近くなった熊野

さんま寿司
三重県産業支援センターの仕事で熊野へ。
まずは大阪から津へ出て、支援センターの車に乗せてもらって熊野へ。伊勢自動車道に乗って、勢和多気JCTから紀勢自動車道に入ります。2車線の高速道路ですが信号がないのではやいですね。
紀勢自動車道は紀伊長島まで開通していましたが、今年3月末に海山(尾鷲の手前)まで開通したので、尾鷲までずっと高速でいけるようになりました。尾鷲の街中は一般道ですが、街のはずれから熊野までも新しい道ができていますので実質的に津から熊野までほとんど高速でいけます。
以前は国道42号線しかなく、熊野古道にもなっている峠をいくつも超えなければなりませんでした。ですので津から車なら尾鷲まで3時間、熊野まで4時間ぐらい予想しないといけなかったのが、2時間強でいけるようになっています。もっともトンネルばっかりで、山の中を走るので、ほとんど景色は楽しめません。
写真は熊野市駅前にある喜楽で買ってきた「さんま寿司」。おいしくいただきました。

商品をすぐ届けられますが、買いますか?

商品をすぐ届けられますが、買いますか?
ネットショップなどの利用に伴い通信販売が伸びると重要なのが物流。特に物流センターから顧客宅までのラストワンマイルをどう攻略するかが鍵になります。
そんななかアマゾンでは「商品をすぐ届けられるけど、買う?」という新しい取り組みをはじめています。
ある日、アマゾンのサイトを見ると、飯盛山城、高屋城、若江城など大坂の城跡が縄張図とともに紹介されている本が表示されます。
「こりゃ、絶対に手にいれやな!」と見てみると、価格の下に「今なら30分以内に届けられますけど、どうされます?」と表示されています。こりゃ、ポチッと押して買うしかないでしょう。
とアマゾンの術中にはまるわけです。
アマゾンが2013年12月にアメリカで特許取得したのが、顧客が注文する前に商品を配送する「投機的出荷」。まもなく、現実になりそうですが、絶対にイチコロでやられそうますなあ。
というわけで最新ガイド記事です
→ 商品をすぐ届けられますが、買いますか?

近畿の城郭

近畿の城郭
原稿を1本書こうと思っていたら、「図解 近畿の城郭」が届きました。
城郭談話会が創立20周年を記念して出した「図説 近畿中世城郭事典」の改定新版で、選りすぐった183の縄張図が載っています。これがちょっと高くって定価が5,800円。まあ買う読者層が限られるので仕方ないですね。
滋賀県、京都府、奈良県、大阪府、兵庫県、和歌山県の城郭が紹介されています。大阪府では22の城郭が紹介されていますが、三好長慶が亡くなった有名な飯盛山城は載っていなく、立ち入りができないマイナーな岡ミンザイ古墳が紹介されています。測量図から城郭を復元しており、これはなかなかすごい。
って、こんな本が届いたら原稿が書けませんがな(笑)

伊勢音頭恋寝刃

油屋
御園座の歌舞伎公演が10月に行われますが演目の一つが「伊勢音頭恋寝刃」。歌舞伎俳優が古市の資料館などを訪れたそうです。
伊勢神宮・外宮から内宮へ続く街道の途中に古市があり、昔は遊郭としてにぎわっていました。ここで起きたのが油屋騒動。油屋は古市にあった遊郭で、ここに遊女「お紺」がいました。かなりの売れっ子だったようで、宇治のお医者さんがお紺を座敷に呼んだのに他の部屋の客に呼ばれて行ってしまいます。
お医者さんは下男下女になだめられて帰ろうとしましたが、酒を飲んでいたこともあって刃物で次々に切りつけ死傷者を出す事件となってしまいます。お医者さんは逃げましたが、逃げ切れないと自刃して果てます。
伊勢へは全国から参拝客が来ていますので、あっという間に事件は全国に知られ、一目、お紺を見ようという客で油屋は大繁盛。事件を題材に歌舞伎が作られました。
油屋は現在の古市街道が近鉄線をまたぐ橋のたもとにあり、石碑が建っています。お紺は49歳で病死しましたが、事件を起こしたお医者さんと共に祀られ「比翼塚」になっています。お紺にとっては迷惑な話です。油屋騒動の舞台が行われる時は、出演者がお参りする風習があるそうで四谷怪談と同じですね。

中小企業診断士 1次試験 合格発表

中小企業診断士試験
昨日の夜、交流会「もくもく会」へ参加するためにマイドーム大阪7階にある大阪中小企業診断協会へ。
■中小企業診断士1次試験
協会の入口に中小企業診断士試験 1次試験の合格発表が掲示されていました。受験者16,224人に対し合格者は3,207人(合格率は23.2%)で去年の合格率が21.7%でしたから少しあがっています。
2次試験は10月26日(日)に行われ、2次も1次と同様に合格率が大体20%(去年は18.5%)ですので
 20%(1次)×20%(2次)=4%(合格率)
の試験になっています。合格者を見ると30~49歳が多いですね。
■もくもく会
昨年度も同じ交流会に参加していましたが、今年度の「もくもく会」へようやく初参加。メンバーは大幅に変わっていました。
毎月第2木曜に定例会を開催することから、ふたつの木(もく)を並べて「もくもく会」と名付けられています。今回のテーマはJICA(国際協力機構)での支援のお話でしたが、予定していたゲストスピーカーが来ないなどのハプニングがありました。
終わってからはお酒を飲みながらの交流会。よく飲みました。

かぐや姫は反体制派だった

月見
今日はスーパームーン。
月で思い出すのはセーラームーン、山中鹿之助、そして「かぐや姫」。
かぐや姫に求婚した五人の公達に、「かぐや姫」は無理難題な宿題を課し、それぞれ大変な目にあいます。
公達の名前は石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂で、このうち、阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂は実在の人物。石作皇子は石作氏と同族だった多治比嶋と言われています。
車持皇子は藤原不比等で、母方の名前が「車持」でした。車持皇子に「かぐや姫」が与えたミッションは「蓬莱の玉の枝」。車持皇子は偽物を作りますが、報酬を支払われていない職人たちがやってきて偽物と発覚します。
誰が竹取物語を書いたかは分かりませんが、朝廷を席巻していた藤原氏を快く思っていなかった反体制派でしょう。土佐日記を書いた紀貫之という説もあります。
「がくや姫、(藤原氏が席巻する)穢れた所【地上】から月へ戻りましょう」という台詞も出てきます。さあて、「かぐや姫」が帰った月でも眺めますか。

月の土地

月の土地
今夜は中秋の名月。
明日はスーパームーンなんだそうで、そういえば我が家には月に土地があります。本当の話です。(笑)
アメリカには面白いビジネスを考える会社があり、月の土地の権利書を販売しています。インターネットの懸賞か何かで当選し、ゲットしました。しっかりとした包装で権利書が送られてきました。
小さな赤い点がついている所が我が家の土地で、住所は「AREA J-5/Quadrant Bravo Trot
」という区画。広さは1エーカー(約1200坪)でサッカーグランド1個分ぐらいですね。
もっとも営利を目的とした月の開発・利用を禁じた月条約なるものがあるので、別荘を建てるぐらいしかできなさそうです。20年ぐらいしたら現地集合でパーティをしたいと思いますので、皆さんぜひお越しください。

9年で消えた大仏鉄道

大仏鉄道
関西本線に乗るために加茂駅へ行ったら、構内に大仏鉄道の案内コーナーがありました。廃線跡がハイキングコースになっています。
大仏鉄道とは明治31年に加茂駅~大仏駅で開業した路線で、名古屋から伸ばしてきた関西本線が加茂駅までつながりましたので、こここから奈良まで路線を伸ばします。大仏観光に来たお客さんで賑わいました。
もっとも急坂が多かったので蒸気機関車2台で運行し、峠の上からブレーキをかけないと大仏駅で止まらないなど、けっこう大変な路線でした。大仏駅は東大寺転害門の前をずっと西に行った一条通りにあり、現在は大佛鐵道記念公園になっています。
大仏鉄道ですが、平坦な木津駅経由で奈良へ向かう現在の路線ができたため、わずか9年間で廃止となりました。廃線沿いには橋梁などが残っています。昔、知研関西で大仏鉄道研究会・事務局長の高橋さんに、「なぜ大仏鉄道は消えたか?」というテーマでお話しいただきました。大仏鉄道開通の朝日新聞の記事を見せていただきましたがトップ記事はいわゆる遼東半島の三国干渉の記事だった時代です。

山出氏館跡

小出氏館跡 虎口
午後、伊賀で仕事だったので少し早い目に出て城跡へ。
場所は佐那具駅で降り伊賀国庁跡を通り過ぎ、東条という集落。ここの集落の奥にある山すそが城跡という情報までは調べていったのですが、なかなか見つかりません。
縄張り図には堀の外に川が流れているので、小川を見つけて遡ると土塁がようやく見つかりました。けっこう高い土塁で、登るのは無理だなと思ったら、虎口(城の入口)を見つけ、無事に城の中へ。
城跡と言っても周りを土塁に囲まれた館跡です。館の主は山出氏で、信長に攻められ伊賀が焦土となった、天正伊賀の乱では忍田砦に立て籠もった郷士。
城跡は集落のすぐ近くですが、東、西、南の土塁と虎口が見事に残っていました。集落のすぐ近くなのでスーツ姿で行ける城跡です。
写真は城跡から虎口を見たところです。

名古屋のパワースポット高牟神社(たかむじんじゃ)

高牟神社
朝、津新町駅からいつもより早い電車に乗って、30分ほど早く名古屋に着きましたので途中下車してパワースポット巡りをしてきました。名古屋も古い土地で、邪馬台国説もある奈良の纏向遺跡には東海地域の土器が入り、尾張が古代から国造りに関わっていたことが分かっています。
地下鉄桜通線・車道駅のすぐ近くにあるのが物部神社。式内社ですから、そうとう古くからあります。祭神は物部氏の祖神である宇麻志麻遲命(うましまじのみこと)。境内に大きな石があり石神神社とも呼ばれています。
物部神社から400mほど行ったところにあるのが高牟神社。ここも式内社で、高牟とは鉾のこと。物部氏の武器庫があったようです。境内には延命長寿に霊験があるという名泉「古井の清水」があります。手水場がそうなんですが、朝からペットボトルに水をつめている人がいました。
最近では、この水を飲むと「恋が生まれる」とも言われているそうで、ほんまですかねえ。一帯は物部郷古井村と呼ばれ物部氏の拠点があったようです。湧水が豊富な土地だったようで、近くの吹上にはサッポロビール工場(今の浩養園)がありました。
高牟神社から吹上に向かって郡道を歩くと左右が坂になっていることがよく分かります。郡道は台地の尾根道になっていて伊勢神宮外宮から内宮へ向かう参宮街道ほどきつくはないですが建物がなければ遠くまで見渡せる一等地です。最後に吹上八幡社にお参りして名古屋市新事業支援センターに到着。