當麻山口神社

當麻山口神社
當麻山口神社

鳥谷口古墳から坂を下りていくと、すぐ近くに當麻山口神社があります。延喜式神名帳に記載された式内社ですので、古い神社ですね。ひっそりとした境内です。祭神は大山祗命(おおやまつみのかみ)で山の神様です。

山の神様なんで生駒や鴨、都祁などに山口神社があります。法人番号検索サイトで「山口神社」で検索すると全国に39あり、そのうち奈良には15ありますので、半分弱が集中しています。山口神社は奈良を取り囲むように配置され、中心部にも耳成山や畝傍山に配置されています。

鳥谷口古墳

二上山の雄岳と雌岳の間にある馬ノ瀬から奈良側に下ると高台に鳥谷口古墳があります。方墳で石棺が残っています。大津皇子のお墓は雄岳に比定されていますが、実はこの鳥谷口古墳が本当の大津皇子の墓ではないかと言われています。

鳥谷口古墳
鳥谷口古墳

雄岳の墓はこんもりとしていますが古墳かどうかは定かではありません。また鳥谷口古墳の所在地が染野(しめの)という土地で標野(皇室や貴人が占有し、一般の者の立ち入りを禁じた地)からきているのではと言われています。額田王が「あかねさす標野行き野守は見ずや君が袖振る」と近江にあった標野で歌っています。また石棺が加工途中で急ごしらえで造ったようです。

鳥谷口古墳は山の中腹にあり畝傍山などがよく見えるので、二上山を弟と見るという万葉集の歌も矛盾がないようです。大津皇子の辞世の句は磐余の池で詠まれ、磐余の池跡に歌碑が建っています。

立売堀

大阪の難読地名である立売堀(いたちぼり)の近辺で最近、仕事をしています。

立売堀川
立売堀川

名前の由来は諸説ありますが、その一つが大坂の陣。この地域を陣地にしていたのが伊達政宗。大坂夏の陣では、「道明寺の戦い」で後藤又兵衛らと戦います。遅れて到着した真田信繁とも交戦しますが、後退を余儀なくされます。

陣地にしたので堀を作っていましたが、堀跡を掘り進んで川としたことから伊達堀(「だてぼり」が「いたちぼり」に変化)と呼ばれるようになります。この川の沿岸で材木の立売(たちうり)が行われるようになり字を立売堀と改めますが、読みは「いたちぼり」のままなので難読地名となりました。

江戸時代の大坂は水運が発達し川だらけで、ここから西に流れていたのが立売堀川です。近くには2つの川が交差し四つの橋がかけられた四ツ橋がありました。

古河大阪ビルディング

今日は久しぶりに都会でお仕事(笑)。

古河大阪ビルディング
古河大阪ビルディング

堺筋本町界隈はオフィス街ですが高層建築というとタワマンばっかり。さすがに中ノ島界隈はオフィスの高層建築がけっこうあり都会の雰囲気です。大阪もようやく涼しくなってきたこともあり、紅葉がすすんでいます。

中之島フェスティバルタワー・ウエストに上がってきました。橋の向こうにサントリービルが見えるのですが古河大阪ビルディングは更地になっていました。SRAでシステム開発していた頃、分室があり徹夜などもよくやっていたのですが、なくなってしまいましたね。

甲賀忍者

近江といえば飛び出し人形「とび太くん」が有名ですが、同じ近江でも甲賀となると忍者になります。

とび太くん
とび太くん

甲賀と伊賀は山を隔てた近接地ですが知名度からいくと伊賀ですね。赤影は伊賀忍者だし、忍者ハットリくんも伊賀です。ただライバルであるケムマキは甲賀です。甲賀もまけてなく真田十勇士に登場する猿飛佐助は甲賀です。とはいっても、忍者と聞くと伊賀のイメージが強いですね。

同じ忍者の里ですが甲賀と伊賀には因縁があり、甲賀は六角氏とともに信長と戦っていましたが六角氏が没落すると信長の支配下になります。信長が伊賀をせん滅するために起こした天正伊賀の乱では、織田信長軍の進軍道の一つが甲賀になってしまいました。相争っていた時期もありました。

竹内街道の始点

竹内街道の始点
竹内街道の始点

南海・堺東駅の南東にあるのが竹内街道の始点。

大坂・天満橋の渡辺津から熊野三山を結ぶ街道が熊野街道です。堺あたりでは西高野街道と一緒になっています。南に向かう熊野街道(西高野街道)から東に分岐して竹内街道がはじまります。竹内街道ができた古代は、海がかなり入り込んでいたので、このあたりが始点だったのでしょう。大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)などは海岸沿いに南北に築かれ、海から見えるランドマークでした。

難波大道(竹内街道)

金岡神社
金岡神社

竹内街道は飛鳥と難波京を結ぶ道ですが、難波京からまっすぐ南にのびていた難波大道(朱雀大路)と交差していました。交差していたのが堺の金岡神社あたりで、付近には「大道町」の地名が残っています。この神社が難波大道の南端という説もあります。

難波大道は一部が発掘され幅19mあったようです。摂河泉(摂津、河内、和泉)の境が一部、直線になっていますが難波大道に沿っていたようです。難波大道の東側が河内国、西側が和泉国になります。金岡神社は大和絵を確立した巨勢金岡を祀る神社です。巨勢金岡は平安時代の人物で巨勢氏は武内宿禰の次男である許勢小柄宿禰を始祖とする氏族ですね。

竹内街道

竹内街道
竹内街道

飛鳥京と難波京を結ぶ最初の官道です。つまり国道1号線です。横大路が三輪山の南から葛城市の二上山まで東西にほぼまっすぐに設置され、竹内峠を越えてから難波に入り、古市あたりから、またおおむね東西にまっすぐな道になります。

というわけで古市駅から堺東駅まで竹内街道を歩いてみました。Googleマップが優秀で、ちゃんと道を教えてくれます。大体、3時間半で2万5千歩ほどになりました。古市古墳群から百舌鳥古墳群へ至るコースでもあります。もっとも古墳を見ても単なる森にしか見えませんが、知らんけど。

大沙川隧道

大沙川隧道
大沙川隧道

JR三雲駅から旧東海道を歩き三雲城跡に登る手前にあるのが吉永のマンポ(大沙川隧道)。アーチ状の石が特徴です。

大沙川が天井川になっていて、このあたりは天井川が多くあります。氾濫防止のために堤防をつくると川底に土砂がたまって、川の高さが上がるので堤防を付け足してとやっていると天井川になります。神戸など昔から栄えていた所に多いですね。奈良時代に石山寺などの造営で、このあたりの山の木々はほとんど切り倒され、はげ山となったことから砂の堆積が進んだ面もあります。

枚岡神社 秋郷祭り2022

枚岡神社・秋郷祭2022 3年ぶりの開催です。

枚岡神社 秋郷祭り2022
枚岡神社 秋郷祭り2022

一番の見どころは枚岡神社への宮入のために麓の鳥居から急坂を登り近鉄・枚岡駅の踏切を超えるところです。電車の合間を狙って23台もの布団太鼓台を通過させないといけないので近鉄職員も大変。踏切を超えたところから、また急坂になっていて、これを1トンを超える太鼓台を担いでいきます。

祭りは10月14日、15日固定で、今年はうまく土曜にあたり、ラッキーでした。屋台もずらっと枚岡駅から額田駅まで並び、いつもの祭りの賑わいが戻ってきました。来週は石切さんのお祭りですねえ。