「すごプレ」魅せるPowerPointビジネスプレゼン

tiken201410.jpg昨夜は知的生産の技術研究会1月セミナー。Microsoft MVP AwardのPowerPoint部門を2011年より4年連続受賞されている河合浩之さんに「すごプレ」についてセミナーいただきました。

PowerPointを使ったプレゼンはビジネスの世界では必須ですが、箇条書きのようnスライドばかり。見ている時は分かった気になりますが、次のスライドに行った時には、もう忘れています。

印象は記憶に残りますが、プレゼンターがしゃべったことなどは記憶に残りません。そこで目指すのは記憶に焼き付き人を動かすプレゼン。

悪いプレゼンとよいプレゼンの対比など分かりやすく、たくさんのプレゼンの技を教えてもらいました。さっそくセミナーで活用しなくては!

高速道路が通るビルで研修

osaka20140127.jpg大阪の福島近くにある高速道路が通るビルで研修。いつ見てもシュールですね。 

認定支援機関向け経営改善・事業再生の研修で、今回は実践力向上編(2日間コース)を受講中。全国各地で行われた研修も、この大阪の研修で、すべて終了だそうです。 

【経営改善・事業再生研修】 
・基礎編(2日間) 
・実践力向上編(2日間) 
・個別分野コース 経営改善等計画策定演習(1日) 
・個別分野コース 計画策定後のフォローアップ等(1日) 

とりあえず「個別分野コース 計画策定後のフォローアップ等」以外はすべて受講。講師は監査法人トーマツで、受講料は無料です。 

いずれの研修も事業がうまくいっておらず負債が多い企業をケースに、グループで討論しながら課題をこなしていくスタイルです。今回のグループは5人で税理士さん3名(内2名はTKC)、金融機関(地銀)、中小企業診断士(1名)という構成です。さあ、明日もがんばろう! 

若戎酒造

  • wakaebisu201401.jpg

    青山町の初瀬街道沿いにあるのが若戎酒造 

    城巡りのついでに寄ってきました。冬なので加熱処理していない生の瓶詰の「しぼりたて」シーズン。お店に行ったら純米吟醸の「しぼりたて」がありました。本当は純米に「しぼりたて」がいいのですが、若戎は純米吟醸しか作っていません。とってもフルーティーな味。 

    若戎酒造は嘉永6年(1853年)創業。黒船来航で騒然とする幕末に酒造りをはじめ、昨年、創業160周年でした。創業時の当主が義左衛門という名前から酒銘が義左衛門になっています。 

    江戸時代、上方では福の神「えびす」の像が刷られた、若戎と呼ばれるお札を元旦から売る風習がありました。元旦になると早朝から「わかえびす、わかえびす」とえびす売り声が響き、新年の朝一番から福を招き入れようと、お札を買い求めました。ここから若戎という名前をつけたそうです。1月に飲むには縁起がよいお酒です。 

    近くには江戸時代に勧請された「えびす神社」もあり、商売繁盛をお願いしてきました。

桐ケ谷城 三重県・青山町

horagatani201401.jpg青山町駅の北側に城氏城がありますが南側にあるのが桐ケ谷城。 

桐ケ谷城も青山町駅のホームから見えていて、鉄塔が建っている山です。坂を登り、山に着いたら道なきヤブの中を登っていきますが城氏城ほど急ではありません。ですがスーツ姿で登るのはあまり、おすすめしません、(笑) 

頂上に方形郭で四方が土塁と堀に囲まれた城があらわれます。かなり崩れていますが土塁の高いところは5メートルぐらいありました。郭の中はけっこう広いのですが、ヤブ状態。木に青いパネルがつけられており、伊賀の山城ではこの青いパネルに城の名前が書かれていて本丸跡の目印になります。もっともパネルに桐ケ谷城の字は見えないぐらいになっていました。 

城の記録は残っていないようですが、すぐ近くに初瀬街道(奈良と伊勢を結ぶ街道)があり、街道のすぐ山側に阿保城(あおじょう)があります。聖武天皇の阿保頓宮があったとことも言われています。 

桐ケ谷城は阿保城のすぐ裏手の山なので阿保城の詰城か支城だったのでしょう。城氏城が初瀬街道の向こう側に見え、青山町の街道宿は城氏城、桐ケ谷、阿保城の3つの城が連携して守っていたのでしょう。 

城氏城 天正伊賀の乱の舞台

sirosijyo201401.jpg専門家派遣の帰りに近鉄・青山町駅で下車。 

青山町駅のホームからすぐ北に小山が見えていて日生学園の看板がかかっていますが、ここが城跡。低い山なのでスーツで大丈夫だろうと、登りはじめましたが、これが大きな間違い(笑)。途中からヤブだらけの崖をエッチラオッチラ登ることになってしまいました。 

城を探索して帰りに分かったのですが、登るのなら山沿いの西に舗装されていない道の途中に山から水が流れているところがあり、ここからだと比較的、簡単に山に登れます。たぶん大手道だったんでしょう。本丸近くまで水の流れが続いていて、籠城するなら水の確保はとても重要です。現在まで水の流が続いているとなると、かなり考えて縄張したのでしょう。 

この城は城氏の城ということで城氏城という名前になっています。城八太夫という人物がいて、信長と戦った天正伊賀の乱について書かれた伊乱記に名前がでてきます。城氏城も天正伊賀の乱の舞台だったようです。青山町は青山高原を超えたところにあり、伊勢から北畠(織田)信雄が攻めると、ちょうど伊賀への入口にあたりますので、いの一番で攻められたんでしょう。 

いくつかの郭と本丸を取り巻く堀と土塁がなかなか見事でしたが本丸は狭かったです。歩いて15歩ほどしかありませんでした。 

今日、1月23日は電子メールの日

mail20140123.jpg今日、1月23日は電子メールの日です。 
「1・23」→「いい・文(ふみ)」→「E文」の語呂合わせで、電子メッセージング協議会(JEMA)が1994年に制定しました。 

いまさらなんですがメールをきちんと送っていますか? 

誰でも、「面と向かって言いづらい」ことはあると思います。特に上司には。 
直接怒鳴られたりする可能性のないメールなら、比較的言いやすいですが、これは要注意です!! 

重要な案件の場合は、最も迅速かつ確実な方法で報告しましょう。目の前に上司がいるのであれば、最も確実な方法は「面と向かって直接話すこと」です。もし上司が出張中などで、電話をしても繋がらないなどといった状況では、留守電に「ライバルに契約を取られてしまいました。詳細はメールしておきますが、時間が空いたら折り返し電話をしてください。」とメッセージを残し、メールで経緯や理由を報告するとよいでしょう。 

【ワンポイントアドバイス】 
・重要な報告は、”最も迅速で確実な方法”で報告する。優先順序は、以下の通りです。 
(1)直接口頭で 
(2)電話 
(3)メール・FAX 

▼一通のメールが信頼を失う 
   ITコンサル 水谷哲也式 管理職のためのメールマネジメント 
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陣屋おそるべし

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    午後は三重県産業支援センターの職員と伊賀の企業でしたのでお昼は陣屋へ 

    伊賀では有名なお店で、場所は剣豪・荒木又右衛門が生まれた荒木から、松尾芭蕉が俳諧集「貝おほい」を奉納した上野天神宮へ向かう坂を登るところにあります。 

    こじんまりとしたお店で席は25席ほど。12時ちょうど入りましたが案の定、ほぼ満席。ちょうど2名分空いてたので相席で座ることができました。ここの日替わり定食(650円)はボリュームたっぷりで有名です。 

    夜は居酒屋になりますが店内は普通の定食屋さん。ただし天井に定食屋さんには絶対にない大きなスピーカーが2つあり、バックミュージックにジャズがいつも流れています。店主の趣味なんでしょうが、店主の恰好はいたって普通の定食屋の親父。 

    日替わり定食の内容を聞くと、「今日はサバ煮です」ということで2つ注文。しばらくして出てきたのは丼に入ったウドンとご飯と漬物。いわゆるウドン定食です。(笑)あと味噌汁とキャベツ盛りの上に肉巻きを揚げたのが2つ入った小鉢が出てきました。これだけで十分です。 

    とりあえず、うどん定食を食べ始めたら、今日のメインですと、サバ煮が出てきましたが、普通の定食屋さんの倍はあります。これにコーヒーがついて650円ですから、流行るはずです。 

    陣屋おそるべし。

黒田官兵衛 備中高松城を水攻めにする

  • allabout201401.jpg

    All About「企業のIT活用」最新ガイド記事です。 

    「戦国武将に学ぶシステム作り」というのを昔、執筆していて、そのシリーズの一つを久しぶりに執筆しました。今回はアジャイル開発(俊敏にシステム開発する手法)を取り上げています。 

    と言いますか、大河ドラマ「軍師・黒田官兵衛」がはじまったので便乗です、(笑) 

    戦国時代を生き抜いた黒田官兵衛。織田信長の与力として羽柴秀吉に従い、毛利の部将・清水宗治が守る備中・高松城を攻略していました。 

    高松城は城の周囲が湿地帯となっており、天然の堀状態。力攻めで城を落とすのは難しいと考えた秀吉は低湿地を逆手にとって高松城を水没させることにします。水攻めの記録は中国の史書にあるだけで、ノウハウはなく試行錯誤の連続。いろいろな難題を知恵で乗り切っていきます。

    そこへ飛び込んできたのが本能寺の変の知らせ  
    ....続きはウェブで(笑) 

    ▼黒田官兵衛 備中高松城を水攻めにする 
    http://allabout.co.jp/gm/gc/438507/

茶臼山古墳 真田幸村の陣跡

cyausuyama201401.jpg今年は大坂夏の陣から399年(来年が400周年)。 

和睦で堀が埋め立てられ裸城になってしまった大坂城では野戦するしかなく、真田幸村が陣取ったのが茶臼山古墳。今は天王寺公園の中にあり、ハルカスがすぐ近くにあります。 

茶臼山古墳のすぐ近くにあるのが四天王寺で、四天王寺南門前に布陣したのが毛利勝永。戦闘が始まると本多忠朝、小笠原秀政らを瞬く間に討ち取り、酒井家次・本多忠純といった部隊を次々に撃破。あわてたのが徳川方、毛利勝永の軍勢をとめようと各軍が殺到。 

ぽっかり穴が空いた所に真田幸村隊が突進。松平忠直隊を突き抜け、徳川家康本陣を襲います。徳川家康の本陣は天王寺駅の少し向こうの阿倍野あたりでした。家康本陣を3回攻撃し、武田信玄との三方がケ原の戦いで馬印を倒されていらい、倒れることがなかった馬印を倒されます。家康もかなり危なかったようで、この時に家康は殺され堺にお墓が作られたという話まで残っています。 

真田隊は力尽き、茶臼山古墳のすぐ北にある安居神社の地で休んでいた幸村が討ち取られます。真田隊が壊滅して戦線が崩壊すると、毛利勝永は反撃してきた藤堂高虎隊を打ち破りながら撤退します。 

茶臼山古墳は上まで登れますが、かなり広い平場になっていて陣を置くには最適。大坂冬の陣では反対に徳川家康が茶臼山古墳を本陣にしていました。 

大坂国誕生の地 真田丸

  • sanada201401.jpg

    今年は大阪冬の陣から400年。 

    大坂城は総構えで防御していましたが弱点は南側。堀はありましたが上町台地沿いに攻められる地形になっていました。冬の陣で真田幸村が作ったのが真田丸。出城になっていて堀(現在の空堀町)の外側、現在の宰相山公園から真田山公園の一帯が真田丸跡地と言われています。 

    遺構はなにも残っていませんが、公園はかなりの高台にあり見晴らしのよい所にあります。真田は武田二十四将の一人で、武田の特徴と言えば丸馬出。真田丸は巨大な丸馬出だったようです。結局、徳川家康軍はこの真田丸を破れず、総構えから侵入できないため和睦になります。 

    真田丸のあった宰相山公園にあるのが三光神社。ここに真田の抜け穴があります。大坂城まで続いていて豊臣秀頼の遺児・国松はここから無事に脱出しました。以来、秀吉が造った大坂城の痕跡をなくし、巨大な盛り土をして新たな大坂城を造ったタヌキ親父のやり方に不満を抱いた大坂の町人が、この国松の子孫を現在まで守り通しています。大阪の人間なら誰もが知っている秘密です。(笑)