”さまよえるカレー屋”ジッキン

ジッキン

”さまよえる”と言えばリヒャルト・ワグナーのオペラ”さまよえるオランダ人”やヘディンの”さまよえる湖”を思い出しますが、”さまよえるカレー屋”さんの話です。

マイドーム大阪近くの谷四~内本町築といえばスパイスカレー激戦区です。ジッキンというキーマカレーのお店があるんですが、ずいぶん前、メキシコ料理を出すお店で昼間だけ営業していました。どうも間借りしていたようで、いわゆるヤドカリカレー(間借りカレー)です。店をまわしていたのは女性2人コンビでした。

いつのまにか看板がなくなり見なくなったな~あと思っていたら近くの居酒屋さんの三角看板にオロナイン風ホーロー看板風の女性(ジッキンのトレードマーク)を発見。ジッキンが復活していました。居酒屋さんを間借りし男性1名が定食とキーマカレーを出していました。そうそうキーマカレーを食べるとお土産に小さなアヒルの人形がもらえます。この男性がジッキン店主でしたが、9月末に居酒屋での間借りを終了し”さまよえるカレー屋”さんは終焉を迎えます。

12月中旬から「鍋とカレーとお酒のジッキン」として独自店舗をダイアパレスビル1F(内本町2丁目交差点南東角)に出店。メニューを見ると”ひとり鍋ランチ”という鳥鍋や豚鍋もありましたが、まずは定番の玄米キーマカレーです。豆腐やら、いろいろな具材がのっていて楽しめます。カウンターにあった高菜がなかなか美味でした。というわけで”さまよう”のをやめてしまったカレー屋さんです。

あなたの知らないクラウドファンディングの世界

あなたの知らないクラウドファンディングの世界

昨夜は知研関西セミナー。「あなたの知らないクラウドファンディングの世界」教育のチャンスを守る。カンボジアの子ども達に通学用自転車を!というタイトルで安田コンサルティング代表の安田さんにお話しいただきました。

安田さんは2年連続でクラウドファンディングReadyForを活用し、2018年は目標額120万円に対して146万円の支援金を獲得して、先日カンボジアで自転車を子供たちに158台プレゼントし帰国したばかりです。

クラウドファンディングで2回プロジェクトを達成するのは至難の業で
・支援金の波(法則があります)と波にあわせた施策
・事務局とどんなやりとりをするのか
・訪問者数と支援者数との相関
・手数料はとるが、それ以上のサポートをReadyForがするワケ
など、クラウドファンディングを実際に行う上でのいろいろなノウハウを教えていただきました。

カンボジアについても知らないことばかりで
■世界遺産アンコールワット
入場料が7千円ほどと高く、貧しいカンボジア支援になればと思っている観光客が多いのですが、お金はベトナムに流れます。

■子供たちが将来つきたい職業
80%が先生、医者、看護士で、農村から出たことがなく身近で見る大人の職業がこの3つだけ。両親はほぼ農家ですが土地は中国人がもっているため小作農となり生活は貧しく1年間の食糧確保ができない家庭が多くあります。

通学用自転車は3年持てばよく日本の中古自転車が現地にたくさん輸入されており現地で購入してプレゼントしています。自転車のカゴには支援者の名前や会社名が入ります。また悪路のため修理キットがセットです。

日本と同じで女の子が修理は難しいため学校に自転車クラブを作ります。生徒には一人ぐらい自転車屋の息子がいて家業の手伝いをしており、安田さんがささやきます。「今なら自転車クラブの初代部長になれるぞ。女の子が困っているのを助けたら3人に1人くらいは、ほれてくれるかもしれないぞ」これでイチコロだそうです(笑)。自転車クラブではプレゼント以外の自転車のメンテナンスも行い。技術を学んで自転車屋での独立を考える生徒も参加しています。各学校で設立された自転車クラブへのパーツ補給が課題になっています。

Googleマップで見つけた安倍山城

安倍山城

桜井周辺のGoogleマップを何気なく見ていて発見した山城跡です。最近のGoogleマップにはマイナーな山城跡まで載っていて、なかなか重宝します。山城の名前は安倍山城という名前で場所は谷城から丘陵沿いにずっと行った頂上にあり公園になっていました。

頂上からの眺めはよく桜井~八木~生駒山一帯が見渡せます。山城の案内板があり、暦応4年(1341)に北朝方の細川顕氏が安倍山城に陣を構え、南朝方の西阿が篭る戒重城攻めを行ったそうです。西阿といえば南朝の忠臣で最後に立て籠もった城が近くの外鎌城で、主郭には西阿の碑が建てられていました。

西阿が篭る戒重城は平城で桜井駅の近くにあります。細川顕氏が戒重城の南側にある安倍山城に陣を構えたということは後醍醐天皇の吉野との連絡を断つためでしょう。南北朝の戦いでは桜井一帯が戦場になっていました。戒重城も外鎌城も落ち、西阿は楠木正行と共に四条畷の戦いに出陣し討死したと伝わっています。

安倍山城は永禄8年(1565)にも使われたようです。松永久秀が布陣し、鳥見山城の筒井順慶と戦いました。

大和・谷城

大和・谷城

近鉄・JR桜井駅を降りてまっすぐ南へ向かうと大和信用金庫の本店があり、この本店を通り過ぎると国道165号線(津から出ています)があります。この165号線をを超えると右手にこんもりとした丘が見え、丘の上にあるのが若桜神社。境内には清水湧き出る泉があり、これが桜井という地名の由来になっています。この若桜神社が谷城跡です。谷城の築城時期などは分かっていません。 

階段を上がると神社の境内で社殿がありますが、ここが谷城の主郭になっていて周りを土塁が巡っています。裏側は竹藪になっていますが土塁がよく分かり、神社の南側には空堀が見事に残っています。住宅地の一角なんですが、開発もされず、よく城跡が残りました。

出雲城(桜井)

出雲城(桜井)

十二柱神社(武烈天皇の泊瀬列城宮跡)横に細い道があり、ここを登って道が途絶える所に東の山へ入れる尾根があります。大した藪ではないので、ここから尾根をひたすら登っていくと出雲城にたどりつけます。

主郭が南側にあり北側に2つの副郭があるんですが、郭との間は見事な堀切となっています。郭と郭の間は木橋でつないだのでしょう。虎口は南側で、そのまま主郭に入れず帯郭を通過している間に頭上から攻撃を受ける形となっています。

出雲城の眼下を伊勢街道が通っていて、この界隈には外鎌城、外山城、赤尾城などがあり、おそらく連携していたのでしょう。出雲城は誰が造ったかは不明ですが、かなりの大工事が必要です。永禄3年(1560年)に大和支配を進めようとしていた松永久秀方による、初瀬・宇陀攻めが行われたので、この時に造られたのではという説もあります。

オヤヂの会

フグ久

冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、フグなど食べたるも、いとおかし。ヒレ酒を飲むとて、継ぎ酒を三つ四つ、二つ三つなど急ぐさへ、あはれなり。 

というわけで鶴橋へ出かけてとっても分かりにくい所にある、ふぐ久です。フグをリーズナブルで食べられるお店として有名で、なんせ大阪といえばフグの消費量が日本一ですが、そのなかでも激安でしょうね。 

さてフグ久ではオヤヂの会という面妖な集団の集まりの忘年会を開催。私は正式メンバーではなく、オブザーバとして毎回、参加しています。年々、高齢化している会でして女性メンバーもいるのに、毎回話題は病気の話やエロ系で、メンバーはすっかりオジサン、オバサンです。

泊瀬列城宮跡(武烈天皇)

泊瀬列城宮跡(武烈天皇)

暴君として伝えられているのが武烈天皇。名前からしてメチャクチャ悪い諡号(おくりな)です。

野見宿禰塚から下ると出雲集落(桜井市)があり、ここに十二柱神社があります。国常立神(くにとこたちのかみ)など神世七代の神々と、天照大神など地神五代の神、あわせて十二柱の神々を祀っている少し変わった神社です。一回のお参りで十二の神さんに参拝できますのでコスパは高いですねえ。

この十二柱神社の境内一帯が武烈天皇の「泊瀬列城宮跡(はつせのなみきのみや)」伝承地として伝わっています。出雲集落は初瀬谷にあり、大和から伊勢へ通じる古代の主要道が通っていて、ここを抑える場所に宮がありました。

ただ宮があったにしては狭い場所ですねえ。武烈天皇は平群鮪の暗殺やら悪逆非道について日本書紀に書かれていて暴君と呼ばれています。ただ後継者がおらず、次は遠く越前から継体天皇を迎えることになり、王朝交代説もあるぐらいなので、武烈天皇を暴君に仕立てたという説が有力です。また日本書紀と古事記ではけっこう記載内容が異なっており武烈天皇は実在しなかったのではとも言われています。

ITC三重 忘年会

萬力屋

ITC三重の忘年会。 

ITC三重というのは、もともとITコーディネータの勉強会でしたが、今は資格などは不問で県内のIT系人材が集まる会になっています。 

■消費税改正はシステム的に大変 
昨日は来年に予定されている消費税改正についての勉強会でシステムに与える影響が大きく、年明けからIT業界はどこも大変になりそうです。 

マスコミではコンビニの店内で食べたらどうだという話が流れていますが、システム的には9月に納品した食料品が10月になってから返品されたらどうなるのか、塩化ナトリウムを染物屋に売ると工業原料となって消費税は10%ですが漬物屋に売ると食料原料となって消費税は8%になるなど、かなりの手間がかかります。システム的にはインボイスができないうちは複数税率をやるのは無理というのが結論なんですが、そうはいってられないので年明けから対応しないと間に合わないでしょうね。パッケージ利用のところはメーカーがバージョンアップ対応しますので騒がなくて大丈夫です。 

ただ、こんな話で騒がれはじめるのは直前が多く、直前に言ってこられてもIT業界では当然、対応できないので、かなり現場では混乱しそうです。 

■忘年会 
勉強会が終わってからは忘年会。会場は毎年おなじみのアスト津・地下の萬力屋です。いつものように食べ放題、飲み放題のオーダ・バイキングなんですが、なぜか毎年、行くたびに価格があがっていて昨夜は一人4,309円でした。 

堺筋本町界隈にある中華店の飲み放題・食べ放題は軒並み3,000円ですので、大阪は安いですねえ。

野見宿禰塚

野見宿禰塚

貴乃花の引退や貴ノ岩の暴行事件など今年も角界ではいろいろとありました。

■相撲の発祥
さて相撲の発祥といえば野見宿禰。日本書紀に書かれているのは垂仁天皇の時代に相撲が発祥したという記述です。大和の當麻(当麻寺で有名)に住む当麻蹴速が剛の者で、出雲国から招いた野見宿禰と相撲(天覧試合)をとらせ野見宿禰が勝ちました。というか当麻蹴速は腰を踏み折られて死んでしまいます。当時の相撲は蹴ってもよかったんですね。相撲を取った場所が桜井市の穴師坐兵主神社の摂社である相撲神社のある所で、日本最古の道である山の辺の道沿いにあります。

さて相撲で勝った野見宿禰ですが、殉死の代わりに埴輪を活用するよう提言し土師氏の祖となります。前方後円墳で埴輪が見つかるのは野見宿禰のおかげなんですねえ。ちなみに垂仁(仁を垂れる)はこの殉死をやめたことから天皇(当時は大王)に贈られた贈り名です。野見宿禰は播磨の立野(龍野)で亡くなり、そちらにお墓があるんですが、なぜか桜井市にもお墓があります。

■野見宿禰塚
近鉄・大和朝倉駅と長谷寺駅のちょうど中間あたりの伊勢街道沿いに出雲という場所があります。一説に野見宿禰は出雲国ではなく出雲村の出身だったと言われています。この出雲を見下ろす高台に野見宿禰塚跡があります。明治16年まで大きな塚があり地元では野見宿禰のお墓と言われていました。そのため力士のお参りも多かったそうです。ところが明治16年に農地整理かなんかで塚が壊されてしまいました。塚にあった朱を捨てたら初瀬川が三日三晩、赤く染まったそうです。なにも壊さなくてもよいのに!

というわけで今は野見宿禰塚跡の碑が畑の中に建っています。かなり分かりにくい場所にあります。

償却資産の申告

償却資産の申告

年末になったため法人相手にいろいろな書類が送られてくる時期となりました。今回は償却資産の申告です。先日、年末調整の申告をしたばかりなのに本当にいろいろ送ってきますねえ。会社勤めの時は総務に書類を出すだけですみましたが、法人となるとその総務の仕事を自分でやらないとダメなので、けっこう大変です。もっとも外部に委託できるほど稼げていないところが問題点なんですが(笑)。

さて償却資産の申告です。固定資産に課税される税金を償却資産税といい、市町村が税金を計算するために法人に書類を送って対象となる固定資産を申告してよという書類です。コンサルティングなどが主体で固定資産もないので、この書類は無視ですねえ。