カサロマ城(トロント)

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    今日の午後は明日の結婚式の打ち合わせや結婚相手のご両親のお宅訪問やお祝いの席などいろいろイベントが続きました。そうそう大阪ではココスコと言っていますが、カナダではココスと発音し、買い物に行ってきました。 

    朝は時間があったので地下鉄に乗って奥さんとカサロマ城へ出かけてきました。城と言ってもできたのは最近で、財産家であるヘンリー・ぺラットが1911年から3年近くかけて造った邸宅。 

    中世の城を思わせる造りになっています。カサロマという名前はスペイン語で「丘の上の邸宅」という意味。名前通り、小高い丘の上にありますが、当然ながら戦国時代の城のように郭などはありません。(笑) 

    その代わり、地下に長い地下トンネルがあり、トロントのダークサイドと書いてあるので入ってみましたがトロントで起きた大火の写真などが飾られていました。かなり歩いた奥に温室があり、カサロマ城で飾る植物を育てていました。さすがにこんな地下トンネルまで行く観光客はほとんどおりませんでした。(笑)

城巡りシーズン到来

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    いよいよ11月。暑い夏も終わり、ようやく城巡りのシーズンとなりました。 

    城といっても名古屋城や大阪城のような平城であれば季節は関係ないのですが、行こうと考えているのは戦国時代の城。日本にはたくさんの城があり、一説には全国に25,000~30,000の城があったと言われています。 

    江戸幕府による一国一城令の発布により各地で破城が行われました。破城とは城を崩し廃止することで城割ともいいますが、多くの大名は城にあった建物を壊し、また石垣や土塁の一部を壊してお茶をにごしました。江戸時代初期、まだまだ何が起きるか分からない時代です。いざという時に使えるように申し訳程度に城を壊しただけです。 

    ですので土塁や空堀がそのまま残っていることが多く、。田舎で城山とかいう地名がついている所には大概、城があります。破壊が進んだのは現代に入ってからでニュータウンやゴルフ場の建設で、戦国時代から残っていた貴重な城が破壊されてしまいました。津でも垂水城、渋見城などは跡形もありません。 

    そうは言いながら、まだまだ残っている城も多くありますが問題は城に行くには藪を掻き分けて道なき道を行かないといけないということ。とても夏場は城跡に入れません。ですので晩秋から冬が城巡りのベストシーズンになります。 

    写真は山城ではなく平城京近くにある平城・超昇寺城です。土塁と堀跡なんですが、こんな土と藪だらけの所へ行ってなにが面白いのかと人にはよく言われますが、「AKBのどこがいいの」とと五十歩百歩だと思っています。(笑)

浜松城(出世城)

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    浜松駅からえっちらおっちら歩いたところに浜松城があります。けっこう駅から遠いですね。 

    徳川家康が武田信玄に備えるために築いた城で、29歳~45歳までの17年間を浜松城で過ごしました。31歳の三方ヶ原の合戦にはこの浜松城から出陣し、武田信玄にたたきのめされ命からがら城まで逃げ戻ります。この時、敗戦して憔悴しきっている自分の姿を絵師に書かせ、生涯慢心を戒めるために持ち歩いたと伝わっています。 

    姉川の戦い、長篠の戦い、秀吉と争った小牧・長久手の戦いなど家康の命運を握った戦いも本拠地はこの浜松城でした。家康が駿府城に移ったあとの浜松城は、徳川家とゆかりが深い譜代大名を配置。幕府の要職につくものが多く、浜松城は出世城ともよばれました。 

    二の丸などは学校などになっていますが、本丸は残っていました。天守閣は再建で、中は博物館になっています。天守閣の下の石垣が野面積みという古い石垣の積み方で、これは家康築城の時代のものです。野面積みは、なかなか残っておらず貴重ですね。 

掛川城

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    新幹線で掛川駅を通過する時、窓から見えるのが掛川城。駅のすぐそばの丘の上にあります。いつも新幹線で見かけるたびに、いつか行きたいなと思っておりました。 

    掛川城の城主は今川時代から変わっていきますが、一番有名なのが司馬遼太郎「功名が辻」の山内一豊。関東へ移した徳川家康を牽制するために秀吉が掛川城に配置します。秀吉亡き後の関ヶ原の戦いでは家康側で戦い、その功によって土佐の大名となりました。 

    掛川駅から商店街を少し歩くと掛川城の入口。太鼓櫓がみえ、脇を通ると天守への登り道があります。天守の上は眺めがよく、晴れた日には富士山も見えるようですが、あいにくの曇り。ただ風がよく通り、涼しいですね。 

    二ノ丸御殿が現存しており、こちらは江戸時代に再建されてもので重要文化財になっています。中を見学でき、御殿の裏側には当時の土塁が残っていました。

駿府城

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    東京駅から「こだま」で静岡駅へ。自由席なんですが、3連休初日と朝早いせいか座席は満席。 

    静岡駅から少し歩くと駿府城があります。戦国時代はは今川館があり今川家の本拠地でした。若い家康が人質生活をおくったところでもあります。 

    徳川家康が秀忠に将軍職を譲り、大御所となって駿府に隠居して駿府城を建てました。天守閣など当時の建物は残っていませんが、堀はよく残っていますね。本丸の周りの内堀は一部だけ残っていますが、外堀はほぼ江戸期のまま残っています。外堀がこんなに明瞭に残っている城も珍しいですね。東御門櫓門が復元されていて、見学してきました。坤櫓も復元中です。 

    駿府城と言えば有名なのが駿河版。駿府に隠退した家康が作った古活字版で、活字を作って印刷して本を作っていました。これが駿河版です。活字の一部は今も残っていて重要文化財になっていますが駿河版の古典籍がでてきたら一体いくらぐらい、するもんなんでしょうかねえ。

池田城

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    大阪の池田と言えばお酒の呉春や上方落語の池田の猪買いなどが有名ですが、昔、お城がありました。 

    梅田からマルーン色の阪急に乗って池田駅を下車。500メートルほど歩くと、急に坂となり坂を登ったところにお城があります。昔からよく攻められた城で応仁の乱では東軍について西軍に攻められ落城しています。 

    昔は主郭だけでしたが落城のたびにどんどん郭を増やして防衛力を高めています。織田信長が荒木村重の伊丹城を攻める時には池田城を拠点にしていました。伊丹城が落城した後は廃城となり、やがて城は埋もれていきました。 

    現在、主郭跡は池田城跡公園になっていて模擬櫓台などが建てられています。眺めはとってもよく現在はビルが建てこんでいますが、当時は伊丹城を肉眼で見ることができたでしょう。堀跡が遊歩道になっているんですが、イノシシが出るということで閉鎖されていたのは残念。

尼崎城

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    京都橘大学の講義が午前中だけでしたので午後は尼崎へ行ってきました。 

    尼崎は阪神工業地帯に位置する工業地帯で工場萌えの世界ですが、江戸時代は城下町でした。 

    尼崎城があったのは阪神尼崎駅のすぐ近くに。遺構は何も残っておらず模擬城壁があるだけです。尼崎駅のホーム下を川を流れていますが、これが三の丸の外を流れていた堀。本丸には四重の天守閣が建っていました。 

    沖からみると城全体が海に浮かんでいるように見えたそうで、「琴浦城」の名称もついています。 

    城跡近くに契沖生誕地の碑がありました。日本史で学んだ僧・契沖でしたが尼崎出身だったんですね。

超昇寺城

siro20130519.jpg佐紀城の横に御前池があるのですが、対岸にあるのが超昇寺城。室町時代に作られたようで戦国時代は筒井方、松永久秀方の争いに巻き込まれ松永方についたり、筒井方についたり大変だったようです。 

大和西大寺駅からみると佐紀城も少し高台になっていますが超昇寺城は、それ以上の高台になっています。佐紀城は超昇寺城の出城だったのではという説もあります。 

佐紀城を見てから対岸の超昇寺城へ行きましたが、こちらは竹藪だらけ。外から見たら森にしか見えませんが中には土橋、空堀、郭、土塁、櫓台が残っていました。ただし竹藪の中を押し入らないといけないので、大変。けっこう大きな城で、現在は住宅地になっているところも郭だったようです。まあ、スーツ姿で行くところではありませんなあ。 

藪が大変なので、この手の城へ行くのはしばらく無理ですねえ。はやく寒くならないかなあ。 

大極殿から徒歩3分のところにあると佐紀城

siro201305.jpg平城京跡には時々行っているんですが、まさか大極殿から徒歩3分のところに城があるとは知りませんでした。専門家派遣の後に時間があったので西大寺駅から歩いて行ってきました。 

場所は大極殿のちょうど北側。平城京時代の柱跡が植木で再現されているのですが、その北側に佐紀神社があります。ここが佐紀城跡。あまり大きな城ではないのですが社殿があるところが郭で、櫓台らしきものの跡や空堀跡がありました。室町時代に作られた城です。 

神社のすぐ南が佐紀幼稚園で、ここから大極殿がよく見えます。ちょうどお迎えの時間帯のようでお母さん方が子供を迎えに来ていたのですが、ヘンなおじさんがヤブなどを熱心に見ているので不審に思ったでしょうねえ。ヤブの奥に空堀があるんです。 

それにしてもさすがは奈良ですね。奈良公園の中にも城があったし、平城京跡のすぐ近くにもあるんですね。

神戸の大都会にある花隈城

hanakuma201304.jpgひょうご産業活性化センターで窓口相談。 

お昼休みに三宮駅からJR沿いに元町駅の方へ歩きました。元町駅の途中ぐらいから2階建分ぐらいの思いっきり坂になります。ずっと高台になっていて、少し行くと花隈公園。片道20分ぐらいですね。吉野家の牛丼を食べたらぴったし1時間でした。 

花隈は鼻隈と言ったそうで、六甲山の丘陵が海に突き出ている様子を「鼻」と言ったそうです。ここが花隈城跡。誰が築いたかは分かりませんが織田信長が毛利氏対策として荒木村重に命じて築城させたようです。本丸、二の丸、三の丸まであった大きな城で元町駅あたりはずっと城でした。 

荒木村重が織田信長を裏切って有岡城の戦いが起きます。来年の大河ドラマが黒田官兵衛ですが、荒木村重を説得に行った黒田官兵衛ですが、うまくいかず、城の中に幽閉される事件が起きた戦いです。 

花隈城も荒木村重の支城でしたので、織田方に攻められ落城。その後は兵庫城が海沿いに作られ花隈城は廃城になりました。城跡といっても碑しかなく模擬石垣や模擬天守があるだけです。ですが、けっこうな高台ですので、今はビルで見えませんが当時は海もよく見えたでしょうね。神戸ポートタワーの先が見えていました。