神足

西国街道を歩いていたら公民館の前に「JR神足(こうたり)」の駅名表示がありました。懐かしい駅名ですねえ。

神足駅
神足駅

村田製作所の本社が目の前にあるJR長岡京駅の昔の名前はJR神足でした。桓武天皇が平城京から長岡京に遷都した頃、この地域に聖なる池があり、ここに神が降臨したので「神(かむ)」「到り」と称され、これが転じて「神足(こうたり)」と呼ばれるようになったといいます。本当かどうかは分かりません。この時に神足神社が創建されたようです。

JR長岡京駅は確かに長岡京の範囲ですが六条あたりで中心地域は阪急・西向日駅の周辺でした。ですので神足の名前でよかったのに。長岡京は2度にわたる大洪水と、陰陽師・安倍晴明で有名ですが早良親王の怨霊に悩まさ、わずか10年で平安京に遷都します。

上賀茂神社

下鴨神社から加茂街道を葵祭の行列が進みます。対岸から見ると行列が賀茂川に映り、なかなか幻想的ですね。目指すは上賀茂神社で下鴨神社と同じ加茂氏の神様です。なるほど鴨川ホルモーの舞台になるはずです。

上賀茂神社
上賀茂神社

祭神は賀茂別雷神社で降臨したのが京都産業大学近くにある神山(こうやま)で、大学の校歌にも神山がでてきます。上賀茂神社の自転車置き場には、ここからスクールバスに乗る学生の自転車であふれています。なんせ坂をふたすら登らないと大学にたどり着かないので。

上賀茂神社といえば境内を流れる明神川があり、自転車置き場のすぐ近くに鄙びた雰囲気の箇所が今でもあり、よく必殺シリーズなど時代劇の撮影で使われていました。当時のドラマなどを見ると、「あっ、上賀茂神社だ」とすぐ分かり江戸を舞台とした話なんですが全然、感情移入できませんなああ(笑)。

深泥池

深泥池
深泥池

下宿のあった上賀茂からちょっと東に行くと深泥池(みどろがいけ)があります。今は住宅地のど真ん中ですが40年ほど前はもう少し鄙びていました。時たま散歩で出かけていました。

池のほとりから宝ヶ池に抜けることができ、よくタクシーなどが通っています。それでできたのが深泥池の幽霊伝説。若い女性を乗せたら消えてしまってシートが濡れていたという、おきまりのやつです。40年ぐらい前にも流布していました。

深泥池は氷河期から残る貴重な池で、市街地で最終氷期からの生き残りとされる生物などがみられる貴重な場所です。平安時代ぐらいから、いろいろな記録にでてくる池です。見た感じは何の変哲もない池なんですがねえ。

第二興和荘

第二興和荘
第二興和荘

大田神社のすぐ近くにあったのが第二興和荘。学生時代に4年間下宿していたところです。雨が降ると自主休講してましたねえ(笑)。

上賀茂神社から明神川が流れ社家町を通るところは、なかなか絵になるのでドラマやCMなどによく登場していました。そのまま流れて下宿前を流れていたのも、この明神川です。

京都といえば盆地なので夏は暑く、冬は底冷えするのですが特に御園橋を越えると温度が違うとよく言われていました。確かに北大路あたりでは何もなかったのに上賀茂では雪が降っていたこともありました。

大田神社

上賀茂神社からずっと東側へ行くと「かきつばた」で有名な大田神社があります。天鈿女命(あめのうずめ)が祭神でアマテラスが隠れた時に踊った神様で芸能の神様になっています。大田神社は上賀茂神社や加茂氏が登場する前からあった古い社のようです。

大田神社
大田神社

学生時代はそんな古い歴史があるとは知らず、ただ近くにあったので、よくお参りに行っていました。大田神社に曲がる交差点にあるのが戸田牛乳店。40年ほど前によく利用していましたが健在でした。閉まっていたので、現役でやっているのかどうかは分かりませんが

上賀茂神社前ロータリー

上賀茂神社の門前に位置するのが御園橋。昔は狭い橋でしたが拡張されて両側に歩道も整備されています。御園橋を過ぎるとちょっと下って上賀茂神社前のロータリーに出ます。日本では珍しいロータリーですが私が学生の頃にはあったので少なくとも40年前にはありましたね。

上賀茂神社前ロータリー
上賀茂神社前ロータリー

行き交う道が5本あって、おまけに上賀茂神社のバス停から出る道もあるのでロータリーでないと無理なんでしょうね。ここもきれいに整備されて拡張されていました。

京都産業大学に行く時に柊野(ひらぎの)経由の場合はよくこのロータリーを使っていました。そうそうヒラギノフォントの名前はこの柊野が由来しています。時たま上賀茂神社前を通らずに圓通寺から精華大経由でも行ってましたが、こっちは遠かったです。

加茂の流れに

「やさしい雨の 祇園町 加茂の流れに映る あなたの姿...」

昔、かぐや姫の「加茂の流れに」という曲がありました。

加茂川
加茂川

賀茂川といえば上皇となり権力を握った白河院が、権力があっても何ともならないものとしてあげたのが「賀茂川の水、双六の賽、山法師」。賀茂川はよく氾濫していました。今は堤防がありますが、昔は木屋町通りぐらいから鞠小路ぐらいまでが河原になっていて牛馬の放牧や耕作地として使われていました。秀吉が作った御土居もこの洪水対策の目的がありました。

川を渡る場所として三角デルタが有名ですが府立植物園近くにもできていました。

みたらし団子の故郷

今年も葵祭の行列が中止になってしまいました。つまり鴨川ホルモーも中止なのかなあ(笑)。

下鴨神社
下鴨神社

葵祭の斎王代が禊をするのが下鴨神社の御手洗池(みたらしいけ)です。みたらし団子が生まれたところです。後醍醐天皇が下鴨神社に行幸した時に御手洗池で水をすくおうとすると、1つ大きな泡が出て、続いて4つの泡が出てきたそうで、これを団子に模したのが御手洗団子(みたらしだんご)になります。

まあ諸説ありまして、平安時代から御手洗祭があり、この時に境内で売っていたのが串に刺して焼いた団子が「みたらし団子」と呼ばれるようになります。いずれにしても下鴨神社が関係していそうです。

下鴨神社のパワースポット

下鴨神社はパワースポットとして有名で、摂社の河合神社では手鏡形の絵馬に描かれた顔にお化粧して願い事を記入する女性がたくさんいます。相生社は縁結びで有名で、こちらも女性がたくさん。

奈良殿神地
奈良殿神地

もっとも知られていないパワースポットもあります。境内には縄文時代から続く原生林・糺の森が拡がっていて、古代の祭祀遺跡が発掘されています。境内からちょっと離れたところにあるのが奈良殿神地で、小川に囲まれた小島(船島)は神様が天鳥船で降臨した所と伝わっています。これ以上のパワースポットはないのですが誰もいませんね(笑)。

下鴨神社の正式名称は賀茂御祖(かもみおや)神社。賀茂氏の神様で賀茂氏の祖は神武天皇を先導し、大和の葛城を通って山城に入ったと伝わっています。葛城といえば鴨氏なので関係があるかもしれません。

慶長天主堂跡

安倍晴明神社、近くにあるのが慶長時代の天主堂跡。

慶長天主堂跡
慶長天主堂跡

信長時代は鯉山や橋弁慶山がある鉾町に南蛮寺がありました。信長の家臣に弥助という黒人武士がいて、最後まで信長につき従います。本能寺の変で明智軍と戦った弥助は捕らえられますが、日本人でなかったため、南蛮寺に預けられます。イエズス会は弥助から本能寺の変などについて聞き、本国に報告しています。それ以降の弥助の消息は分かっていません。

信長のあと、秀吉が天下をとりましたが秀吉が伴天連追放令を出したことで南蛮寺は破壊されてしまいました。戦国時代、戦さの捕虜は人身売買されましたが、海外にもたくさん連れていかれたことが理由の一つにあったようです。

関ケ原の合戦後に家康の天下になると天主堂が復興され、これが慶長時代の天主堂になります。ところが家康の外交顧問だった英国人、ウィリアム・アダムス(三浦按針)が東インド会社の代理人でもあったことから布教ではなく貿易だけをしたいオランダとの貿易に傾斜。10年ほどでキリスト教が禁教となり天主堂も破壊されました。