大坂国誕生の地 真田丸

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    今年は大阪冬の陣から400年。 

    大坂城は総構えで防御していましたが弱点は南側。堀はありましたが上町台地沿いに攻められる地形になっていました。冬の陣で真田幸村が作ったのが真田丸。出城になっていて堀(現在の空堀町)の外側、現在の宰相山公園から真田山公園の一帯が真田丸跡地と言われています。 

    遺構はなにも残っていませんが、公園はかなりの高台にあり見晴らしのよい所にあります。真田は武田二十四将の一人で、武田の特徴と言えば丸馬出。真田丸は巨大な丸馬出だったようです。結局、徳川家康軍はこの真田丸を破れず、総構えから侵入できないため和睦になります。 

    真田丸のあった宰相山公園にあるのが三光神社。ここに真田の抜け穴があります。大坂城まで続いていて豊臣秀頼の遺児・国松はここから無事に脱出しました。以来、秀吉が造った大坂城の痕跡をなくし、巨大な盛り土をして新たな大坂城を造ったタヌキ親父のやり方に不満を抱いた大坂の町人が、この国松の子孫を現在まで守り通しています。大阪の人間なら誰もが知っている秘密です。(笑)

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