが伊賀の土地。伊賀へ進攻しますが伊賀の土豪も強く2回失敗します。 
織田信雄は織田信長から親子の縁を切るとまで激怒されますが、信長もほうっておけないので5万の兵で伊賀へ侵攻し伊賀を平定します。最後の合戦になったのが名張の赤目近くにある柏原城で、柏原城を攻めるための拠点として作った城が滝川氏城です。 
この滝川雄利という人物、小牧・長久手の戦いでは織田信雄側で戦い、秀吉の九州征伐、小田原征伐に参戦、関ヶ原の戦いには西軍で参戦、最後は徳川家康に仕えて常陸片野藩の初代藩主となりました。 
滝川一益、織田信雄、豊臣秀次、石田三成と負け組に組しながら、最後は大名にまでなった、なかなか波乱万丈の人生です。

炭火の囲炉裏

kobe201301.jpg昨日はITコーディネータ仲間に誘われて神戸へ。 

ちょうどITコーディネータ育成のケース研修が神戸で行われていて受講生も一緒でした。鈴鹿から参加している受講生もいたので、さっそくITC三重に誘っておきました。 

行ったお店は生田神社の裏側から坂を上って右に入ったお店。「神戸ノ いろり」という名前。おかみさんが淡路島の出身で淡路の新鮮な魚などを食べさせてくれます。座敷に掘りごたつがあって、囲炉裏があるんですが、これが本当の炭火。魚をさした棒を並べ、炭火で焼いて食べるのですが、おいしかったですね。 

マナガツオやメイタガレイなどをいただきました。淡路島の市販されていない地酒などもあり、お酒もおいしかった。 

かなり飲んだので、どないして東大阪まで帰ってきたのか記憶にございません。(笑)

大阪府商工会館で窓口相談

osaka20130110.jpg本町にある大阪府商工会館の会議室で窓口相談。 

大阪中小企業診断士会が行っている無料経営相談窓口です。相談は2件あったのですが、2件ともかなり変わった相談で、なかなか楽しめました。 

私が大阪府商工会館で行う窓口相談も今日で最後。3月末に大阪府商工会館が閉館となるので、大阪中小企業診断士会も3月早々には移転し、新しい場所で窓口相談が始まります。 

1階、2階に入っていた大阪府信用保証協会も既に梅田に移っていて、まだビル内に残っているのは半分ほどで閑散としていました。 

このビル、とっても思い出深く、10年前に中小企業診断士の実務補習を受けたのが大阪府商工会館の会議室。6人づつ班に分かれての実習でしたが、レポート作成は皆がパソコンを持ち込んで作業。古いビルなので電源が足りません。そこで毎朝、パソコンの電源を確保するために壮絶な戦いが繰り広げられておりました。(笑) 

懐かしい、このビルも見納めですね。地下鉄本町駅に地下でつながっていて便利なビルでした。