長良川の戦い

「麒麟がくる」の次回放送は”長良川の戦い”で斎藤道三と息子である斎藤義龍との親子対決です。大河ドラマでは斎藤義龍が土岐頼芸(守護)の実の息子と思っているという設定になっていますが単なる俗説です。「国盗り物語」も同じ俗説を採用していました。

長良川
長良川

実際は一旦、道三から斎藤義龍への家督相続しましたが、道三は弟への家督相続を考えている節があり、危機感をいだいた斎藤義龍が先手をうっただけです。戦国時代、同じような事例はたくさんあり、武田信玄が父親である武田信虎を追放し、信玄は息子である義信も殺しています。大友宗麟も父親である義鑑を討っています。

他にも伊達政宗も父親の輝宗を射殺しています。大河ドラマ「独眼竜政宗」ではやむをえないという設定になっていましたが、実際はどうだっか。戦国時代は実に殺伐たる時代でした。ですので真田一族や豊臣秀吉・秀長コンビは稀有な存在でした。

論語と算盤

ツンドクを整理中。来年の大河ドラマ「青天を衝け」主人公である渋沢栄一の講演録をまとめたものです。

論語と算盤
論語と算盤

資本主義は算盤(ソロバン)が大切ですが、利益を増やしたい、金持ちになりたいという欲望だけですとバブル経済をみても分かるように暴走し、大きな惨事を引き起こしがちです。そこで暴走を歯止めする手段として論語を取り入れ、自分を律する大切さを説いています。

現在では算盤はITですが効率化などで暴走しないように、無駄なことにも配慮する姿勢が大切ですねえ。やはり何の生産性もない山城登りが大切ですなあ(笑)。

資本主義の父という側面だけでなく、東京市養育院を設立するなど人格者だった渋沢栄一ですが、女性に関してはだらしなく子供は30人以上もいたようです。渋沢自身も「婦人関係以外は一生を顧みて天地に恥じない」と自覚していました。

わたくしが旅から学んだこと

ツンドクの整理中。今回は「わたくしが旅から学んだこと」 (小学館文庫) です。

わたくしが旅から学んだこと
わたくしが旅から学んだこと

日曜日の朝、よく見ていたのが「兼高かおる世界の旅」。芥川隆行との掛け合いが面白かったですね。まだまだ海外旅行が高根の花だった時代、当時の若者は小田実の「何でも見てやろう」、五木寛之の「青年は荒野をめざす」に影響されていました。トーマスクックが破綻する時代がくるとは思ってなかったですね。

映画「80日間世界一周」のむこうをはって行ったのが「80時間世界一周」。東京-マニラーバンコク-カラチ-ローマ-チューリヒ-デュセルドルフ-コペンハーゲン-アンカレッジ-東京と巡るコースで1958年に兼高かおるさんが73時間9分35秒で世界最速記録を作ります。この記録は今も破られていません。なぜならプラペラ機の記録だからなんだそうで(笑)。

経済封鎖で勝った長篠の戦い

ツンドクをせっせと整理中。「戦国時代を読み解く新視点」(PHP新書)では最新の歴史研究の内容が掲載されています。

戦国時代を読み解く新視点
戦国時代を読み解く新視点

織田信長・徳川家康連合軍が武田勝頼を破った長篠の戦い。それ以前の高天神城の戦いで家康から援軍を求められた信長は結局、間に合わず落城してしまいます。今度も遅れると家康が離反してしまうので遅れるわけにはいきません。

信長はまた絶対に負けないように武田軍の倍の兵力をかき集めて戦に臨みました。兵力差を見せて武田勝頼はおそらく撤退するものと考えていたようです。

■経済封鎖で勝てた長篠の戦い
長篠の戦いでは鉄砲の活用が有名ですが鉄砲の装備率を見ると武田勝頼と信長との差はほとんどありませんでした。問題は弾で信長、家康軍はタイから輸入した鉛を使っていました。

ところが信長が堺をおさえ鉛や硝石が東国に流通しないよう経済封鎖をしていましたので、武田は弾や火薬に悩んでいました。神社に賽銭の中の悪銭を上納させて弾にしようともしていました。武田領に金山はありましたが鉛山はなく、武田軍は最初に鉄砲を討った後に弾が少なくなるため突撃したようです。

安土城以前に勝竜寺寺に天主があった

「信長と家臣団の城」(角川選書)に勝竜寺城の天主について出てきます。

勝竜寺城
勝竜寺城

勝竜寺城といえば山崎の合戦で明智光秀が最後に過ごした城。ここから再起を図るため坂本城を目指して夜道を急ぐ途中に殺されました。昔から勝竜寺城はありましたが大々的に作りかえたのが細川藤孝です。勝竜寺城では細川忠興とガラシャ(明智光秀の娘)が結婚し、新婚時代をおくりました。

本によると勝竜寺城には天主があったそうです。しかも安土城に天主が作られる前で、織田信長は坂本城(明智光秀)と勝竜寺城(細川藤孝)に試作的に天主を作らせたようです。明智光秀、細川藤孝とも織田家の歴代家臣ではなく室町幕府家臣からの転身組というのも面白いですね。安土城の前に坂本城に天主があった話は有名ですが、勝竜寺城にもあったんですねえ。

北御堂、南御堂

大阪府よろず支援拠点は以前、マイドームおおさか7階にあり、江戸時代、西町奉行所があった所です。昨年、東横堀川(秀吉が造った堀跡)を渡ったところにある大阪産業創造館2階に移転しました。

大坂
大坂

江戸時代、大阪産業創造館には何があったかなと古地図を確認すると秀吉が作った船場の町ですね。ちょっと前の大坂の陣では中村重勝の陣があった所で本町橋を渡って塙団右衛門に夜襲をかけられて中村重勝も討死しています。

■御堂筋の北御堂、南御堂
ずっと西を見ると西本願寺御堂、東本願寺御堂という文字が見えます。そうです御堂筋に今もある北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)です。

本願寺は10年以上、織田信長と戦い、最後は信長と和解します。本願寺は紀伊鷺の森に移り、その後、貝塚に移ります、秀吉の時代に大坂天満に移ったあと京都に移ります。また一向宗にはトラウマがある家康によって西本願寺と東本願寺に分けられました。

やがて大阪の門徒たちが中心になって作った集会所を元に北御堂ができます。同じように大谷派も難波に造り、これが南御堂となりました。

人のふんどしで相撲を取る

J-Mottoの「頑張る企業応援コラム」です。


4月のテーマは「人のふんどしで相撲を取る~マッシュアップ・API~」で、一からサービスを作らなくても色々なサイトから提供されている技術やサービスを複合させて新しいサービスを提供することができます。これをマッシュアップと呼んでいます。早い話が「「人のふんどしで相撲を取る」ということです。

→ 人のふんどしで相撲を取る

テレワークができるソフト

会社がクラウドでなくサーバーの場合、データを見ようと思えば会社へ行ってPCを見ざるとえません。テレワークが進まない理由の一つです。

NTT東日本とIPAによる「シン・テレワークシステム」の提供がはじまりました。2020年10月31日まで、実証実験という位置づけで無償で提供されます。

やり方はいつも使っている会社のPCにサーバー用ソフトをインストールし、自宅PCにはクライアント用ソフトを入れて設定をします。(そんなに難しくないです)

問題はPCの電源とパスワードを入れないといけないので、当番を決めて朝、担当し、終業10分前に電源を落とす運用にすれば他の人はテレワーク可能です。自宅PCにデータは残りません。

→ 「シン・テレワークシステム」の緊急構築と無償開放について

そろばん

人工知能研究などをしているIBMワトソン研究所には「そろばん」を収めたガラスの箱があり、傍らにはハンマーが置いてあります。しかも「何もかもダメになったら、ガラスを割れ」とのメッセージがついています。

そろばん
そろばん

コンピューターのご先祖は「そろばん」ということです。「そろばん」は室町時代、日本に伝わり算盤の中国語読み「すわんぱん」が変化して「そろばん」になったと言われています。最近の学生は「そろばん」なんて見たことないでしょうね。

■前田利家の「そろばん」
近年、さらに古いそろばんが見つかりましたが、少し前まで前田利家の使っていた「そろばん」が日本最古でした。前田利家は倹約家として知られ戦場にまで持参しています。昔も今も数字が分からないと戦えません。

小牧・長久手の戦いでは敵に前田利家方の末森城(「麒麟がくる」で信長のお父さんが亡くなった城)が包囲されます。この時、兵士がなかなか揃わず悩んでいた利家に妻のまつが金銀の入った袋を投げ出し、「金銀を蓄えるより、このお金で家臣を多く雇えとあれほど言ったのに。そろばんばかりはじいてるからこんな目になるんです。この金銀に槍でも持たせて戦いに行けば」と皮肉たっぷりに言い放った逸話が残っています。

■播州そろばん
「そろばん」の産地は兵庫県小野市です。昔の播磨国で、秀吉の三木城攻め(三木の干殺しで有名な兵糧攻め)から住民が近江に逃れます。逃れた先が大津そろばんの産地で、ここで技術を覚え、播州そろばんが生まれます。

ラテン語の続き

私のことを山城好きや単なる酒飲みと誤解している人が多いのですが、それは世を忍ぶ仮の姿です。

レシピもラテン語
レシピもラテン語

ということでラテン語の続き

■etc(エトセラレ)
元はet ceteraというラテン語で、英語では「etc.」という略語で使われます。etの意味は「and」でeteraは「その他については」です。日本語に訳すと、「とその他」になります。

■レシピもラテン語
クックパッドなどで有名なレシピという言葉も元は”受け取る”という意味のラテン語です。やがてお医者さんが薬剤師に渡す処方箋の意味で使われるようになり、17世紀頃から料理用語として使われ、レシピといえば料理の手順書をさすようになりました。

■パトロンとクライアント
パトロンとクライアントもラテン語が語源です。古代ローマでは貴族(パトローネス)と保護を受ける平民(クリエンテス)という関係がありました。クリエンテスが保護をうける見返りとして兵役の義務などパトローネスとは親子のような関係がありました。このパトローネスとクリエンテスがパトロンとクライアントという言葉になっています。クライアント・サーバシステムですねえ。

■スクリプト
原稿や芝居の台本をスクリプトと呼びますがラテン語で「書かれたもの」を意味します。IT用語でスクリプトというとインタープリタを前提した簡単なプログラムソースを指します。有名なのがJavaScriptです。