日替配達弁当戦争

日替配達弁当
名古屋市新事業支援センターが入っている名古屋市中小企業振興会館(吹上ホール)の周りには飲食店が少ないため、職員の多くは弁当持参かコンビニで弁当を買ってきます。ほかに日替わり弁当の配達もあります。
以前は「お弁当の益久」と「ミノヤランチサービス」が名古屋市新事業支援センターに配達していました。このミノヤランチサービスは、名古屋などを中心に1日4万食も配っています。有名な日替配達弁当の玉子屋(東京)が1日あたり6万5千食ですので、おそらくそれに続く規模ですね。
 350円×4万食×25日×12ケ月=42億円 
ホームページには年商43.9億円とあります。土曜日が減るのと他にもケータリング事業などもやっているはずですので、大体この数字になるのでしょう。
益久とミノヤランチサービスの2社が入っていたのですが、「お弁当のおおしま」が営業に来て、弁当が試食できますって言葉で、ころっと担当者が切り替えてしまいました。個人的には益久がよかったんですが(笑)もっとも毎日、2人ぐらいしか頼まないので「お弁当のおおしま」にとっては少し効率が悪いですね。会館のほかの部署も頼んでいるのでついでです。
お弁当のおおしまのホームページを見ると「弁当試食の申込」というバナーがあり、既存業者の置き換えツールとしては、なかなか有効なやり方です。

椿井城

椿井城
椿井城(つばいじょう) 
近鉄生駒線・竜田川駅の東側にある山を登ったところにある山城。嶋左近の居城だったのはという説がありますが、はっきりしたことは分かっていません。筒井氏に備えるために松永久秀が築いたという説もあります。
山城へ登る道の麓に椿井という名前の井戸があります。蘇我や聖徳太子が物部守屋を攻める時に苦戦し、この地域(平群)の神手将軍が戦勝を祈願して、椿の杖をついたところ泉が湧き出します。これを聖徳太子や兵士が飲んだところ士気が上がり、守屋との戦いに勝てたということです。
平群からだと暗峠超えで物部の本拠地である東大阪へ攻め込めまめますし、山の向こうは斑鳩ですから、この地から攻めた部隊もあったのでしょう。
椿井城ですが、山城では珍しく地元有志によって整備されていて、とっても見やすくなっています。ただし北郭は保存のため見学ができず、見学できるのは南郭だけです。かなり大きな山城なので見応えは十分。堀切などもしっかり残っています。山上の郭からは松永久秀の信貴山城がすぐ近くに見えます。

ひらおか薪能

ひらおか薪能
「ひらおか薪能」を見に枚岡神社へ。奥さんと毎年行っています。
諸説ありますが能を作り上げた観阿弥は伊賀の人で、お母さんが河内玉櫛荘(東大阪市)出身。大和猿楽の一座に所属していました。実は楠木正成の姉か妹だと言われていますので、そうなると観阿弥は正成の甥になります。そんな謂れもあり、河内一ノ宮である枚岡神社で薪能が行われ、今年で第23回目。
狂言と能が行われますが能は「鵺(ヌエ)」。源三位頼政の鵺退治をテーマにしています。近衛天皇の時代に、大極殿の屋根に夜ごと鵺(化物)があらわれ天皇は病気になってしまいます。そこで源頼政が呼ばれ、鵺は弓で射抜かれ、退治されました。その鵺が亡霊になって現れる話。
昨年の「ひらおか薪能」が「頼政」。鵺退治した源頼政が平家に敗れ、平等院の庭に扇を敷いて自害したのがテーマになっています。もちろん亡霊として現れるのは源頼政。2年続けて、源頼政がテーマでした。(笑)
源頼政が自害した場所は「扇の芝」と呼ばれ、平等院を入ったすぐ左手にあります。「扇の芝」の案内板もあるんですが、何もない広場ですから、そんな所へ行く観光客はまずいません。歴史好きか能好きだけでしょうね。

ビジネスプラン発表会2014

ビジネスプラン発表会
名古屋駅前にあるウインクあいちでビジネスプラン発表会。
あいち産業振興機構&名古屋市新事業支援センターの共催で、それぞれの機関で選抜された6社によるプレゼンです。
【名古屋市新事業支援センター】
ブレーンコンピュータ株式会社
アロマスター株式会社
株式会社ヘルスケアシステムズ
【あいち産業振興機構】
ニットナゴヤ
株式会社シード
株式会社ゼットネット
私はデジタルサイネージのプレゼンをされたブレーンコンピュータさんの担当でコーディネートをしておりました。会場は最初から最後まで、人で一杯で立見が出るほど盛況。プレゼンから表彰式までずっと、東海テレビさんが取材に来ていました。

嶋左近のお城 西宮城(生駒郡)

西宮城
西宮と言っても兵庫県ではなく奈良県生駒郡平群町西宮にある城跡。
生駒駅から単線&ワンマン運転の近鉄生駒線に乗って、平群駅と竜田川駅のちょうど間ぐらいにある平群中央公園に城跡があります。城は小高い丘の上にありましたが、今は公園になってしまい遊具がおかれ、家族連れでにぎわっていました。ただ西郭の土塁や主郭と副郭の間のくびれの部分など遺構が一部残っています。西郭は西宮古墳をそのまま郭に使っていました。戦国時代によく古墳を城にしていました。
谷の向こう側に下垣内城がありましたが、こちらも公園化のよって城の遺構は皆無になっています。このあたりを支配していたのが嶋氏という国人。あの嶋左近の一族です。筒井氏に仕えていましたが、石田三成からのヘッドハンティングを受け、それも三成の禄高の半分を与えるという破格の待遇。意気に感じた嶋左近は三成に仕え、「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山(城)」と言われます。三成は豪放磊落だったようで大河ドラマで描かれる姿とは、だいぶイメージが違います。
関ヶ原の戦いで三成軍として華々しく戦った嶋左近。最期の奮戦ぶりは東軍諸将のあいだでも語り草となりました。その嶋氏のお城です。

増田氏城(伊賀)

増田氏城
上野市民病院がある丘の南端に増田氏城があります。民家の横を通って、少し登ると城の入口。写真は増田氏城の主郭から狭間城・北の城・城山城方面を見たところで、向こうに見える丘の端にあります。狭間城・北の城・城山城の後に増田氏城へも行ってきました。
増田氏城は、西郭、副郭、主郭、東郭からなっており、めちゃくちゃ大きなお城。郭を大きな土塁が巡っていて高さは10mもあり、なかなかの迫力があります。城の中の竹藪だらけで、さすがにスーツ姿では土塁にあがるのがやっと。郭の中に入るのはあきらめて土塁の上をずっとめぐっておりました。一角に墓があり、城を作ったと言われる増田氏の墓碑が見えます。詳細は不明で、これだけ大きな城を土豪一人で作れるわけもなく、伊賀の土豪が協力体制で作ったのでしょう。
伊賀天正の乱では伊賀軍が増田氏城にたてこもり信長軍との戦いになったようです。後で調べると、すぐ近くに中森氏城という小さな城があり、こっちは見逃してしまいました。機会を作って、また行かなければ。

狭間城・北の城・城山城(伊賀)

狭間城
伊賀鉄道・猪田道駅の直ぐ近くにある北側の丘に狭間城・北の城・城山城と呼ばれる三つの城があります。
昨日、上野商工会議所でのセミナーが夜の開始でしたので、その間に城に登ってきました。3つの城ともすぐ近くで、比高も高くないので、すぐ登れます。誰の城なのか分かっていませんが猪田道駅近くに依那古神社があり、ここが小泉氏館跡でした。
小泉氏は伊賀の土豪として丸山合戦や伊賀の乱に参加しており、依那古神社のすぐ近くの城ですので小泉氏の詰城ではないかとも言われています。
城といっても単郭で周りを土塁で囲んだ城。まず入り口にある城山城に入ると竹藪の中に土塁がありました。北の城は四方を巡る土塁と虎口跡が、ほぼ完存していますが竹藪がすごくって、土塁に登るのがやっと。
狭間城も同じかなと土塁をえっちら登ると郭全体の竹藪が刈られていて、竹藪が残っている虎口以外が一望できます。これだけ土塁がはっきり見える城はなかなかないですね。内側の郭からの高さは5メートルほど、外側の空堀からですと8メートルほどあり、土塁が完存していました。狭間城の土塁にとりつくまでは少し大変ですが、なかなかおすすめの城です。スーツ姿で行くのは、なるべくやめた方がよいでしょうね。(笑)

伊賀商工会議所でセミナー開催

伊賀
異業種、異分野の様々な会社が集まった異業種交流懇談会という組織が上野商工会議所にあり、その懇談会からのセミナー依頼です。セミナーはよいのですが開催時間が19時~21時。時刻表を調べると21過ぎの伊賀鉄道に乗れば、なんとか最終で帰れることが判明して引き受けました。
19時開始なんですが、まずは参加者全員にお寿司が出ます。皆さん仕事が終わってから会場にかけつけるので、どうも食事をしてからスタートというのがならわしになっているようです。
「まずい、こりゃお腹ふくれて仕事疲れで寝ちゃうなあ。」
と思ってセミナーを開始すると、案の定、何名かが舟をこいでいます。途中で演習を組み込んでいたのですが予定よりも演習時間を長くしてワイワイ皆で討議する形に変更。これでバッチリ目が覚めて後半のセミナーは皆さん、しっかり聞いておられました。
Q&Aを含めすべて21時で終わってもらって、伊賀鉄道に飛び乗って大阪まで戻ってきました。やっぱり最終電車でした。セミナ―タイトルは「新規顧客獲得のためのネット活用法」でした。

近鉄・奈良線が高架に

近鉄
長らく工事をしていた近鉄・奈良線の高架工事が昨日終了。
奈良行は既に高架になっていましたが、反対側の難波行きも今日から高架になりました。これで八戸ノ里駅から瓢箪山駅まで高架になりましたので、鶴橋から瓢箪山駅まで高架でつながったことになります。
高架になったことが影響しているのか、今日から近鉄の時刻表が変更になっています。近鉄のヘビーユーザーですので(笑)おかげで時刻チェックが大変。
瓢箪山駅まで高架でつながりましたが、そこから先は従来のまま。瓢箪者商店街を分断している踏切もそのままで、あいかわらず待たないといけませんなあ。生駒山の麓になってしまうので、高架にするのはもともと無理ですから、ずっとこのままですねえ。

うまし うるわし 奈良(新薬師寺)

新薬師寺
明日は雨になりそうですので、今日のうちに奈良へ。
山を越えたら生駒ですので、奈良までは30分ぐらいで着きます。猿沢の池から頭塔横を通って新薬師寺へ。十二神将と萩で有名ですが萩はまだはやかったですね。十二神将は奈良時代のもので全て国宝。十二支の守護神としても信仰されています。境内は暗く、天井からのライトとロウソクの炎で幻想的です。
奈良は秋の行楽シーズンに入ったためか修学旅行生などで一杯。興福寺の国宝館駐車場にも観光バスがずらっと並んでいました。国宝館には板彫十二神将立像があるんですが、展示のやり方が変わり、一直線にずらっとではなく三面に並べる展示に変わっていました。これから観光客がますます増えるシーズンですね。
三条通の中谷堂(高速餅つきで有名)前にはいつものように観光客が鈴なりになっていました。
→ うまし うるわし 奈良