テトリス

MacSEでよく遊んでいたのがテトリス。

聖ワシリイ大聖堂
聖ワシリイ大聖堂

■ポーリュシカ・ポーレ
テトリスを起動すると現れるのは赤の広場にある聖ワシリイ大聖堂です。左上にあるのはソビエト連邦の懐かしい「鎌と槌」マーク。そしてオープニングで「ポーリュシカ・ポーレ」が流れます。1970年代、日本では俳優の仲雅美さんが「緑もえる 草原をこえて」という日本語訳でロシア民謡「ポーリュシカ・ポーレ」を歌い大ヒット。

次にソビエト連邦の地図があらわれてレベルを選びスタートボタンを押すとテトリスがはじまります。画面がいろいと変わり、白樺林の中を馬に乗るおじさん、ソユーズ(ソビエト連邦の有人宇宙船)を打ち上げている画面などがあらわれます。時々、画面には「CCCP」という文字が表示されます。CCCPはソビエト社会主義共和国連邦のロシア語表記による略称でした。

■ソビエト崩壊へ
また、なんとも物悲しいロシア音楽がBGMとして流れます。マッキントッシュ版は他のPC版と違って哀愁あるロシア民謡が哀調深く奏でられていました。トロイカやカリンカ、ソビエト連邦国歌、コロブチカなどのロシア民謡です。テトリスを生んだソビエト連邦は1991年12月の共産党解散とミハイル・ゴルバチョフ大統領の辞任に伴い解体されます。

シムシティ

シムシティというゲームをご存じですか。

怪獣
怪獣

登場したのは1989年で、なんと30年以上も前のゲームです。ゲームでプレイヤーは市長となり、何もない不毛の土地から都市づくりをしていくシミュレーションゲームです。

■シムシティとは
土地には住宅、商業、工業という地区を設定できます。設定するといってもエリアを決めるだけで、住宅地区を設定してしばらくすると一戸建が並び始めます。住宅地区と商業地区はなるべく隣接させて設定します。でないと買物が不便な街となってしまい人口が増えません。反対に工業地区は住宅地区から離さないと公害で住環境が悪化します。人口が増えると悪い奴が出てくるので警察署や消防署も整備しないといけません。

施設を作ると維持費がかかります。いかに住人の満足度を上げ、納得してもらって税金を払ってもらうかが鍵です。また住宅地区のなかには発展しない地域もあります。そういった地域は工業地区に変えて住宅地を集約した方が効率がよいと考えられ、コンパクトシティの必要性もよく理解でき、また税金の必要性も学べます。

自分が作った都市がだんだん発展していくのを眺めるだけのゲームですがMacSEの白黒モニターで、よくやっていました。

■ゴジラが自分の街を壊していく
時にいろいろと災害が起きます。特に都市の汚染レベルが閾値を超えると、ゴジラがいきなり出現して汚染の一番ひどい地域に直行し、工場をぶっつぶして帰っていきます。プレイヤーは苦労して作り上げた町が、ただ壊されるのを見守るしかありません。

各国もコロナ対策でいろいろな手当をしましたが、無い袖は振れません。アフターコロナでは増税になります。シムシティは今も発売されていますが、都市の借金が増えた時のシミュレーションバージョンを出してくれないかなあ。

シン・テレワークシステムはラズパイ

NTT東日本とIPAによる「シン・テレワークシステム」。2020年10月31日まで、実証実験という位置づけで無償で提供されています。

インプレスのPCWatchにシステムについて掲載されていますが基本はラズパイで構築されています。現在、2万ユーザほどが使っており、しかも1ユーザーあたりの月額コストは5~14円になっています。月14円でも年間168円。正味のコストなんで有料化によって、いろいろとサポート代などが入っても安価で提供されそうです。

これで一人、在宅勤務でき会社に行かなくてすむので安いものですねえ。

→ NTTとIPAの「シン・テレワークシステム」はラズパイだった。1ユーザーあたり月14円で運用可能

電子国家のインターネットな人びと

「7日間 ブックカバーチャレンジ」の最終日は『電子国家のインターネットな人びと』(ビジネス社)です。

電子国家のインターネットな人びと
電子国家のインターネットな人びと

■1995年4月1日に建国された関西電子共和国
かつて日本には「関西電子共和国(VRK)」という別の国がありました。もともと東京一極集中の見直しから関西に別政府を作り自分が好きな方の政府へ税金を払う仕組みです。

例えば汚職などが起きれば、税金の支払先が変わり別政府が大きくなります。つまり政府が緊張感をもって政治することになる二大政府制です。現実世界では難しいので、インターネットを使って実験することになり、他にも色々なシミュレーションもやろうと市民が自主的に参加する関西電子共和国が建国されました。

■初代大統領は中島らもさん
個人でインターネット接続できるようになったのは1993年11月からです。建国当時はまだまだインターネット接続している個人は少なく、その中でかなりの人が共和国国民となりました。当時、「今晩、飲みにいかない?」「ごめん、今日は共和国の会議があるんだ」というスターウォーズ“ジェダイの騎士”のような会話が行われていました。

「平成京」という都が作られ、最初の電子選挙は共和国の大統領選挙でした。初代大統領に選出されたのが中島らも氏で決まってから大統領就任を依頼しに行き、シャレで引き受けてもらったそうです。中島らも氏と一緒に笑殺軍団リリパットアーミーを立ち上げた“わかぎゑふ”さんに後年、この頃のいきさつをお聞きしたら、“何がなんだかわからないけど、まあいいか”と面白がって大統領を引き受けていたとおしゃってましたので、本当だったようです。

アスキーパロディ版(1983年)

「7日間 ブックカバーチャレンジ」No6は雑誌アスキーのエイプリールフール冊子です。1977年に創刊されたのがパソコン専門誌の月刊アスキーで1983年に月刊アスキーから独立し全編パロディの別冊子になりました。

アスキーパロディ版
アスキーパロディ版

■リカちゃん人形のソフトハウス
リカちゃん人形を使った家のセットが誌面を飾ったことがあります。名前は「リサちゃんのソフトハウス」。SOHO(自宅でビジネスを行う形態)という設定で、家の中はコンピューターリストやカップ麺だらけ。今、流行りのリモートワークですなあ(笑)。

「リサちゃん、今日は楽しいソフトハウスごっこ。何日も徹夜したり、毎晩マックドナルドを食べてがんばります。夢は大きな億万長者。ファビコンソフトで一発当てれば、ビルも建ち。海外旅行にもいけます。ボーイフレンドのトール君は、疲れ切って寝てしまいました。でもリサちゃんは頑張っています。だって一儲けしたいんだもん」というセリフをパソコンに向かったリカちゃん人形がしゃべっています。パロディとは言いながら、なんとも身につまされる内容でした。

■実際に動いた南青山アドベンチャー
アスキーは表参道駅近くの南青山にあったマンションに本社がありました。紙面のプログラムを入力すれば実際に遊べました。アドベンチャーゲームといっても今のようなきれいなグラフィックも音楽もなく、キーボードを使って操作するテキストベースのゲームです。

南青山アドベンチャーはPC-6001、PC-8001、PASOPIA、MZ-80で動作しましたが、クリアできない人が続出した超難関ゲームです。クリアすると「よくぞ ここまで やりとげました。あんたは えらい!」と表示され、住所、氏名を書いて切手を貼って封書を送るとプレゼントがもらえたようです。

アスキーは月刊アスキーと共に大きくなっていきましたが、やがて衛星通信や半導体など新事業を始め、この多角化が失敗。出版事業に専念するようにしましたが月刊アスキーは2006年で休刊。とうとうアスキーという社名がなくなり、一つの時代が終わりました。

インターネットマガジン創刊号(1994年)

「7日間 ブックカバーチャレンジ」No4はInternet Magazine創刊号(1994年10月)です。世界初のインターネット専門誌で1,980円で発売されました。

インターネットマガジン創刊号
インターネットマガジン創刊号

■インターネット接続はとっても大変!
Internet Magazineには当時珍しかったCD-ROMがついていました。CD-ROMにはインターネット接続ソフトが入っており、ソフトの設定をすればインターネットを始めることができ重宝しました。当時、パソコンには接続ソフトがなにも入っておらず自分で調達しなければならなかった時代です。

ハードではモデムの準備が必要です。今とは違い外付けモデムしかありません。そういえばパソコン通信の頃はモデムを買うとNTTに届出書を出さないといけませんでしたね。またモデムを使うにはATコマンドを駆使する必要があり、現在のようにボタンを押すだけでルータと簡単接続(WPS機能)してくれる時代とは雲泥の差です。

■電話線もネックだった
次に電話をモジュラージャックに変える必要がありました。今や見ることもなくなりましたが、昔の黒電話は直接回線につながっていて、今のように電話を線から取り外しできませんでした。モジュラージャックへの変更工事をNTTに依頼する必要がありました。そういえばパソコン通信の掲示板でモジュラージャック対応のビジネスホテルの情報交換をやっていましたなあ。

プロバイダーへの申込も書面に印鑑を押して郵送が必要な時代です。プロバイダーも13社しかなかった頃です。1分30円が相場でしたが私は安かったのでBekkoameを使っていました。(登録料が1万円、年会費が2万円固定)安かったので危ないメンバーも使っておりインターネット関係の事件があると、よくBekkoameを捜索したと新聞記事になっていました(笑)。

MacPower創刊号(1990年)

「7日間 ブックカバーチャレンジ」No3はMacPower創刊号(1990年2月)です。

MacPower創刊号
MacPower創刊号

■マックはパソコン界のポルシェだった
SEの仕事をしていた頃、上司がキャノンの知り合いでLisa(マッキントッシュの前身)を社内に1週間、持ち込んで「自由に使っていいよ。ただしレポートだけ書いてね」と言っておりました。ちょうどプロジェクトの合間で暇だったので業務が終わってから使ってましたが天地がひっくり返るほど驚きました!なんせ”コマンドを入れなくてもコンピュータが動く”というのは初めて地動説を聞いた時のようなものです。マウスを動かすと絵まで書けました(笑)!

このLisaは市場に出ましたが高すぎて失敗。やがてマッキントッシュが発売されますが、まだまだ高かったですねえ。知り合いがキャノンのゼロワンショップでMacPlusのセット1式を買っていましたが100万円ぐらいかかっていました。少したった1989年にMacSEを買いましたがハードデイスク40MBで47万円でした。日本橋でプリンタのイメージライターを買いましたが、こちらは67,800円。それからはMacLCやPowerBook、アキアの互換機まで手を出したバリバリのマック使いでした。

■MacLIFE、MacJapan、MacPower
当時、専門誌としてMacLIFEとMacPowerが出ていましたが、そこにアスキーから創刊されたのがMacPowerです。この3誌とも毎月、買っていました。雑誌代だけでも馬鹿にならなかったなあ。MacLIFEは版も大きく印刷も凝っていたので1200円もしました。他の2誌は800円~900円です。アスキーさんはその後、いろいろな雑誌に記事を書かせてもらったので、少しもとがとれたかなあ。

■リサはジョブズの娘の名前
マックの前身となったLisa(リサ)はスティーブ・ジョブズの娘の名前からつけられました。アップルは非合法的ビジネスからスタート、エクセルはマッキントッシュ版が最初だった、キヤノンがマック市場を切り開いた、スティーブ・ジョブズの右腕は沖縄出身などアップルにまつわるウンチクは
→ バグは本当に虫だった!
をぜひ、どうぞ!

マイコン 1978年

表紙は電波新聞社の「マイコン」です。1978年3月号ですので生まれていない人も多いでしょう。パソコンよりもはるか以前のマイコンの時代です。表紙に映っているのはパナファコム株式会社から出ていたLkit-16。昔、松下電器産業と富士通が合弁会社を作っていた時代がありました。

マイコン
マイコン

Lkit-16の価格は本体+電源で115,000円でした。主記憶はすごいですよ!なんと0.5K語です(笑)!!

キーボードはもちろん16進数でアセンブラ言語を入力します。モニターなんてない時代ですからテレビをつなぎます。ハードディスクどころかフロッピーも普及していない時代ですから保存はカセットテープです。コンピュータはデジタルですが、カセットテープはアナログです。そこで音に変換して保存します。プログラムを読み込む時は反対にテープを再生すると「ぴーひょろひょろ」という音が流れコンピュータにプログラムが入っていきます。FAXを聞いている感じに近いですねえ。

ということで「データ保存はカセットテープがあたりまえだった」など詳しく知りたい方は「バグは本当に虫だった」をぜひどうぞ!
→ バグは本当に虫だった

テレワークができるソフト

会社がクラウドでなくサーバーの場合、データを見ようと思えば会社へ行ってPCを見ざるとえません。テレワークが進まない理由の一つです。

NTT東日本とIPAによる「シン・テレワークシステム」の提供がはじまりました。2020年10月31日まで、実証実験という位置づけで無償で提供されます。

やり方はいつも使っている会社のPCにサーバー用ソフトをインストールし、自宅PCにはクライアント用ソフトを入れて設定をします。(そんなに難しくないです)

問題はPCの電源とパスワードを入れないといけないので、当番を決めて朝、担当し、終業10分前に電源を落とす運用にすれば他の人はテレワーク可能です。自宅PCにデータは残りません。

→ 「シン・テレワークシステム」の緊急構築と無償開放について

そろばん

人工知能研究などをしているIBMワトソン研究所には「そろばん」を収めたガラスの箱があり、傍らにはハンマーが置いてあります。しかも「何もかもダメになったら、ガラスを割れ」とのメッセージがついています。

そろばん
そろばん

コンピューターのご先祖は「そろばん」ということです。「そろばん」は室町時代、日本に伝わり算盤の中国語読み「すわんぱん」が変化して「そろばん」になったと言われています。最近の学生は「そろばん」なんて見たことないでしょうね。

■前田利家の「そろばん」
近年、さらに古いそろばんが見つかりましたが、少し前まで前田利家の使っていた「そろばん」が日本最古でした。前田利家は倹約家として知られ戦場にまで持参しています。昔も今も数字が分からないと戦えません。

小牧・長久手の戦いでは敵に前田利家方の末森城(「麒麟がくる」で信長のお父さんが亡くなった城)が包囲されます。この時、兵士がなかなか揃わず悩んでいた利家に妻のまつが金銀の入った袋を投げ出し、「金銀を蓄えるより、このお金で家臣を多く雇えとあれほど言ったのに。そろばんばかりはじいてるからこんな目になるんです。この金銀に槍でも持たせて戦いに行けば」と皮肉たっぷりに言い放った逸話が残っています。

■播州そろばん
「そろばん」の産地は兵庫県小野市です。昔の播磨国で、秀吉の三木城攻め(三木の干殺しで有名な兵糧攻め)から住民が近江に逃れます。逃れた先が大津そろばんの産地で、ここで技術を覚え、播州そろばんが生まれます。